壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

蔦紅葉

2010年10月13日 23時15分51秒 | Weblog
        蔦の葉は昔めきたる紅葉かな     芭 蕉

 蔦紅葉の、ある本質的なものに触れていって成った句ではあるが、「昔めきたる」というつかみ方は、ことばの抽象性に流れてしまった点が惜しまれる。(と偉そうに評しているが、実作の場合はよくやってしまうので、反省の意味をこめて書いている)
 俳句はやはり具象、絵を描くように、うたうように詠むことを常に心がけたい。そのためには、美術館、画廊などをめぐり、「本真(ほんま)モノ」の作品に接し、いわゆる名文といわれる作品を、声に出して読む、ということをおすすめしたい。

 上掲の句は、元禄元年十月に一応の編が成り、芭蕉来訪の際の記録を付録とした『信夫摺(しのぶずり)』(元禄二年成・等窮編)に載っている。秋の句であるから、貞享五年以前の作と考えられる。

 「昔めきたる」は、いかにも昔を感じさせるような、という意味。『伊勢物語』の宇津山の条、あるいはそれにもとづく「昔だに 昔といひし うつの山 こえてぞしのぶ つたの下道」(新続古今集)などが、発想にひびいていると思う。

 「蔦紅葉」の句で秋季。蔦の紅葉のくすんだ色合いに、昔めく感じを覚えると共に、古い歌や物語などが連想されるところをつかんだもの。

    「紅葉の錦などといわれるその中で、よく見ると、蔦の葉の紅葉は、『昔めく』
     とでもいうほかないような独特のやすらかな風情をそなえていることだ」


      伊予晴れてうどんのにほひ蔦紅葉     季 己