恕水子別ショにて即興
籠り居て木の実草の実拾はばや 芭 蕉
別宅の閑雅のさまに心惹かれることを通して、恕水への挨拶の句としたものである。
『奥の細道』の長い旅をいま終えて、雨に打たれ、風にもまれた心身の疲れを、恕水の別宅で懇ろなもてなしを受けながら、静かに癒している感じが出ている。
もちろん、木の実・草の実を拾うところには、『方丈記』に、
帰るさには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉を求め、
わらびを折り、木の実をひろひて、かつは仏にたてま
つり、かつは家づととす。
などとある古人のおもかげにならう心が強くはたらいている。それが重い体験のあとの必然として、素直なつぶやきとなって流れ出ている句である。
「恕水子」の「子」は敬称、恕水は如水とも書く。戸田氏、通称 権太夫。家老格の大垣藩士。
「別ショ」は別宅の意。(「ショ」は、「野」の下に「土」)
「拾はばや」は、拾いたい、あるいは、拾おう、の意。
『方丈記』中の、「帰るさ」は、帰るとき、の意。
「かつは……かつは……」は、一つは……し、もう一つは……、の意。
「家づと」は、家へ持ち帰る土産(みやげ)。
季語は「木の実」で秋。後には「草の実」も秋季とされる。「木の実」も「草の実」も、風雅の趣をあらわすものとして使われている。
「このしずかな別宅にしばらく籠り、古人にならって、庭の木の実や
草の実を拾って、閑をたのしませてもらおう」
木の実降る音のはづみも百度石 季 己
籠り居て木の実草の実拾はばや 芭 蕉
別宅の閑雅のさまに心惹かれることを通して、恕水への挨拶の句としたものである。
『奥の細道』の長い旅をいま終えて、雨に打たれ、風にもまれた心身の疲れを、恕水の別宅で懇ろなもてなしを受けながら、静かに癒している感じが出ている。
もちろん、木の実・草の実を拾うところには、『方丈記』に、
帰るさには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉を求め、
わらびを折り、木の実をひろひて、かつは仏にたてま
つり、かつは家づととす。
などとある古人のおもかげにならう心が強くはたらいている。それが重い体験のあとの必然として、素直なつぶやきとなって流れ出ている句である。
「恕水子」の「子」は敬称、恕水は如水とも書く。戸田氏、通称 権太夫。家老格の大垣藩士。
「別ショ」は別宅の意。(「ショ」は、「野」の下に「土」)
「拾はばや」は、拾いたい、あるいは、拾おう、の意。
『方丈記』中の、「帰るさ」は、帰るとき、の意。
「かつは……かつは……」は、一つは……し、もう一つは……、の意。
「家づと」は、家へ持ち帰る土産(みやげ)。
季語は「木の実」で秋。後には「草の実」も秋季とされる。「木の実」も「草の実」も、風雅の趣をあらわすものとして使われている。
「このしずかな別宅にしばらく籠り、古人にならって、庭の木の実や
草の実を拾って、閑をたのしませてもらおう」
木の実降る音のはづみも百度石 季 己