すとう信彦 & his band

社会起業家(チェンジメーカー)首藤信彦の日常活動とその仲間たち

旧吉田茂邸全焼に想う

2009-03-22 15:31:48 | Weblog
大磯の旧吉田邸が原因不明の出火で全焼した。すでに所有権はずいぶん前にプリンス側に移り、そして最近では神奈川県による保全維持が行われようという矢先のことだった。外部庭園は開放されていたが、内部は公開されていなかったという。
正直言って複雑な想い。実はこの邸中は何度か訪れたことがある。二階に吉田茂愛用の総ヒノキの風呂があり、まるで和船のような船型に作ってあって、そこに身を沈めて風呂を長時間楽しんだという。一階には茶室に使われるような柱が一本あり、戦後の極端な物不足の中で、その柱だけで当時の金で100万円だったと、管理人が得意そうに説明していたのを思い出す。吉田茂は永田町から246そして第三京浜(彼にちなんでワンマン道路と昔は呼ばれた)経由で大磯までかっきり一時間で帰ってきたという。
なぜ、ここを何度も訪れたかというと、ここは70年代80年代にアメリカが日本人エリートサラリーマンや新進気鋭学者を親米路線に誘導する用具の一つだったのだ。当時、アメリカとの経済摩擦で、対米輸出そして米など農産品の対日輸入の多様な局面にもからみ、そうした日本社会の指導的役割をになう若手を親米派にしようという企画(おそらく)で、アメリカ大使館やアメリカンセンターの肝いりで定期的にセミナーや国際会議が開かれた。プリンスでいかにもやる気のある学者やビジネスマンが参加したがるセミナーをプリンスホテルを使って行い、そのあと、この吉田邸を訪問して、日米関係がいかに大切か、そしてその路線を作った吉田茂こそ日本の礎を作った偉人としてその遺徳を学ぶ...というのが吉田邸内訪問のいきさつだ。小生は別に親米派ではないから、やがてセミナーの声もかからなくなったが、友人に聞くと、そのあとでもずいぶんと呼ばれていったそうだ。大磯には吉田邸もプリンスホテルもそしてあまり知られていないが、エリザベスサンダーホームもある。
久しぶりに、当時の日米経済摩擦の裏側そして戦後史の裏面を思い出して複雑な想いに沈んだ。