所 思(しょし)
此の道や行く人なしに秋の暮 芭 蕉
「秋の暮」の句から「所思」の句へと、深化・推敲されていった作品である。
「此の道を行く人なしに」
↓
「此の道を行く人なしや」
↓
「此の道や行く人なしに」
という推敲の過程をたどったものと思われる。この間に、「行く人なし」を中心とするところから「此の道」を眼目するところへ変わってゆき、「此の道」が、人生とか芸道とかを象徴するものとして、決定をみるに至ったものである。
この句は、芭蕉の心象風景といってよく、つぎつぎと遙かなものを追い求めて歩みつづける作家の孤独の影が、ここには刻まれているのである。そして、その寂寥・孤独については、芭蕉の身体の急速な衰え、また、先ごろの寿貞の死、さらには、江戸蕉門の逸脱、尾張蕉門の疎隔、伊賀蕉門の停滞、難波蕉門の内輪もめ等々に加えて、俳諧の工夫の到達点であるはずの〈軽み〉に対する主要門人の無理解といった、芭蕉をめぐる諸事情はやはり見過ごすことは出来ない。
この句の初案は、九月二十三日付の書簡に初めて出るが、そのいわば古い句を推敲を加えた上で、別案と並べて二十六日の俳諧の席に提示したのは、どういう気持であったのであろうか。
「此の道や」の句は、それが前述したように、象徴の句であればあるほど、立句(たてく=俳諧連句の第一句)向きではなくなるのである。「此の道や」を立句としようとしたとき、芭蕉はこの句に、そのさびしい「一筋」をたどりあう同志としての、連衆の連帯感を読み取ることを期待したのではなかったか。そう読むことによってはじめて、この句は挨拶となりえたであろう、と考えられるからである。しかし、門人たちは、師の心をくみ取ることが出来ず、単なる「秋の暮」の句としか読めなかった。
芭蕉としては、この句をそのように単なる「秋の暮」の句として放置することは、あまりにも未練を残すことであり、そのために、やや異例の「所思」という前書が加えられたと考えられる。
『芭蕉翁追善之日記』に、
「此の道や行く人なしに」と独歩(とっぽ)し給へる所、誰かその
後(しりえ)に従ひ候はんと申しければ、あそう(注、芭蕉)も、
吾が心にもさる事侍りとて、是に「所思」といふ題をつけて半歌仙
ととのほり侍る。
とある記事は、その辺の微妙な経緯に触れているように思う。
「所思」は、思うところ、という意。この句が心境を吐露したものであるという前書である。
「行く人なしに」は、唐詩選にある五言絶句「秋日」が、発想の契機をなしていると見られよう。(一昨日の当ブログ参照)
季語は「秋の暮」。「行く人なしに秋の暮」と滲透しあって、芭蕉の内奥を象徴するものとなっている。
「この道は、行く人とてないままに、晩秋の夕暮れのかなたへ延びていて、
わが人生・芸道の来し方行く末の寂寥・孤独を見るおもいがすることだ」
――「秋の暮」は秋の夕暮れ(仲秋のみに用いる)、「暮の秋」は晩秋、という暗黙の了解がある。しかし、動きやすい言葉で、数多い古典句の中にも、その辺が適当に詠まれているのがあるので、鑑賞の際には気をつけたい。上記の「此の道や」もその一つであると思う。
悲喜こもごも聞く耳二つ暮の秋 季 己
此の道や行く人なしに秋の暮 芭 蕉
「秋の暮」の句から「所思」の句へと、深化・推敲されていった作品である。
「此の道を行く人なしに」
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「此の道を行く人なしや」
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「此の道や行く人なしに」
という推敲の過程をたどったものと思われる。この間に、「行く人なし」を中心とするところから「此の道」を眼目するところへ変わってゆき、「此の道」が、人生とか芸道とかを象徴するものとして、決定をみるに至ったものである。
この句は、芭蕉の心象風景といってよく、つぎつぎと遙かなものを追い求めて歩みつづける作家の孤独の影が、ここには刻まれているのである。そして、その寂寥・孤独については、芭蕉の身体の急速な衰え、また、先ごろの寿貞の死、さらには、江戸蕉門の逸脱、尾張蕉門の疎隔、伊賀蕉門の停滞、難波蕉門の内輪もめ等々に加えて、俳諧の工夫の到達点であるはずの〈軽み〉に対する主要門人の無理解といった、芭蕉をめぐる諸事情はやはり見過ごすことは出来ない。
この句の初案は、九月二十三日付の書簡に初めて出るが、そのいわば古い句を推敲を加えた上で、別案と並べて二十六日の俳諧の席に提示したのは、どういう気持であったのであろうか。
「此の道や」の句は、それが前述したように、象徴の句であればあるほど、立句(たてく=俳諧連句の第一句)向きではなくなるのである。「此の道や」を立句としようとしたとき、芭蕉はこの句に、そのさびしい「一筋」をたどりあう同志としての、連衆の連帯感を読み取ることを期待したのではなかったか。そう読むことによってはじめて、この句は挨拶となりえたであろう、と考えられるからである。しかし、門人たちは、師の心をくみ取ることが出来ず、単なる「秋の暮」の句としか読めなかった。
芭蕉としては、この句をそのように単なる「秋の暮」の句として放置することは、あまりにも未練を残すことであり、そのために、やや異例の「所思」という前書が加えられたと考えられる。
『芭蕉翁追善之日記』に、
「此の道や行く人なしに」と独歩(とっぽ)し給へる所、誰かその
後(しりえ)に従ひ候はんと申しければ、あそう(注、芭蕉)も、
吾が心にもさる事侍りとて、是に「所思」といふ題をつけて半歌仙
ととのほり侍る。
とある記事は、その辺の微妙な経緯に触れているように思う。
「所思」は、思うところ、という意。この句が心境を吐露したものであるという前書である。
「行く人なしに」は、唐詩選にある五言絶句「秋日」が、発想の契機をなしていると見られよう。(一昨日の当ブログ参照)
季語は「秋の暮」。「行く人なしに秋の暮」と滲透しあって、芭蕉の内奥を象徴するものとなっている。
「この道は、行く人とてないままに、晩秋の夕暮れのかなたへ延びていて、
わが人生・芸道の来し方行く末の寂寥・孤独を見るおもいがすることだ」
――「秋の暮」は秋の夕暮れ(仲秋のみに用いる)、「暮の秋」は晩秋、という暗黙の了解がある。しかし、動きやすい言葉で、数多い古典句の中にも、その辺が適当に詠まれているのがあるので、鑑賞の際には気をつけたい。上記の「此の道や」もその一つであると思う。
悲喜こもごも聞く耳二つ暮の秋 季 己