猛暑の中、農園の協働作業へ。冒頭、指導のOさんから、キュウリは今月一杯なので、来週に片付けるために茎を切って乾燥させよ..との指示。ショックを受けた。毎日十数本とれ、シーズンで1000本の収穫を生み出した8株の生命を絶つのか?!この時期、茎の根元を断つのは毎年のことだが、今年は特に収穫が順調だったゆえにその衝撃は大きかった。しかし、実際に畑に出れば、丹精こめてそだてたキュウリが葉は病気で黄や白が浮き上がり、キュウリの実も曲がったり、丸まったりしたものが多かった。やはり自然はリアリストで残酷だ。一休禅師の出家のきっかけとなったとも伝えられる「平家物語」の祇王の歌を思い出した。
「萌えいづるも 枯るるも同じ 野辺の草
いずれか秋に あわではつべき」
これは悲しい歌ということになっていて、若いときにはそうだと思っていたが、最近はこっちが年をとったせいか、そうは思わないようになった。無常というのは悲しいことでなく、単なる自然の摂理であって、数日後には鋏が入れられるキュウリも可愛い花をいっぱいつけていた。
「萌えいづるも 枯るるも同じ 野辺の草
いずれか秋に あわではつべき」
これは悲しい歌ということになっていて、若いときにはそうだと思っていたが、最近はこっちが年をとったせいか、そうは思わないようになった。無常というのは悲しいことでなく、単なる自然の摂理であって、数日後には鋏が入れられるキュウリも可愛い花をいっぱいつけていた。