在原業平の「名にしおはばいざこと問はむ……」の歌で知られる都鳥は、隅田川の名物とされていた。俗称都鳥は、いわば雅名で、正式名は百合鷗(ゆりかもめ)のことであるという。
翼は淡い灰色で他は白。鷗よりやや小さく、海猫に似た声で「ミャオ」と啼く。千鳥の仲間に、くちばしと脚の紅い“みやこどり”というのがいるが、それとは違う。四月ごろ北国に帰る、優艶な旅鳥である。
塩にしてもいざことづてん都鳥 芭 蕉
『伊勢物語』の「名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと」を踏まえた作。
「塩にしても」とひきおろし、尋ねる意の「こと問はむ」を、言伝(ことづて)の意の「ことづてん」にもじった、古典の卑俗化という談林的手法によった発想である。延宝六年(1678)冬の作。
「塩にしても」は、塩漬けにしてでもの意。
「都鳥」が季語で冬であるが、季感がはたらかず、「都」という名称が発想の契機をなしている。
「江戸から京へのみやげ話としては、名の縁もあることだから、業平ゆかりの、
この隅田川の都鳥を塩漬けにしてなりと、ぜひ持ち帰り、伝えてもらいたい
ものだ」
参考までに、『伊勢物語』第九段の最後の部分を口語訳で示しておく。
さらに都を遠ざかって、武蔵の国と下総(しもつふさ)の国との境に、たいそう大きな河がある。それを角田河(すみだがは=隅田川)という。その河のほとりにひとかたまりに坐って、「はるかに思いやれば、かぎりなく都を離れて遠くへ来たものだなあ」と、嘆きあっていると、渡し守が「はやく舟に乗ってくれ。日が暮れてしまう」とせかせる。これからさらに下総の国へ、舟に乗って渡ろうとするに、居合わせた人は皆、何とも言えずさびしく、京に残してきた人を思わぬではない。
ちょうどその時、白い鳥で嘴(はし)と脚があかく、鴫の大きさぐらいなのが、水の上に泳ぎながら魚を食っている。京の都では見かけない鳥なので、誰も知らない。渡し守に尋ねたところ、「この鳥が都鳥でさ」と言うのを聞いて、
名にしおはば いざこと問はむ 都鳥
わが思ふ人は 在りやなしやと
「都鳥という名を負い持つなら、さあ尋ねてみたい、都鳥よ。
私が想う妻は都に無事でいるかどうかと……」
と詠んだので、舟中の者がこぞって泣いてしまった。
枝打ちの音を近くにゆりかもめ 季 己
翼は淡い灰色で他は白。鷗よりやや小さく、海猫に似た声で「ミャオ」と啼く。千鳥の仲間に、くちばしと脚の紅い“みやこどり”というのがいるが、それとは違う。四月ごろ北国に帰る、優艶な旅鳥である。
塩にしてもいざことづてん都鳥 芭 蕉
『伊勢物語』の「名にしおはばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人は在りやなしやと」を踏まえた作。
「塩にしても」とひきおろし、尋ねる意の「こと問はむ」を、言伝(ことづて)の意の「ことづてん」にもじった、古典の卑俗化という談林的手法によった発想である。延宝六年(1678)冬の作。
「塩にしても」は、塩漬けにしてでもの意。
「都鳥」が季語で冬であるが、季感がはたらかず、「都」という名称が発想の契機をなしている。
「江戸から京へのみやげ話としては、名の縁もあることだから、業平ゆかりの、
この隅田川の都鳥を塩漬けにしてなりと、ぜひ持ち帰り、伝えてもらいたい
ものだ」
参考までに、『伊勢物語』第九段の最後の部分を口語訳で示しておく。
さらに都を遠ざかって、武蔵の国と下総(しもつふさ)の国との境に、たいそう大きな河がある。それを角田河(すみだがは=隅田川)という。その河のほとりにひとかたまりに坐って、「はるかに思いやれば、かぎりなく都を離れて遠くへ来たものだなあ」と、嘆きあっていると、渡し守が「はやく舟に乗ってくれ。日が暮れてしまう」とせかせる。これからさらに下総の国へ、舟に乗って渡ろうとするに、居合わせた人は皆、何とも言えずさびしく、京に残してきた人を思わぬではない。
ちょうどその時、白い鳥で嘴(はし)と脚があかく、鴫の大きさぐらいなのが、水の上に泳ぎながら魚を食っている。京の都では見かけない鳥なので、誰も知らない。渡し守に尋ねたところ、「この鳥が都鳥でさ」と言うのを聞いて、
名にしおはば いざこと問はむ 都鳥
わが思ふ人は 在りやなしやと
「都鳥という名を負い持つなら、さあ尋ねてみたい、都鳥よ。
私が想う妻は都に無事でいるかどうかと……」
と詠んだので、舟中の者がこぞって泣いてしまった。
枝打ちの音を近くにゆりかもめ 季 己