壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

木の実

2010年10月22日 22時55分34秒 | Weblog
          恕水子別ショにて即興   
        籠り居て木の実草の実拾はばや     芭 蕉

 別宅の閑雅のさまに心惹かれることを通して、恕水への挨拶の句としたものである。
 『奥の細道』の長い旅をいま終えて、雨に打たれ、風にもまれた心身の疲れを、恕水の別宅で懇ろなもてなしを受けながら、静かに癒している感じが出ている。
 もちろん、木の実・草の実を拾うところには、『方丈記』に、
        帰るさには、をりにつけつつ、桜を狩り、紅葉を求め、
        わらびを折り、木の実をひろひて、かつは仏にたてま
        つり、かつは家づととす。
 などとある古人のおもかげにならう心が強くはたらいている。それが重い体験のあとの必然として、素直なつぶやきとなって流れ出ている句である。

 「恕水子」の「子」は敬称、恕水は如水とも書く。戸田氏、通称 権太夫。家老格の大垣藩士。
 「別ショ」は別宅の意。(「ショ」は、「野」の下に「土」)
 「拾はばや」は、拾いたい、あるいは、拾おう、の意。
 『方丈記』中の、「帰るさ」は、帰るとき、の意。
 「かつは……かつは……」は、一つは……し、もう一つは……、の意。
 「家づと」は、家へ持ち帰る土産(みやげ)。

 季語は「木の実」で秋。後には「草の実」も秋季とされる。「木の実」も「草の実」も、風雅の趣をあらわすものとして使われている。

    「このしずかな別宅にしばらく籠り、古人にならって、庭の木の実や
     草の実を拾って、閑をたのしませてもらおう」


      木の実降る音のはづみも百度石     季 己