壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

2010年10月05日 22時30分46秒 | Weblog
          守栄院
        門に入れば蘇鉄に蘭のにほひかな     芭 蕉

 寺に対する挨拶の作であり、清浄閑雅な寺のさまを、寺内の物に即して句にしたものである。恐らく蘭は、蘇鉄の傍らに咲いていたのであろう。異国風な蘇鉄のみごとな姿と、蘭の芳しい香とが同時に感受されたので、「蘇鉄に蘭の」と、あたかも大きな蘇鉄にゆかしい蘭の香があったように発想したのであろう。元禄二年の作か。

 「守栄院」は、伊勢市にあった浄土宗の寺院。明治十三年廃寺という。名高い蘇鉄があったものと思われる。

 季語は「蘭」で秋。蘭をその香りで生かした使い方。

    「寺の門に一歩踏み入ると、すっくと立っている蘇鉄がまず目に入る。
     しかもその蘇鉄がまことに珍しいことに、蘭の芳香を放っているかの
     ごとく感じたことだ」


 ――やはり、秋山俊也君の「無題2006」は、非売品であった。だから価格表示がなかったのだ。宮坂通信によると、
    「この絵はもう同じものは出来ないだろう。同じものが出来ないと言うことは、
     お金では買えないということである。……だから、絵を売らない」
 ということらしい。それに、もう絵を買わないで身辺整理をしてはとも。つまり、あの世への旅立ちの準備をしてはいかが、ということだろう。
 あと二十年は生きるつもりで人生設計をしてきたが、言われるまでもなく、誰も明日の命の保証さえない。おまけに、肺と副腎にも転移した大腸ガンという爆弾を抱え、抗ガン剤投与を受けている身なのだ。俊也君の傑作を所蔵する資格はどこにあろう。

 現在所有する数十点の絵画は、ほとんど「画廊宮坂」で購入したものである。変人の心にひびいた作品ばかりなので、一般受けする作品は少ない。
 区に寄贈しようかと思ったが、管理が大変なのでイラナイという。また、オークションに出したところで、二束三文にしかならない。大切なお宝に、二束三文の値をつけるのは許せない。
 いっそのこと、お焚上げをして、あの世まで送るとしようか。ナムシンペンセイリ、ナムシンペンセイリ!

      蘭の香のとどけ彼の世の翁まで     季 己