甲斐がねや穂蓼の上を塩車 蕪 村
武田信玄と上杉謙信との故事にもあるとおり、甲斐は山国であるために、他国から絶えず塩の供給を仰がねばならない。ここへ塩車を登場させることは、不自然ではない。塩車が分けつつ行くものも、他の草よりは蓼にした方が、塩の白と、この花の赤との色彩上の対照が生じて、生き生きとする。
「甲斐がねや」と、いくつもの峻峰の姿を背景に描き出したのであるから、山間とはいえ、比較的明るく開けた場所と解したい。
「甲斐がね」は、『古今集』の東歌に、
かひがねを さやにもみしが けゝれなく
よこほりふせる さやの中山 ※「けゝれ」は「心」に同じ。
があり、後人はこれを富士山と解釈している。
しかし、『伊勢物語』では「甲斐がね」は、甲斐の白峰(しらね)の意味であり、西行の歌中のそれも同じく白峰である。
したがって、この句にあっては、富士・白峰などの特定の山を指さずに、ただ甲斐にあるさまざまの峻嶺というように、広い意味に取った方が、一句を自然な味わいの中に保つことが出来るように思われる。
季語は「穂蓼」で秋。単に「蓼」というときは夏季に属し、「花蓼」(蓼の花)・「穂蓼」(蓼の穂)というときは、秋季に属するようである。
「どちらへ目を向けても、峻峰ばかりのそびえ立っている甲斐の国。
とある甲斐の道を、いま真っ白な塩を積んだ車が、赤い花穂を茂ら
した蓼叢(むら)をしのいで、上ってゆく」
蓼の花 雲やはらかに筑波嶺へ 季 己
武田信玄と上杉謙信との故事にもあるとおり、甲斐は山国であるために、他国から絶えず塩の供給を仰がねばならない。ここへ塩車を登場させることは、不自然ではない。塩車が分けつつ行くものも、他の草よりは蓼にした方が、塩の白と、この花の赤との色彩上の対照が生じて、生き生きとする。
「甲斐がねや」と、いくつもの峻峰の姿を背景に描き出したのであるから、山間とはいえ、比較的明るく開けた場所と解したい。
「甲斐がね」は、『古今集』の東歌に、
かひがねを さやにもみしが けゝれなく
よこほりふせる さやの中山 ※「けゝれ」は「心」に同じ。
があり、後人はこれを富士山と解釈している。
しかし、『伊勢物語』では「甲斐がね」は、甲斐の白峰(しらね)の意味であり、西行の歌中のそれも同じく白峰である。
したがって、この句にあっては、富士・白峰などの特定の山を指さずに、ただ甲斐にあるさまざまの峻嶺というように、広い意味に取った方が、一句を自然な味わいの中に保つことが出来るように思われる。
季語は「穂蓼」で秋。単に「蓼」というときは夏季に属し、「花蓼」(蓼の花)・「穂蓼」(蓼の穂)というときは、秋季に属するようである。
「どちらへ目を向けても、峻峰ばかりのそびえ立っている甲斐の国。
とある甲斐の道を、いま真っ白な塩を積んだ車が、赤い花穂を茂ら
した蓼叢(むら)をしのいで、上ってゆく」
蓼の花 雲やはらかに筑波嶺へ 季 己