壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

桐の花

2008年05月09日 21時52分18秒 | Weblog
 さわやかな五月の朝。
 遠目にもそれと分かる、際立って美しい桐の花。
 澄みきった空を絵絹として、光琳好みの装飾画を見るように、のびのびとした桐の木の明るいポーズ。
 どうも桐の木は、遠くから眺めるものらしい。

   ☆桐の花 / 花桐
 ゴマノハグサ科の落葉高木。全国各地で古くから栽培されている。高さ10メートルほど。5~6月、葉の出る前の枝先に淡紫色の芳香のある花を多数つける。高い木の枝先に咲くので、やや離れたところから花がよく見え、情緒がある。材は箪笥、楽器、下駄、羽子板など用途が広く、木炭にしたものは、懐炉灰、花火の火薬にも用いられる。

 と、「現代俳句歳時記<夏>」(角川春樹・編)にはある。
 例句として、
     桐咲けり天守に靴の音あゆむ     山口誓子
     桐咲くや父死後のわが遠目癖     森 澄雄
     遠くより見る桐の木に桐の花     角川春樹
 など16句をあげている。

 桐の花は、「五三の桐」など紋所としても有名。そのせいという訳ではないが、“花桐”と用いるのは好まない。たしかに、秋桜子に「山宿や花桐がくれ屋根の石」という句があるが、桐に限らず、“花○○”という詠み方には、気をつけている。

 清少納言の『枕草子』に、
 「葉のひろごりざまぞ、うたてこちたけれど、異木どもとひとしう言ふべきにもあらず」
 という一文がある。
 みやびやかな美しさ、つつましやかなゆかしさを好む日本人に、あの桐の葉の大ぶりな味が好まれなかったのももっともだ。清少納言が、
 「唐土(もろこし)に、名つきたる鳥の、選りてこれにのみゐるらむ、いみじう心ことなり」
 と続けたように、桐に鳳凰という取り合わせが、唐様の異国趣味を満足させたのであろう。清少納言は、さらに続けて、
 「まいて、琴に作りて、さまざまなる音の出でくるなどは、をかしなど、世の常にいふべくやはある。いみじうこそめでたけれ」
 と、桐の木の効用にまで言及している。

 昔は、家に女の子が生まれると、桐の木を植えて、その子が成長した暁には、その桐の木で箪笥を作って嫁入り道具にする、という習慣さえあった。
 したがって、桐の花が毎年、紫の美しい花を咲かせても、植えた人の関心は、箪笥材としての桐の木の成長ばかりに集中して、花の美しさは、とんと見捨てられていたのであろう。


      亡き祖母に夢なら逢へる桐の花     季 己