湯 尾
月に名を包みかねてや痘の神 芭 蕉
風狂の体である。『笈の小文』所収の葛城の神を詠んだ
「なほ見たし花に明け行く神の顔」
と一脈通ずるものがあり、それよりぐっとくだけた、おおどかな笑いになっている。こういう発想の句は、現代にはあまり見られなくなっているものの一つであろう。
『奥の細道』には、「湯尾(ゆのお)峠を越ゆれば……」とある。元禄二年八月十四日のこと。
「湯尾」は、福井県南条郡南越前町湯尾の湯尾峠。『奥細道菅菰抄』に、
湯尾峠はわづかなる山にて、巓(いただき)に茶店三四軒あり。
何れも孫嫡子(まごじゃくし)御茶屋と暖簾に記して、疱瘡の
守りを出だす。いにしへ此の茶店の主(あるじ)疱瘡神(いも
のかみ)と約して、其の子孫なるものは もがさのうれへなし
と言ひ伝ふ。孫嫡子とは其の子孫の嫡家といふ事なるべし。
とある。井原西鶴の『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』にも、
越前国湯尾峠の茶店の軒端に大きなる杓子(しゃくし)をしる
して、孫じゃくしとて疱瘡軽き守札を出す。
とある。
「痘(いも)の神」は、天然痘(痘瘡)を流行させると考えられていた神。痘瘡は、俗称を疱瘡といい、種痘およびその痕のこと。いもがさ。もがさ。
季語は「月」で秋。月の光の明るさを直接描いていないにもかかわらず、奇妙なまでに明るい月光が感じられ、不思議なくらい親しさのあふれた発想である。
「ここ湯尾峠では、痘の神の守り札が人々に頒布されている。
これは、痘の神などという、人に忌み嫌われる名であるから、
日頃は、その名を包みかくして、ひたすら人目を避けている
のであろうが、この名月には、月にゆかりの芋に通うその名
をせめてものよすがに、思わずその姿をあらわしてしまうの
であろう」
行幸の千枚田とか星月夜 季 己
月に名を包みかねてや痘の神 芭 蕉
風狂の体である。『笈の小文』所収の葛城の神を詠んだ
「なほ見たし花に明け行く神の顔」
と一脈通ずるものがあり、それよりぐっとくだけた、おおどかな笑いになっている。こういう発想の句は、現代にはあまり見られなくなっているものの一つであろう。
『奥の細道』には、「湯尾(ゆのお)峠を越ゆれば……」とある。元禄二年八月十四日のこと。
「湯尾」は、福井県南条郡南越前町湯尾の湯尾峠。『奥細道菅菰抄』に、
湯尾峠はわづかなる山にて、巓(いただき)に茶店三四軒あり。
何れも孫嫡子(まごじゃくし)御茶屋と暖簾に記して、疱瘡の
守りを出だす。いにしへ此の茶店の主(あるじ)疱瘡神(いも
のかみ)と約して、其の子孫なるものは もがさのうれへなし
と言ひ伝ふ。孫嫡子とは其の子孫の嫡家といふ事なるべし。
とある。井原西鶴の『男色大鑑(なんしょくおおかがみ)』にも、
越前国湯尾峠の茶店の軒端に大きなる杓子(しゃくし)をしる
して、孫じゃくしとて疱瘡軽き守札を出す。
とある。
「痘(いも)の神」は、天然痘(痘瘡)を流行させると考えられていた神。痘瘡は、俗称を疱瘡といい、種痘およびその痕のこと。いもがさ。もがさ。
季語は「月」で秋。月の光の明るさを直接描いていないにもかかわらず、奇妙なまでに明るい月光が感じられ、不思議なくらい親しさのあふれた発想である。
「ここ湯尾峠では、痘の神の守り札が人々に頒布されている。
これは、痘の神などという、人に忌み嫌われる名であるから、
日頃は、その名を包みかくして、ひたすら人目を避けている
のであろうが、この名月には、月にゆかりの芋に通うその名
をせめてものよすがに、思わずその姿をあらわしてしまうの
であろう」
行幸の千枚田とか星月夜 季 己