壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

松風や

2010年10月19日 22時32分44秒 | Weblog
        松風や軒をめぐつて秋暮れぬ     芭 蕉

 「此の道や」の半歌仙が行なわれた「茶店」で、主人の四郎左衛門の求めに応じて与えた作。
 松風が吹きめぐるというのは、その家のさまを讃えているのであり、そこに挨拶の心が生きている。もともと即興的な作であったはずだが、この句にもどこか、深い寂寥感がひそんでいることは確かである。

 「松風や」は、切字「や」を含むが、中七に対して主語となる。『師走囊』に、
        此の松風は実は松風にあるまじ。茶店とあれば、釜のたぎる
        音の松風のごときを、常住 軒をめぐると聞きなして、生涯
        茶を楽しみて秋を経たりとなり。
 とある。松風は、現実の松籟(しょうらい)とすべきだが、茶の湯との連想は必ずしも捨てきれない。
 「軒をめぐつて」は、松が軒近くにそびえているのに即して、言ったものであろう。なお、「松風の軒をめぐりて」の形も残っているが、「めぐりて」よりは、「めぐつて」の方が軽快である。『笈日記』により、元禄七年九月二十六日の作。
 芭蕉はこの年、九月十日に之道宅で発病。十月五日、病床を大坂御堂前、花屋仁右衛門方の貸座敷に移す。十月八日「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を詠む。十月十二日、午後四時ごろ没。

 四郎左衛門は、名高い、大坂新清水の料理茶屋浮瀬(うかむせ)の主人。新清水は、大阪市天王寺区の台地。寛永年間、京都清水寺を勧請(かんじょう)した。

 「秋暮れぬ」が季語になっている。古くは「秋暮れて」のかたちで季語として見える。「秋果つる」ともいう。心象的なものが薄く、景に即する面がつよい使い方である。

    「この座敷に坐して耳を澄ますと、松風が軒のあたりを静かに吹きめぐって
     いる。ただ、そうそうと吹き過ぎる松籟の中に、今年の秋もまさに過ぎよう
     としていることを、しみじみと感ずる」


      CTの検査待つ間や暮の秋     季 己