壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

菊の花

2010年10月23日 23時02分56秒 | Weblog
        稲扱の姥もめでたし菊の花     芭 蕉

 『笈日記』他によれば、近江国平田明照寺(めんしょうじ)に李由(りゆう)をたずねる途中、服部某に導かれて、付近の北村某の家を訪い、宿したときの作。その家の庭前にある菊と、その傍らで稲扱(いねこき)をする、すこやかな姥(うば=老女)とを結びつけて、挨拶の意をこめて詠んだものである。
 菊の花は、例の、南陽県の甘谷の下流の水を汲むと、長寿を保つという中国の故事もあって、めでたい花とされる。菊と長寿を結びつけた発想は、俳諧としてはむしろ陳腐なものである。けれどもこの句では、長寿延齢の縁が一句の裏にひそめられてしまって、菊の花そのものが旧家の庭前の生きた姿としてとらえられている。元禄四年の作。秋の句なので九月ごろか。

 「稲扱」・「菊の花」ともに秋季。ここでは「菊の花」が主として働き、菊そのものの感じを生かしている。

    「庭前には、齢(よわい)を延べるという菊の花が咲き匂い、それに
     ふさわしく稲扱の媼(おうな)がすこやかに働いていることよ」


      足弱の母の咲かせし黄菊かな     季 己