壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

「宮坂通信」復刻

2009年11月10日 16時59分48秒 | Weblog
 年賀はがきが街頭販売されていた。変人はまだ購入していないが、発売初日に合わせて徹夜で並んだ人がいるという。正月になっても楽に入手できる年賀はがき、徹夜で並ぶと何かよいことでもあるのだろうか。
 年賀状というと、毎年、「賀正」ならぬ「画商」と書いてくるのが、東京・銀座『画廊宮坂』の宮坂祐次さん。
 この宮坂さんに初めてお目にかかったのは、1986年6月23日、「第一回彦士(げんし)の会」のときである。日本画家の藤田時彦先生からご案内をいただいたからだ。それ以来、毎週のように『画廊宮坂』に通い、宮坂さんの個人的魅力と、考え方にすっかり共鳴し、今では美術のことはもちろん、人生の師とも仰ぐべき人となった。
 宮坂さんは、一言で言うと、「直き正しき心をもって、世のため人のために尽くす人」である。並みの画商では決してない。
 宮坂さんは、三尺の高みから物事を凝視し、感じ、考え、発信している。その表れの一つが「宮坂通信」。
 「宮坂通信」は、途中中断があったが22年間、231号まで発行されつづけた。どんな簡単なことでも“継続”することは難しい。それを、産声をあげた赤ん坊が大学を卒業するまでの期間、「宮坂通信」を発行しつづけたのだ。その精神的強靱さに驚き、経済的負担は如何ばかりだったかと、今更ながら思う。

 「宮坂通信」は、『画廊宮坂』のPR紙ではない。また、美術界の蘊蓄を傾けたものでもない。宮坂さん個人の独断と偏見に満ちた、言わば「一隅を照らす」灯である。その灯は、やがては遠くを照らす大きな光の基となるのであるが……。
 さて、その中身。美術に関するものはもちろんだが、社会や行政の不備・矛盾に対する、宮坂さんの憤りの目が光っていることに感心する。そうしてその矛盾を追及するために即、行動するところがすばらしい。「宮坂通信」は、単なる犬の遠吠えではないのだ。
 先に“偏見”と書いたが、ほとんどの場合、社会や行政側に問題があったり、間違ったりしているので、“偏見”ではなく“正論”となるところがまた面白い。
 だが、「宮坂通信」の最大の魅力は、宮坂さんの周囲の人をとりあげ、そのエピソードを紹介する文章にある。名人・志ん生の人情噺を聞いているような錯覚さえ起こる。思わず笑ってしまったり、ホロッとさせられたりして。
 その「宮坂通信」の復刻版が、来春?に発行されるとのこと、心よりお喜び申し上げる。


      帰り花まだこれからの色に澄み     季 己