耳障りな言葉の一つに「すごい」がある。「すごいおいしい」「すごい楽しい」……、テレビ局によっては、字幕には「すごく」と表記しているが――
「すごい」は形容詞で、文語では「すごし」。『広辞苑』には、
①寒く冷たく骨身にこたえるように感じられる。
②ぞっとするほど恐ろしい。気味が悪い。
③ぞっとするほど物淋しい。荒涼として身もすくむような感じである。
④形容しがたいほどすばらしい。
⑤程度が並々でない。
とある。
伊勢の国中村といふ所にて
秋の風伊勢の墓原猶(なほ)すごし 芭 蕉
「伊勢」という地名に、特別の意味を感じ取るかどうかで句意が変わる。ここは地名を重く見て、解すべきであろう。『山家集』の
吹きわたす 風にあはれを ひとしめて
いづくもすごき 秋の夕暮
を心の隅に置いての発想かもしれない。(「ひとしめて」は、同じにさせての意)
『去来抄』には、「不易(ふえき)の句は俳諧の体にして、いまだ一つの物数寄(ものずき)なき句なり。一時の物ずきなきゆゑに、古今に叶へり」として、
月に柄をさしたらばよき団扇かな 宗 鑑
是(これ)は是はとばかり花の吉野山 貞 室
とともに、この句を不易の句の実例として掲出している。
上五、伝本や弟子たちの口伝により、「秋の風」・「秋風や」・「秋風の」・「初風や」・「秋も末」などのかたちがある。この中では、「秋の風」のかたちが、もっとも句の構成を緊密・重量のあるものにするように思う。元禄二年の作といわれる。
「中村」は、伊勢市宇治の東北、伊勢市中村町。菩提山神宮寺のあるところ。
「秋の風」が季語。本来の季感を生かして使われている。
「秋風が吹きすさぶ中に、墓原がひろがっている。伊勢は神の国といわれ、
死の不浄を忌むことはなはだしいと聞いているが、その国に見る墓であり、
しかも、ひろびろとした墓原なので、いっそう凄涼たる感じを強くすることだ」
秋の風 硯の海を洗ひけり 季 己
「すごい」は形容詞で、文語では「すごし」。『広辞苑』には、
①寒く冷たく骨身にこたえるように感じられる。
②ぞっとするほど恐ろしい。気味が悪い。
③ぞっとするほど物淋しい。荒涼として身もすくむような感じである。
④形容しがたいほどすばらしい。
⑤程度が並々でない。
とある。
伊勢の国中村といふ所にて
秋の風伊勢の墓原猶(なほ)すごし 芭 蕉
「伊勢」という地名に、特別の意味を感じ取るかどうかで句意が変わる。ここは地名を重く見て、解すべきであろう。『山家集』の
吹きわたす 風にあはれを ひとしめて
いづくもすごき 秋の夕暮
を心の隅に置いての発想かもしれない。(「ひとしめて」は、同じにさせての意)
『去来抄』には、「不易(ふえき)の句は俳諧の体にして、いまだ一つの物数寄(ものずき)なき句なり。一時の物ずきなきゆゑに、古今に叶へり」として、
月に柄をさしたらばよき団扇かな 宗 鑑
是(これ)は是はとばかり花の吉野山 貞 室
とともに、この句を不易の句の実例として掲出している。
上五、伝本や弟子たちの口伝により、「秋の風」・「秋風や」・「秋風の」・「初風や」・「秋も末」などのかたちがある。この中では、「秋の風」のかたちが、もっとも句の構成を緊密・重量のあるものにするように思う。元禄二年の作といわれる。
「中村」は、伊勢市宇治の東北、伊勢市中村町。菩提山神宮寺のあるところ。
「秋の風」が季語。本来の季感を生かして使われている。
「秋風が吹きすさぶ中に、墓原がひろがっている。伊勢は神の国といわれ、
死の不浄を忌むことはなはだしいと聞いているが、その国に見る墓であり、
しかも、ひろびろとした墓原なので、いっそう凄涼たる感じを強くすることだ」
秋の風 硯の海を洗ひけり 季 己