しょーきゅーし

怪しい妖しい尚休の、一寸気抜けの(含む危ない、過激)プレゼンツ&箴言?を

勧善懲悪

2006年03月03日 17時35分05秒 | こっち
 水戸黄門が好きでよく視ている。DVDも買ってしまった(ふぃぎゃー憑き)。

 最後はお決まりの印籠で、世直しなのだが、良く考えると、黄門様自体が絶大なる権力を持っているから出来る事なのである。裏に控える幕府や将軍、つまり、士農工商の頂点たる武士の棟梁の権力があればこそで、まかり間違うと、その権力の行使が、悪そのものになりかねないし、現実はその通りだったはずだ。

 何が善で何が悪か、等と言い出すと、哲学やら何やらで難しくなる。

 勧善懲悪物というのが在るとして、それで、すっきりする!ということは、この現実が、勧善懲悪からは程遠いからだろう。

 法律なんて物があるのは、規制なり何なりを、しなければならないからで、本当に必要なければ、つまり、善人ばかりならば、必要無い物。
 法律の数の多さで、その国がどんなものか判る。と聞いたことがある。

 尤も、本末転倒、法律があるから作り出されている犯罪者も居る訳だ。
 法律を絶対視すれば、杓子定規で測りきれない事も出てくる。アナログ時計ならば読める時刻も、デジタル時計ではカットされてしまい読めない。是と同じで、法律に無いから認めない。なんてことになる。

 善や悪が神々の偏見であるならば、神ならず身の我々人間が、彼是言うのは僭越なのかもしれない。

 しかし、現実に、生きていくためには、生活していくためには、個人個人の中での、自己の責任と信念に基づく、善悪の判断基準を持たねばならないのではなかろうか。と思う今日この頃であった。

     今日の箴言
<善の善なるは善に非ず、悪の悪なるも悪に非ず。ならば、我は我として我を裁き我を讃えん。>


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