落穂拾ひ日あたる方へ歩み行く 蕪 村
いかにも技巧のない、しみじみとした句である。
「日あたる方へ」というので、山陰・森陰などが、田の面の手前半分へ落ちて、その範囲をうすら寒くしていることが想像される。
現代のわれわれは、「落穂拾い」というと、ミレーのあの画面を想い起こしがちであるが、あれは全面日向の明るさにあり、遠方などは大農式の賑やかさに満ちている。この句はもっと寂しく、日本的な小景である。
「ひろひ」「ひあたる」「あたる」「あゆみ」の調べも、一句に落ち着きの感を与えている。
上五「落穂拾ひ」の一音の字余りも、その者のたどたどしい動作に、かえってふさわしい。
季語は「落穂拾ひ」で秋。
「刈田に独り、落穂を拾っている者がいる。拾いつづけながら、しだいに
遠方の日の当たっている、明るい所へと近づいてゆく」
泣きじやくる子の手 落穂も夕冷えて 季 己
いかにも技巧のない、しみじみとした句である。
「日あたる方へ」というので、山陰・森陰などが、田の面の手前半分へ落ちて、その範囲をうすら寒くしていることが想像される。
現代のわれわれは、「落穂拾い」というと、ミレーのあの画面を想い起こしがちであるが、あれは全面日向の明るさにあり、遠方などは大農式の賑やかさに満ちている。この句はもっと寂しく、日本的な小景である。
「ひろひ」「ひあたる」「あたる」「あゆみ」の調べも、一句に落ち着きの感を与えている。
上五「落穂拾ひ」の一音の字余りも、その者のたどたどしい動作に、かえってふさわしい。
季語は「落穂拾ひ」で秋。
「刈田に独り、落穂を拾っている者がいる。拾いつづけながら、しだいに
遠方の日の当たっている、明るい所へと近づいてゆく」
泣きじやくる子の手 落穂も夕冷えて 季 己