伊勢の国 中村といふ所にて
秋の風伊勢の墓原猶すごし 芭 蕉
「伊勢」という地名に、特別の意味を感じとるかどうかで、句意が変わる。ここはやはり重く見て、解すべきであろう。
『山家集』の、
吹きわたす 風にあはれを ひとしめて
いづくもすごき 秋の夕暮れ
(「ひとしめて」は、等しくさせての意。「すごき」は、荒涼として
身もすくむような感じであるの意。)
を心の隅に置いての発想かとも思う。
『去来抄』には、
不易の句は俳諧の体にして、いまだ一つも物数寄(ものずき)
なき句なり。一時の物ずきなきゆゑに、古今に叶へり。
として、
月に柄をさしたらばよき団扇かな 宗 鑑
是は是はとばかり花の吉野山 貞 室
とともに、この句を不易の句の実例として掲出している。
伝本により、上五が「秋の風」・「秋風や」・「秋風の」「初風や」「秋も末」などのかたちがあるが、「秋の風」のかたちが、もっとも句の構成を緊密・重量のあるものにするように思う。
「中村」は、伊勢市宇治の東北、伊勢市中村町。菩提山神宮寺のあるところ。
「秋の風」が季語。本来の季感を生かして使われている。
「秋風が吹く中に墓原が広がっている。伊勢は神国と言われ、死の不浄を
忌むこと甚だしいと聞いているが、その国に見る墓であり、しかも広々と
した墓原なので、いっそう凄涼たる感じを強くすることだ」
秋の風ガイド終へたる手をはなれ 季 己
秋の風伊勢の墓原猶すごし 芭 蕉
「伊勢」という地名に、特別の意味を感じとるかどうかで、句意が変わる。ここはやはり重く見て、解すべきであろう。
『山家集』の、
吹きわたす 風にあはれを ひとしめて
いづくもすごき 秋の夕暮れ
(「ひとしめて」は、等しくさせての意。「すごき」は、荒涼として
身もすくむような感じであるの意。)
を心の隅に置いての発想かとも思う。
『去来抄』には、
不易の句は俳諧の体にして、いまだ一つも物数寄(ものずき)
なき句なり。一時の物ずきなきゆゑに、古今に叶へり。
として、
月に柄をさしたらばよき団扇かな 宗 鑑
是は是はとばかり花の吉野山 貞 室
とともに、この句を不易の句の実例として掲出している。
伝本により、上五が「秋の風」・「秋風や」・「秋風の」「初風や」「秋も末」などのかたちがあるが、「秋の風」のかたちが、もっとも句の構成を緊密・重量のあるものにするように思う。
「中村」は、伊勢市宇治の東北、伊勢市中村町。菩提山神宮寺のあるところ。
「秋の風」が季語。本来の季感を生かして使われている。
「秋風が吹く中に墓原が広がっている。伊勢は神国と言われ、死の不浄を
忌むこと甚だしいと聞いているが、その国に見る墓であり、しかも広々と
した墓原なので、いっそう凄涼たる感じを強くすることだ」
秋の風ガイド終へたる手をはなれ 季 己