SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

インランド・エンパイア19

2009年07月07日 | Weblog


「私は、まだ耳を持っているのか。私は、もはや耳にすぎず、それ以上の何ものでもないのか?」(ニーチェの『悦ばしき智慧』より)

 気合が足りないのだ。もっと瞑想して、集中して、リンチの無意識を底まで深読みせねばならない。そうしないと、この謎のウサギ人間にナメられたままになる。目には目を、そして謎には謎を。この『Rabbits』がいくら謎めいていようとも、ならばさらなる謎をぶつけてそれを粉砕するまでだ。以下の引用文は、クロソウスキーの訳したニーチェの『悦ばしき智慧』の一節にデリダが謎の注釈を加えたものである。このニーチェ―クロソウスキー―デリダという謎めきオールスターズの連係プレイをもって挑めば、絶対このウサギ人間に勝てるはずだ。

「私はただの耳にすぎないもので、それ以上の何ものでもないのか? ここ岩壁にくだける波の烈しいどよめきのただなかで(これは、よく言われるように、翻訳しえない言葉の洒落である。Hier stehe ich inmit-ten des Brandung。灼熱の鉄によってのこされた印のことも意味する。Brandの燃焼と親類関係にあるBrandungという語は、クロソウスキーが正当に翻訳しているとおり、岩壁にくだける波(res-sac)、すなわち、波が巌々の連なりに出会ったり、岩礁や断崖や突堤(eperon)などに当たって砕けるときの波が彼自身の上に立ち返ることであって)、その白い炎の波立つ立ち返りは私の足許にまでほとばしっているのであり(したがって私もまたeperon〔突堤、衝角、水切り〕である)――それは私に襲いかかる咆哮、脅迫、甲高い叫びに他ならなく、一方、最も深い地底では、年老いた大地を揺るがす者が、吼える牡牛さながらにおのれのアリアをうたっている(seine Arie singt、すなわちアリアドネーAriadneも遠くはない)。そうしながら、大地を揺るがすその足で、彼はこれらの風雨に曝された巌々の妖魔(デーモン)どもの心臓が震えるほどに拍子を取っている。そのとき、無から生まれでたもののように、この地獄めいた迷宮の戸口のところ、わずか数尋ばかり隔てたあたりに、幽霊のように音もなくすべりさってゆく一艘の大きな帆船(Segelschift)が姿をあらわす(~以下略)」(ジャック・デリダ著『尖筆とエクリチュール』より)

『ニーチェは、今日?』(ちくま学芸文庫)に収められた『尖筆とエクリチュール』の新訳『尖鋭筆峰の問題』の訳注によれば「アリアドネー」とは、「ギリシア神話に登場するミノスの娘。怪物退治のテセウスに糸を与えて迷宮から脱出する道を教えた。そこから難問を解く方法をアリアドネの糸という表現が生まれた」ということらしい。アリアドネの糸か......これには覚えがある。

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