壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

十日の菊

2009年11月06日 22時53分17秒 | Weblog
            素堂亭 十日菊
          蓮池の主翁又菊を愛す。昨日は竜山の宴を開き、
          今日はその酒の余りをすすめて、狂吟のたはぶれ
          となす。なほ思ふ、明年誰か健やかならん事を。
        十六夜のいづれか今朝に残る菊     芭 蕉

 「十日菊」というのは、ことわざに「六日の菖蒲、十日の菊」といって、その時におくれたことをあらわす言葉があるが、それを踏まえた発想である。
 『萬葉集』以来、春と夏の趣などをくらべて詠ずる風があったが、そうした趣を心においた発想ではなかろうか。

 「蓮池の主翁(しゆをう)」は、山口素堂のこと。
 「竜山の宴」は、重陽の宴の意。晋の孟嘉(もうか)の故事によっていったもの。
 「狂吟」は、俳諧の意。
 「明年誰か……」は、杜甫「九日藍田崔氏荘」の「明年此会知誰健」による。

 季語は「残る菊」で秋。十日の菊の意である。「十六夜」も秋の季語。二つの景物を比較し、共に捨てがたい趣のあることを指摘して興ずる発想になっている。

    「十六夜の月の趣と、今朝ここに見る十日の菊の趣と、いずれがすぐれて
     いるだろうか。ともに“十五夜”と重陽の“九日”というさかりをそれ
     ぞれ過ぎた趣であるが、いずれもあわれふかく優劣はつけがたいように
     思うが……」


      御嶽は初雪ならむ吊し柿     季 己