SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

横浜トリエンナーレ

2005年12月29日 | Weblog
 永瀬氏がついに横浜トリエンナーレの「総括」を開始しました。その果敢な相互批判・理解への意欲に対して敬意を表したいと思います。たとえそれが川俣正からのメッセージを、もはや誤解を超えて誤爆させていたとしてもです。
 そもそも「総括」はもとより、その「評価」してみようとする態度自体が本当は間違っています(これは「批評を止めろ」ということではありません)。何事かを「評価」するためには、その「基準」が必要となります。実際、永瀬氏は何か「信頼に足りるひとつの基準」に基づき、今回の横浜トリエンナーレを「評価」「総括」しようとしているように思えます。しかしその信頼への欲望は、何によって維持されているのでしょうか。そしてどのように「管理」されているのでしょうか。
 私たちは川俣正からのメッセージを「ネタ」として受け止めてはいません。マジに受け止めているからこそ、そこで「遊ぶ」ことになります。「似顔絵」とか「卓球大会」とか、横浜トリエンナーレに参加したアーティスト達は、どうしてあんなに「ふざけている」のでしょうか? どうしてあんなに「だらしなく」、そして「ハリボテ」ばかりで作品の完成度が低いのでしょうか? あんなものは正直、どうやっても「評価」のしようなどありません。まさしく「評価の対象外」です。
 しかしアーティスト達は本気です。本気であるからこそ「ふざける」ことになる。アートに真剣であればあるほど「対象外」にならざるをえない。そこには奇妙なパラドックスがあります。

カリン・ハンセン3

2005年12月28日 | Weblog
 まずカリン・ハンセンという画家が、いわゆる「大きな物語の崩壊」という危機的状況の只中で絵を描いている、という前提をあらためて確認しておきたいと思います。永瀬氏と私たちの意見の相違は、あるいはこの「崩壊」という前提を、ネタとして笑うかマジに悩むかの差によるものなのかもしれません。ハンセンの作品を単純なシミュレーショニズムとして唾棄する永瀬氏であれば、この「大きな物語の崩壊」という事態さえも、そういうアイロニカルなストーリーだと鼻で笑い、メタメタに無限後退させてしまいかねない。そこにあるのは社会的現実への無関心です。90年代以降の世界のアーティストは、これまでの現代美術を支えてきた表象システムのルールに変わる、新しいコミュニケーションの方法を模索し始めています。それは新しい現実に対応した、新しいイメージの論理学です。何度でも繰り返しますが、カリン・ハンセンの作品にはアイロニーなどありません。ましてや「絵画の死」など問題にしてはいない。もっと何か大きな非日常的レベルの問題に、日常のレベルから取り組もうとしているだけなのです。

カリン・ハンセン2

2005年12月26日 | Weblog
 そして「退屈」には娯楽産業が、「空腹」には食品産業が、そして「忘却」には「記憶産業」が、それぞれ個人別に対応・管理する。そのように環境レベルでコントロールされ始めた日常から、いかに跳躍してみせるのか。90年代シミュレーショニズム(メタゲーム)以降のアートの世界で、それこそ「飽きた」とか「お腹すいた」とか「疲れた」といったような「生」のレベルがクローズアップされたのは、それがまさに管理のメカニズムが音も無く作動する層だからだ。アーティストと呼ばれる人たちは、そういう社会構造の僅かな地すべりを感知する。カリン・ハンセンも、「思い出す」とか「忘れた」といった日常のレベルで絵を描き、そして産業化された自分の記憶に「じかに」触れようとする。そこで記憶は、過去への招待状としてやってくる。カリン・ハンセンからの招待状にはこう記されていました。「この(過去の演奏会への)招待状をあなたから、あなたの親しい人へも......」

カリン・ハンセン

2005年12月25日 | Weblog
 永瀬恭一というブロガーが、横浜トリエンナーレに唯一「画家」としてエントリーしていたカリン・ハンセンの作品を観ておおいに腹を立てている。永瀬氏によればハンセンの絵画では、今もなお「絵画の死」を主題にしたアイロニカルなメタゲームが節操無く続けられているという。なるほど、確かに一見そう観える。というかそう観るほか無い気もする。しかし、そこに本当に「絵画」という形式に対する確信犯的なアイロニーなどあるのだろうか。もしハンセンの絵画が、そうしたメタゲームの外(リアル)を指示するものであるとしたら、今回の横浜ビエンナーレに招待された理由も分かるというものだろう。というのも、永瀬氏が何気にこぼした、その「飽きた」とか「お腹いっぱい」という発言こそが「外(リアル)」を如実に指示しているからだ。今回の横浜ビエンナーレのテーマが「日常からの跳躍」 であったことを思い出してみよう。私たちは日常的に何かに「飽きたり」「お腹いっぱい」になったり、そして「忘れたり」する。そう、また興味がわいたから、お腹がすいたから、思い出したから、絵を描くのだ。

