壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

すごい

2009年11月12日 20時00分27秒 | Weblog
 耳障りな言葉の一つに「すごい」がある。「すごいおいしい」「すごい楽しい」……、テレビ局によっては、字幕には「すごく」と表記しているが――

 「すごい」は形容詞で、文語では「すごし」。『広辞苑』には、
 ①寒く冷たく骨身にこたえるように感じられる。
 ②ぞっとするほど恐ろしい。気味が悪い。
 ③ぞっとするほど物淋しい。荒涼として身もすくむような感じである。
 ④形容しがたいほどすばらしい。
 ⑤程度が並々でない。
 とある。

          伊勢の国中村といふ所にて
        秋の風伊勢の墓原猶(なほ)すごし     芭 蕉

 「伊勢」という地名に、特別の意味を感じ取るかどうかで句意が変わる。ここは地名を重く見て、解すべきであろう。『山家集』の
        吹きわたす 風にあはれを ひとしめて
          いづくもすごき 秋の夕暮
 を心の隅に置いての発想かもしれない。(「ひとしめて」は、同じにさせての意)
 『去来抄』には、「不易(ふえき)の句は俳諧の体にして、いまだ一つの物数寄(ものずき)なき句なり。一時の物ずきなきゆゑに、古今に叶へり」として、
        月に柄をさしたらばよき団扇かな     宗 鑑
        是(これ)は是はとばかり花の吉野山   貞 室
 とともに、この句を不易の句の実例として掲出している。

 上五、伝本や弟子たちの口伝により、「秋の風」・「秋風や」・「秋風の」・「初風や」・「秋も末」などのかたちがある。この中では、「秋の風」のかたちが、もっとも句の構成を緊密・重量のあるものにするように思う。元禄二年の作といわれる。

 「中村」は、伊勢市宇治の東北、伊勢市中村町。菩提山神宮寺のあるところ。
 「秋の風」が季語。本来の季感を生かして使われている。

    「秋風が吹きすさぶ中に、墓原がひろがっている。伊勢は神の国といわれ、
     死の不浄を忌むことはなはだしいと聞いているが、その国に見る墓であり、
     しかも、ひろびろとした墓原なので、いっそう凄涼たる感じを強くすることだ」


      秋の風 硯の海を洗ひけり     季 己