三田の障害者福祉会館で、障害者の性問題に取り組んでいるNPOノワールの会合があり、相模原市議で自らも障害者でもあるWさんの呼びかけで参加した。障害者自立支援法施行が次第に障害者や支援者を追い詰めている現状だが、これまでタブー視され語られなかった問題も表面化しだした。パラリンピックなどで車椅子の選手の活躍が賞賛される一方で、若者いや中年まで含め、障害者の性の問題がこれまで真剣に議論されることは少なかったが、こうした問題もようやくカミングアウトするにいたった。現実に自慰行為の介助や、より積極的な性生活のあり方を含め、これまではまったくと言っていいほど、具体的な支援は行われてこなかったといっても過言でなかろう。日本社会の現状で男性障害者がこの領域の解決を求めると、風俗との接点など、必ずしも社会的な理解を得られない問題があろう。それに公的私的な支援をすることにも議論があろう。女性障害者の場合はさらに必要情報が不足していると考えられる。そもそも、障害者は恋愛を含め、一人の人間として、どのような性生活を送ることが可能なのか、行政はどこまで関与すべきなのか、日本社会はほとんど関心すらはらってこなかったのではないか?会場から、死の問題に直面しようとしない日本社会の問題との類似点が指摘されていたが、同感だ。福祉分野はこの問題の先進国でもあるスカンディナビア諸国の事例などが報告されているが、はたして性の分野はどうなのか?日ごろ小生が取り組む問題とはまったく異質なテーマではあったが、これほどの重要問題がなおざりにされていることを考えると、一方でがらがらと音を立てて崩れつつある日本社会だが、解決いや少なくとも対応すべき課題ははるかに多く深刻であることを実感した。
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横浜やパリやロンドンの商店街はどんなショッピングセンターが出来たところでそれなりに生き残れるのは当たり前の事。
東京の商店街でもそれなりに生き残っています。
はなはだそれは稚拙な反論だと思いますよ?
巨大資本が細々と営業してる商店街の商店を踏み潰していく、それが現実です。
その巨大資本が反省を装ってデフレ競争に突入してさらに商店街を踏み潰していく、これは電通ではなく巨大資本のスーパーが行う事です。
電通は知恵を貸したに過ぎません。
障害者の人も他人が介入する事にホントに喜んでいるのでしょうか?
これだけ個人主義が推奨されてる現代で「同性愛」「低年齢での性教育」その他、性に関する事が政治問題化するのが非常な疑問です。
「性愛というのはあくまで個の問題で他人が介入すべき問題ではない」と個が尊重される現代だからこそ考えるべきでは?
あとは個人の価値観の問題でしょう。
他人の性に介入する事は個人の尊厳の面からもどうなんでしょうね?
日本の墓というのは祖という字の且の部分を模ったものだ、位牌も同じ。
且という字は男性器の象形で、子孫繁栄を現している。
元々道教からこういう信仰はきてるそうだが、日本人は先祖の墓や位牌に手を合わせる時に子孫繁栄も先祖にお願いしてきたわけだ。
沖縄の亀墓は逆に女性器を象徴しててこちらも子孫繁栄の意味がある。
しかし、個が尊重される現代では「子供は負担」「結婚は自由を制限する」という考えも幅を利かせてるから「子供は邪魔」と虐待死させる親もいて彼らに子孫繁栄なんて価値観はない。
極端に言えば「個の尊重」というのは先祖も子孫もない、ただ己があるのみという考え方もできる。
そういう価値観が正しいかどうかもこれまた個の価値観に任す、というのが先進的価値観だ。
その個が尊重される現在、民主党はマニフェストに「企業、団体献金の全面禁止」を盛り込むかどうかで揉めている。
これって所詮議員個人の問題じゃないんでしょうか?
議員個人の価値観で廃止したいと思えば勝手にやめればいいだけの話で有権者になんか関係あるんでしょうか?
「個の尊重」を言いながら最近その「個」がグチャグチャに溶解しはじめている。
また貴重なご意見を頂き、感謝しております。
今後ともよろしくお願い致します。