偶然に哲学する

2005年12月21日 | Weblog
 東京大学石田英敬研究室の招きに応じて来日したベルナール・スティグレールの経歴は、さすがにフランスの哲学者らしく一風変わっている。なにしろこの「精神の政治学」を提唱する哲学者は、そもそも政治犯としての服役中(1978年から1983年までの5年間服役)にはじめて「存在」について考え出したというのだから、「哲学の道に入ったのは偶然です」という本人の弁はシャレにならない。しかも出生は1952年、ラジオ技師の家に生まれたという。ジャック・デリダの舎弟としても知られ、その薫陶を受けて著した『技術と時間』の内容は未だ知る由も無い(未訳)が、のっけからその思想と実践との辻褄が合いすぎている。まさか話を面白くしようとして嘘言ってるわけではあるまい? そんな与太話はともかく、このマニアックな思想家の哲学にこれから付き合ってみるのも悪くなさそうだ。

【放送大学テレビ特別講義】知の記憶・知の未来(1)「文化の記憶を求めて~文明の転換点で~」(1月1日 21時30分)にてスティグレールが登場し「一般器官学」について語る。ちなみに翌2日放送の第二部ではアガンベン等の「大物」が登場する。

簡単だったセグウェイ

2005年12月18日 | Weblog
 小泉首相は16日、ブッシュ米大統領から11月の首脳会談の際に贈られた最新式電動二輪スクーター「セグウェイ」で首相公邸から官邸に出勤した。いつもなら徒歩1分程度の距離を、中庭を横切るように大回り。池のそばでバランスを崩しそうになり、「おおっ」と声をあげる一幕も。約150メートルを走り、最後は官邸建物内にも乗り入れた。記者団から感想を聞かれ、「すいすいと操作もしやすかった。『電動竹馬』がどういうものか(わからなかったが)、ちょっと練習したら割合、簡単だった」と“二輪車出勤”に満足げだった。(2005年12月16日19時8分 読売新聞)

講義―20世紀絵画の歴史3

2005年12月17日 | Weblog
 三回目の講義もゲルハルト リヒターの作品について続けてお話したいと思います。前回、私は「リヒターの作品を観ることである種の臨死を体験する」と述べました。リヒターの絵を前にして私達は既に死んでいるのか?―この話はまるでナイト・シャルマン監督の映画『シックス・センス』を彷彿とさせます。あの衝撃のラストシーンを忘れられない人もいらっしゃるでしょう。でもこの映画で一番怖いのは、自分が実は幽霊だったことではなく、それに「これまで気が付かなかった」ということに尽きます。では何故、主人公は気付かなかったのでしょうか。幽霊からは人々が見えますが、しかし逆に人々からは幽霊は見えません。映画では幽霊が見えるのは「あの少年」だけでした。実際には、主人公はあの幽霊の見える少年一人とだけ話をしていただけで、他の人々とは「話をしたつもりになっていた」だけです。そしてそれで「いっさい何の問題も起きなかった」のです。コミュニケーションにおける「機械的、自動的なシステムの作動」によって、自分の不在を自覚することがなかった。幽霊は、リヒターの絵にシニフェエなきシニフィアンとして「非実体的に」宿るわけではありません。リヒターのいう仮象とは幽霊のことです。生きてもいなければ死んでもいない。一方からは見えても他方からは見えない。幽霊とは第一にコミュニケーションの条件であり、その本質なのです。その前提を失ったとき、幽霊は消える。そして「機械的、自動的なシステムの作動」それだけが世界に残る。幽霊が「自分は生きている」と信じ込むには、その「機械的、自動的なコミュニケーションシステムの作動」を、どこまでも勘違い、間違い、すれ違い、誤解していなければなりません。本当は誰とも「正しい対話」などしていなかった。ずっとこれまで間違っていたのです。しかしそれによって「信じる」ことができたのです。そして、これまで間違っていたのだから、もっと大きく遡って例えば「歴史」はどうなのか。 リヒターはどうして「歴史」を描くのでしょうか。
 何か決定的なことを言おうとしたのですがすでに忘れています。次の講義までに思い出しておきます。なにかご質問(というか文句)のある人はコメントください。

青い鳥のオヤジ

2005年12月17日 | Weblog
 愛犬のチャーリィ(柴犬オス5才)が部屋に転がり込んでくる。分かっているよ、またあの丸亀のオッサンのことだろう。上海でクタバッタのかと思っていたのだが、どっこい、まだ諦めていないらしい。だがブログタイトルを「一億円アート」から「こっそりアート」へと変更していることから、何か大きな心境の変化があったようだ。しかも、これまでとうって変わって「アートは金ではない」などと、らしからぬ事を言っている。では志すべきは「一億円」でなければ何なのかといえば、オッサンいわく「青い鳥」なのだと言う。

