壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

大根

2009年11月09日 20時29分07秒 | Weblog
        菊の後大根の外更になし     芭 蕉

 『和漢朗詠集』にある唐の元稹(げんしん)の詩「不是花中偏愛菊、此花開後更無花」、あるいは、慈鎮(じちん)和尚の歌「いとせめてうつろふ色の惜しきかな菊より後の花しなければ」を心におき、それを修正するような口調で、「大根の外更になし」と言っているように思える。
 そこには大根の中に庶民的な新しい風趣を見出した、いわば“発見”の目が光っており、菊の隠逸に対して、大根という野趣を提出したところに、俳諧のユーモアが感じられる。そして、それは『三冊子』にいう、「詩歌連俳はともに風雅なり。上三つのものには余す所も、その余す所まで、俳はいたらずといふ所なし」という一つの自覚に支えられていたのでもあった。

 『土大根』には、古詩の踏まえ方について、「ひととせ故翁難波の旅店にいまそがるころ、文通に此の事を問ひたるに、古語本説の句は水に塩入れたるやうにする事なりといらへられし……」と、朱拙のことばを伝える。
 古典を完全に内的な発想契機として生かしている点でも、注目に値する一句である。元禄四年の作。

 「菊の後(のち)」は、菊の花期が終わった後の意。
 「大根の外(ほか)更になし」は、大根だけがあるという意味を、否定形で強く表現したもの。
 「菊」は秋、「大根」は冬の季語であるが、菊は過去のもので大根は眼前のものなので、「大根」の句として解すべきであろう。
 大根の野趣ある点がとらえられている。

    「菊の花が終わった後には、愛すべき花がまったくないと昔の詩人はうたったが、
     わが俳諧には、大根があって、その風味ほかに比すべきものがまったくない」


      漂泊の思ひ大根おろしつつ     季 己