壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

見送り

2010年10月09日 21時02分16秒 | Weblog
          野水が旅行を送りて
        見送りのうしろや寂し秋の風     芭 蕉

 野水の後ろ姿が寂しいというのでは平凡である。それなら「行く人の」とでもいわなければ、意味が不十分である。「見送り」であるから、やはり送る者でなくてはならない。
 送られる者よりも送る者の方が、ひとしお寂しさを感ずるのが常である。芭蕉はそこを把握しているのである。

 野水は岡田氏。名古屋の蕉門。『冬の日』連衆の一人。

 季語「秋の風」が、別離の情と相通う発想である。

    「野水の旅立ちを見送って立ちつくすと、背後が何か空しく寂しい感じで、
     秋風が寂しく吹きかかるのが、ひとしお身に沁みることだ」


 ――「佐野 ぬい展」(日本橋高島屋6階美術画廊)へ行ってきた。午後3時から先生のギャラリートークが始まったが、先生の鮮烈な青を観ているうちに、秋山俊也君の大作「青・墨 2010」を想い起こしてしまった。もうダメだ。そうだ「画廊宮坂」へ行こう。俊也君の作品たちと名残を惜しんでこよう。急いで会場から抜け出した。

 そうして、「画廊宮坂」へ着いたのがちょうど4時。「秋山 俊也 展」の最終日なので、今日は午後4時閉場なのだが、喜んで迎えてくれた。「三度の武田」さんが四度来てくれた、と。
 一点一点、名残を惜しみ、最後に例の「無題 2006」の前に立ちつくしていると、
 「武田さん、よかったら一ヶ月お貸ししますよ。気のすむまで観てやってください」
 と、俊也君のお父さん俊幸さんの声。
 冗談かと思ったが本気だった。大喜びで一ヶ月だけお借りすることにした。ずっと手元に置いておければ最高なのだが。いやいや有難い。感謝! 感謝!
 帰り際、俊也君が書いた「へたくそ」と「無学」の半紙、マジックと鉛筆で描いたミニ作品?を頂いた。ありがとう俊也君。
 秋風を感じる覚悟で、俊也君の作品たちを見送りに行ったのだが、おかげで春風のようなあたたかな気持で「画廊宮坂」を後にすることが出来た。

      「へたくそ」の文字はしゃぎだす秋燈下     季 己