壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

穂蓼

2010年10月24日 22時17分13秒 | Weblog
        甲斐がねや穂蓼の上を塩車     蕪 村

 武田信玄と上杉謙信との故事にもあるとおり、甲斐は山国であるために、他国から絶えず塩の供給を仰がねばならない。ここへ塩車を登場させることは、不自然ではない。塩車が分けつつ行くものも、他の草よりは蓼にした方が、塩の白と、この花の赤との色彩上の対照が生じて、生き生きとする。
 「甲斐がねや」と、いくつもの峻峰の姿を背景に描き出したのであるから、山間とはいえ、比較的明るく開けた場所と解したい。

 「甲斐がね」は、『古今集』の東歌に、
        かひがねを さやにもみしが けゝれなく
          よこほりふせる さやの中山   ※「けゝれ」は「心」に同じ。
 があり、後人はこれを富士山と解釈している。
 しかし、『伊勢物語』では「甲斐がね」は、甲斐の白峰(しらね)の意味であり、西行の歌中のそれも同じく白峰である。
 したがって、この句にあっては、富士・白峰などの特定の山を指さずに、ただ甲斐にあるさまざまの峻嶺というように、広い意味に取った方が、一句を自然な味わいの中に保つことが出来るように思われる。

 季語は「穂蓼」で秋。単に「蓼」というときは夏季に属し、「花蓼」(蓼の花)・「穂蓼」(蓼の穂)というときは、秋季に属するようである。

    「どちらへ目を向けても、峻峰ばかりのそびえ立っている甲斐の国。
     とある甲斐の道を、いま真っ白な塩を積んだ車が、赤い花穂を茂ら
     した蓼叢(むら)をしのいで、上ってゆく」


     蓼の花 雲やはらかに筑波嶺へ     季 己