遊行柳のもとにて
柳 散 清 水 涸 石 処 々 蕪 村
漢字ばかりのこの句、「やなぎちり しみずかれ いしところどころ」と読む。
宰町、宰鳥と号していた一種の習作時代を脱して、蕪村と改号した自覚期に入ってから後の初期の作品である。しかも彼の一生の芸風をはやくも暗示規定した、俤のある点で非常に意味ある一句と思われる。このとき、蕪村は三十代の初めであった。
彼は宝暦年間(1751~1764)、三十代の半ばにしてすでに、当時の俳家の作品および実生活上での沈滞堕落を慨嘆して、己こそ、この間にあって雄才他日必ず功をなすもの、との毅然とした自信を述べうる域に到達していた。事実、宝暦年間には、
夏河を越すうれしさよ手に草履
春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉
などの名作をものし得ているのである。
ちなみに、蕪村の芸境は、彼が五十代の半ばに一応完成し尽くしたと見るべきであろう。その後十年間、洗練円熟を加えつづけたが、根本の心境そのものには、大きな変動進展がなかったと考えられる。
芭蕉没後、幽玄の道を曲解した観念的遊戯に充ちていた当時の俳壇の中に据えてみるとき、この一句は、清新そのものともいうべき画期的意義を帯びるのである。和漢の教養に基づく文人的雅懐を、感覚を透す手法によって、自家独特の詩情へ構成する蕪村の態度が、すでにこの句にはっきりと現わされている。
「遊行柳」は、下野蘆野(しもつけあしの)の里にある。謡曲「遊行柳」の伝説によって有名。
西行の歌に、
道のべに 清水流るる 柳かげ
しばしとてこそ 立ちどまりつれ (新古今集)
と詠まれ、後、芭蕉の『奥の細道』中に、
田一枚植ゑて立ち去る柳かな
と詠まれてさらに有名となった。
「清水涸石処々」は、春風馬堤曲中にも「渓流石点々」の句があるが、もちろん蘇東坡の後赤壁賦の「水落石出」にきざしている。蕪村の教養人的要素を示すものであって、几董が『蕪村句集』中に、仮名を交えず漢詩のように誌したのも、そこを察しての上である。
リズムの上からは一応、「5」「5」「8」というように区分され、その点、破天荒な新形式である。また、三つの部分に切り離したがために、柳、水、石と分散したようになった冬ざれ近い景色の、明るくも寂しい気息が如実に伝えられている。ここに、はやくも蕪村の感覚的客観描写の傾向が、明らかに示されている。
季語は「柳散」で秋。
「名高い遊行柳のもとに来てみれば、ここも折からの冬近い寂しい景色。
柳はおおかた散り果て、“道のべの清水”も水が涸れ、河床から石が乾
いた頭を、点々とのぞかせている」
『たけくらべ』の町いとしめば柳散る 季 己
柳 散 清 水 涸 石 処 々 蕪 村
漢字ばかりのこの句、「やなぎちり しみずかれ いしところどころ」と読む。
宰町、宰鳥と号していた一種の習作時代を脱して、蕪村と改号した自覚期に入ってから後の初期の作品である。しかも彼の一生の芸風をはやくも暗示規定した、俤のある点で非常に意味ある一句と思われる。このとき、蕪村は三十代の初めであった。
彼は宝暦年間(1751~1764)、三十代の半ばにしてすでに、当時の俳家の作品および実生活上での沈滞堕落を慨嘆して、己こそ、この間にあって雄才他日必ず功をなすもの、との毅然とした自信を述べうる域に到達していた。事実、宝暦年間には、
夏河を越すうれしさよ手に草履
春の海終日(ひねもす)のたりのたり哉
などの名作をものし得ているのである。
ちなみに、蕪村の芸境は、彼が五十代の半ばに一応完成し尽くしたと見るべきであろう。その後十年間、洗練円熟を加えつづけたが、根本の心境そのものには、大きな変動進展がなかったと考えられる。
芭蕉没後、幽玄の道を曲解した観念的遊戯に充ちていた当時の俳壇の中に据えてみるとき、この一句は、清新そのものともいうべき画期的意義を帯びるのである。和漢の教養に基づく文人的雅懐を、感覚を透す手法によって、自家独特の詩情へ構成する蕪村の態度が、すでにこの句にはっきりと現わされている。
「遊行柳」は、下野蘆野(しもつけあしの)の里にある。謡曲「遊行柳」の伝説によって有名。
西行の歌に、
道のべに 清水流るる 柳かげ
しばしとてこそ 立ちどまりつれ (新古今集)
と詠まれ、後、芭蕉の『奥の細道』中に、
田一枚植ゑて立ち去る柳かな
と詠まれてさらに有名となった。
「清水涸石処々」は、春風馬堤曲中にも「渓流石点々」の句があるが、もちろん蘇東坡の後赤壁賦の「水落石出」にきざしている。蕪村の教養人的要素を示すものであって、几董が『蕪村句集』中に、仮名を交えず漢詩のように誌したのも、そこを察しての上である。
リズムの上からは一応、「5」「5」「8」というように区分され、その点、破天荒な新形式である。また、三つの部分に切り離したがために、柳、水、石と分散したようになった冬ざれ近い景色の、明るくも寂しい気息が如実に伝えられている。ここに、はやくも蕪村の感覚的客観描写の傾向が、明らかに示されている。
季語は「柳散」で秋。
「名高い遊行柳のもとに来てみれば、ここも折からの冬近い寂しい景色。
柳はおおかた散り果て、“道のべの清水”も水が涸れ、河床から石が乾
いた頭を、点々とのぞかせている」
『たけくらべ』の町いとしめば柳散る 季 己