壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

心裡描写

2009年11月25日 17時15分41秒 | Weblog
          信濃路を過ぐるに
        雪散るや穂屋の薄の刈り残し     芭 蕉

 前書きに「信濃路を過ぐるに」とあるが、芭蕉が信濃を冬のうちに旅したという資料は見あたらない。したがって、「雪散るや」というのは実際ではないとも考えられるわけである。
 そこで、虚構であると想像されたり、刈り残しの薄が雪のようだという比喩であるととったりするように、前書きとの調整には苦しまざるをえない作となっている。

 「行く春や鳥啼き魚の目は泪」が、『おくのほそ道』の門出のところに掲げられているが、事実としては旅の門出にあたって詠まれたのではなく、『おくのほそ道』執筆の際に作られたものである。
 それと同じように、この句も、「穂屋の祭」の句として、秋に信濃路を過ぎた時の『更科紀行』の旅の経験が心にあたためられ、それが契機となって、刈り残された薄がほうほうと山国の風に吹きみだれているところを想い描いたのではなかろうか。これは想像というよりも、刈り残しの薄を想い描いているうちに、雪が心裡に散りはじめたものであると思う。
 現代の写実風の詠み方からいうと、刈り残しの穂屋の薄の上に、現実に雪が散りかかる景ととりたくなるが、芭蕉の滲透型の発想を考えると、上記のように解したい。
 『撰集抄』に、「信濃路の ほやの薄に 雪ちりて……」というのがあるが、おそらくこれを踏まえた表現ではないかと思われる。

 上五の「や」は、疑問ととるか、詠嘆ととるべきか少々まよう。
 「穂屋(ほや)」は、七月二十七日の信州諏訪大明神の御射山(みさやま)祭に、薄の穂で作る神の御仮屋のことで、歌語である。この祭を「穂屋の祭」ともいう。御射山は、八ヶ岳と赤石山脈との山あいにあたり、今の富士見村のあたりである。
 『猿蓑』がこの句を冬に入れているので、季語は「雪」で冬。神事は七月二十七日であるから秋季。「薄」も秋であるが、穂屋にする薄の刈り残したものは秋か冬かになる。

    「諏訪の御射山祭の後とて、穂屋をつくる薄の刈り残しが、ほうほうと乱れ
     なびいている。そしてそのあたりに山国のこととて、まるで雪がちらついて
     いるように感ぜられる」


      姑娘のウエスト細し冬薔薇     季 己