壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

落穂拾ひ

2010年10月29日 23時19分21秒 | Weblog
        落穂拾ひ日あたる方へ歩み行く     蕪 村 

 いかにも技巧のない、しみじみとした句である。
 「日あたる方へ」というので、山陰・森陰などが、田の面の手前半分へ落ちて、その範囲をうすら寒くしていることが想像される。
 現代のわれわれは、「落穂拾い」というと、ミレーのあの画面を想い起こしがちであるが、あれは全面日向の明るさにあり、遠方などは大農式の賑やかさに満ちている。この句はもっと寂しく、日本的な小景である。

 「ろひ」「あたる」「たる」「ゆみ」の調べも、一句に落ち着きの感を与えている。
 上五「落穂拾ひ」の一音の字余りも、その者のたどたどしい動作に、かえってふさわしい。

 季語は「落穂拾ひ」で秋。

    「刈田に独り、落穂を拾っている者がいる。拾いつづけながら、しだいに
     遠方の日の当たっている、明るい所へと近づいてゆく」


      泣きじやくる子の手 落穂も夕冷えて     季 己