壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

善光寺

2009年11月28日 20時07分56秒 | Weblog
 陰暦十一月二十八日は、浄土真宗開祖の親鸞聖人の忌日である。この日の前後、七昼夜にわたり修する法要を報恩講(ほうおんこう)といい、御七夜(おしちや)、お霜月ともいう。また、親鸞忌、御正忌(ごしょうき)と詠んでもよい。

          善光寺
        月影や四門四宗も只一つ     芭 蕉

 仏教にはいろいろな宗派があり、諸々の教えが分かれて存在している。けれどもその底に、結局はこの澄んだ月のようにただ一つの真実があるだけだ、ということをいっているのであろう。解脱(げだつ)の心は、しばしば「真如の月」とたとえられる。
 松江重頼の『毛吹草』に、
        「月は一ツ影は三千世界哉     弘 永」
 という貞門の句があるが、こんな感じ方が、発想の源流にあるのかもしれない。

 「四門」は諸説あるが、おそらく善光寺四門といわれる南命山無量寺・北空山雲上寺・不捨山浄土寺・定額山善光寺を指すものと思う。
 また『広辞苑』には、東西南北の四つの門、発心・修行・菩提(ぼだい)・涅槃(ねはん)の四門とか、有門(うもん)・空門・亦有亦空門(やくうやくくうもん)・非有非空門の四門とか書いてある。
 「四宗」は、天台・真言・禅・律の四宗であろう。善光寺は、この四宗を兼学して宗名がないも同然だといわれている。現在は単立宗教法人で、天台宗の大勧進と浄土宗の大本願とによって管理されている。
 また、顕・密・禅・戒の四つを指すという説もある。
 さらに、「四宗」は「四洲」の誤りで、「弥陀の四洲」の意である、という説もあるが、軽々に“誤り”とすることには賛成できない。原文の表記にしたがい「四門四宗」のままで解したい。

 季語は「月影」で秋。月がすべてを無差別に明るく照らしているさまに想を発したもので、四門も四宗もそれを強調するために使っている。

    「善光寺の四門の寺々も、四宗兼学の坊々も、この月光の下に一様に照らされ
     て、いっさいの差別を越えた、真如の世界をまのあたりに見るおもいである」


      変人とうそぶきとほし親鸞忌     季 己