壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

杜甫草堂

2008年05月27日 23時40分41秒 | Weblog
 「李白・杜甫の旧居など……大地揺れて 跡形なし」と、次のように『読売新聞』(5月27日 夕刊)は報じている。

 四川大地震の被災地・中国四川省で、唐代の詩人・李白や杜甫の旧居など、世界的な文化財に深刻な被害が出ている。
 中国政府は近く、全国の文化財専門家を動員し、修復に乗り出す方針だ。
 同省文物局などによると、江油市の李白の旧居でも山門が全壊し、書斎や寝室部分も大破。
 杜甫が約四年暮らした成都市の「杜甫草堂」でも一部の建物が倒壊し、清朝時代の花瓶二つが壊れた。
 省内で、国指定の重要文化財128か所のうち65か所で被災が確認されている。(以上、「読売新聞」より)


 「杜甫草堂」は、成都の西七里、錦江にかかる万里橋の西、浣花渓(かんかけい)のほとりに位置する。したがって、「浣花草堂(かんかそうどう)」とも呼ばれる。
 ここからは遠く西北に、万年雪をいただく西嶺(せいれい)も眺められた。
 杜甫は、その漂泊の生活に終止符を打ち、ここにようやく落ちつくべき草堂を得たのである。
 この草堂を営むと、杜甫は多くの友人たちに詩を送り、桃やスモモなどの果樹や竹などの苗木をもらいうけたりしている。

 当時、関中(かんちゅう)では、飢饉におそわれており、その経済生活は極度の混乱に陥っていた。その上、中原(ちゅうげん)の戦乱や、辺境の侵略も続いていた。成都はこれらのものから隔絶し、物資もまた豊富であった。
 この恵まれた地で、杜甫は、草堂のまわりの荒地を開き、耕したり、子どもたちと釣りに興じたり、自然を楽しみ自然の中へ入り込んでいった。
 今からおよそ1250年前の、成都での生活は、杜甫はもとより家族にもしばしば落ち着いた平和な日常をもたらした。
 杜甫の生涯の中でも、もっとも安定した生活を送ったのは、浣花渓の時代だった、という。

       春夜 雨を喜ぶ     杜 甫
   好雨 時節を知り   春にあたってすなわち発生す
   風に随って潜かに夜に入り   物を潤して細やかにして声無し
   野径 雲は倶に黒く   江船 火は独り明らかなり
   暁に紅の湿れる処を看れば   花は錦官城に重からん

      よい雨は、その降るべき時節を知っており、
      春になると降り出して、万物が萌えはじめる。
      雨は風につれて、ひそかに夜中まで降り続き、
      万物をこまやかに、音もたてずに潤している。
      野の小道も、たれこめる雲と同じように真っ黒であり、
      川に浮かぶ船の漁り火だけが明るく見える。
      夜明け方に、赤いしめったところを見たならば、
      それは錦官城に、花がしっとり濡れて咲いている姿なのだ。

 761年、杜甫五十歳の作。成都(四川省成都市)郊外の杜甫草堂で、春の雨をうたった詩である。
 前半は、春雨のやわらかく降るさまをうたう。
 小ぬか雨が、風と共にやってくる、というのは、雨を擬人化し、そのひそやかな到来を歓迎しているのだ。
 後半は、夜の景と明朝の景をうたう。
 天も地も真っ黒な中に、漁り火の一点の赤をとらえ、その赤のイメージが、朝の明るい光の中の濡れた花びらへと拡散してゆく。
 それは、成都の町いっぱいに咲き満ちる花だ。ちなみに、錦官城というのは、成都の町をいう。
 詩の中には、「喜」の語一つないが、おのずから、あふれるような喜びがにじみ出ている。

 成都が、この詩にあるような光景に戻れるのは、いつのことであろうか。一日も早い復興を祈るばかりである。


      喜雨晴れの三囲神社ぬけて来し     季 己