街宣やテレビ番組だけでなく、「政策論議による代表選」を実現しようと、民主党有志が公開討論会を企画していたが、ついに実現した。これまではなかなか候補者同士が政策論議を戦わせることはなかったが、立教大のY教授がモデレーターとなって、円高対策、財政問題や成長戦略から、政権交代の意義や政権のリーダーシップ、新しい公共のありかたまでかなり広範に議論が行われ、1時間半の討議時間があっというまにすぎさった。
まあ客観的にいえば菅総理の得意な場面ではあったろうが、菅さんもテーマごとに自分の主張を含む踏み込んだ発言をして、聞きごたえがあった。
若手から「やはり民主党はこうでなくちゃ」という会話が聞こえたが、本当にそうだと思う。聴衆の動員やテレビ向けのアピールなどでなく、前もって提示された質問項目に、それなりに準備がなされ、二人の候補者がしっかり意見を述べたと思う。ほとんどのテーマで菅さんの主張の方が具体的で、現実的な政策のように思えたが、ただ、小沢さんも外交安保では鋭い意見を言っていた。むろん、かならずしも雄弁ではないが、この面ではより深い洞察が感じられた。
このような候補者間の政策論議が基本となると、これまで水面下での派閥やグループの駆け引きのような選挙自体、変容を迫られることになろう。それにしても、有意義な機会だった。
まあ客観的にいえば菅総理の得意な場面ではあったろうが、菅さんもテーマごとに自分の主張を含む踏み込んだ発言をして、聞きごたえがあった。
若手から「やはり民主党はこうでなくちゃ」という会話が聞こえたが、本当にそうだと思う。聴衆の動員やテレビ向けのアピールなどでなく、前もって提示された質問項目に、それなりに準備がなされ、二人の候補者がしっかり意見を述べたと思う。ほとんどのテーマで菅さんの主張の方が具体的で、現実的な政策のように思えたが、ただ、小沢さんも外交安保では鋭い意見を言っていた。むろん、かならずしも雄弁ではないが、この面ではより深い洞察が感じられた。
このような候補者間の政策論議が基本となると、これまで水面下での派閥やグループの駆け引きのような選挙自体、変容を迫られることになろう。それにしても、有意義な機会だった。
民主党に求めるのは、ボケないことです。
自分が何に対して責任を取ったのか、
あるいは何に対して責任があるのか、
しっかり認識すること。
個人の責任や経緯をうやむやにして、永田町的な意識で、
もっともらしいお題目や責任を唱えないこと。
あるいは、お花畑的な民主主義意識で、
焦点調節能力のない老眼のような今の日本のマスメディア、
その上っ面の部分を「国民」と勘違いして、
それに絶えず媚び、恐れおののいて、
翻って、自分達の、日本という国に対する責任を疎かにしないこと。
国民を無視した内々の人間によるお任せ民主主義も、
メディアの上っ面を「国民」と勘違いしたテレビ的民主主義も
時代じゃないと思います。
シンプルに民主党に投票した人に対する責任を果たして欲しいです。
誰もやってことのないことをやるのだから、
少々の失敗はいい。失敗したらそれをちゃんと認識して、
各々がそこから倍以上の実利をとる。やらないで停滞するより、
どんどんやって後から考えればいい。それぐらいの胆力を見せて欲しいです。