>常に最高のレベルの仕事を体験しながら、感動しながら生きていたいものだ。。青い鳥は実は近くにいる。。心が貧しいと見えない。アートでもニューヨーク最高!って馬鹿がイルが、低次元な食文化しか育たない街が文化を語るなんて100年は早いね。まあ、それに群がるアート難民はもっと哀れだが。青い鳥は近くにいるかもね。(2005年12月13日

 よせやい、何が「感動」だ。何が「青い鳥」だ。45歳のオヤジが口にする言葉か。「心が豊かに成れば青い鳥が見えるんだ」なんて、いつから詩人になったんだ? 中国三千年の知恵にしてもオオボケ大賞なフレーズだ。いくらなんでも「青い鳥」なオヤジは恥ずかしすぎる。「失恋」とか「本当の友達」といった言葉が裸足で逃げ出すほど恥ずかしい。こんな言葉をオヤジが普通に使っているなんてありえない事だ。まさかそのうち詩集なんか出す気じゃないだろうな。

オタクデリック展ポスター見本2

2005年12月16日 | Weblog
ポスター見本また届きました。このデザイナーもうクビにしますね。どうやら何か勘違いしているみたいなので。全然こっちのコンセプトを理解していない。これじゃあ単なるアニメフェスティバルでしかない。オタクデリックはあくまでもアートなエクスペリメントでありストラテジーなので、そのあたり理解してほしいものです。

オタクデリック展のポスター見本

2005年12月15日 | Weblog
デザイナーから「オタクデリック展」用のポスター見本が届く。これがプロの仕事だろうか。まるっきり中学生ポスターコンクールの世界である。一年生じゃあるまいし、もう少し気を利かせたらどうだろうか。例えばロゴをカムフラージュ・パターンで彩るとかして、もっとサイケデリックなカオス感を出したほうがいい。もちろんパワフルでストロングな感じも必要だ。なにしろこれから世界を相手に闘うのである。こんなんじゃ全然駄目だ。やり直し。

講義―20世紀絵画の歴史2

2005年12月13日 | Weblog
 第二回目の講義は、20世紀絵画の臨界点ともいうべきゲルハルト・リヒターの作品についてお話したいと思います。現在、川村記念美術館にてリヒターの回顧展が開催されています。受講生の皆さんはもうご覧になられましたか。このアンゼルム・キーファーに並ぶドイツ現代絵画最後の巨匠の展覧会は、アート関係者であれば絶対に観ておかねばなりません(ところで余談ですが、リヒターもキーファーも共に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞しています。リヒター第9回(97年)、キーファー第11回(99年)、共に絵画部門)。
 リヒターの作品の多くは、それを観るものに何か奇妙な不安感を抱かせます。たとえば、リヒターの描いたフォト・ペインティングは、みな何かがおかしい。だが何がおかしいのか、よく分からない。美術館で作品を続けて観ているうちに、何故か「ここに長く居てはいけない」という思いが強くなってくる。たぶん、ここでは何かが取り返しの付かない状態に陥っているような気がします。
「絵画の死」という言葉ほどリヒターの作品に相応しい言葉はありません。どうやら観る者に抱かせるこの不安感は、この即物的に「死んだ絵画」を観ているという実感から来ているようです。リヒターは絵画を殺す。そして観る者はその冷たくなった絵画に触れ、いたたまれなくなる。
 なんとなく納得しました。でも、どうしたのでしょうか。不安感は相変わらず続いています。何かがおかしい。リヒターの作品を理解すればするほど不安は増し、もはや恐怖すら感じ始めてきます。心の奥から「ここから逃げろ」と言う声が聞こえてくる。いったいこれは......。
 リヒターの絵を観ていると、確かに何かが死んでいるのを感じます。しかしどうやら「絵画」が死んでるわけではないようです。そう、リヒターが殺したのは「絵画」でもなければ「美術史」でもない。ではいったいそこでは何が死んでいるのでしょうか 
そこで死んでいたのはね、絵画ではなく、その絵を観ている自分のほうだったんですって(CV稲川淳二)。
 リヒターの絵が死んでいるのではなかった。その絵を観ている自分が既に死んでいるのです。人はよく「自分が死ねば世界も無くなる」と言います。もちろん本当に世界が物理的に消失するわけではない。だが自分のいなくなった世界とは、もはや「自分にとって」は即物的で不可知なモノの世界です。リヒターの絵には、そうした自分が死んだ後の世界の感触が描かれている。そこで私たちはリヒターの絵に何も見てはいない。すでに絵を前にして死んでいるのだから......。これが20世紀絵画の最後の真実なのです。
 何か間違っているような気もしますが、とりあえず今日の講義はここまでです。なにか質問等ありましたらコメントください。

あたしかはもう笑えない

2005年12月11日 | Weblog
 あたしかが、「KIRIN ART PROJECT 2005」に参加したカワイオカムラの作品について、「破れかぶれの解釈」を試みている。そこであたかしかは、まずドゥボールのスペクタクル社会論を得意になって開陳した後、カワイオカムラの「ヘコヒョン」について、「スペクタクルは何かを否認するという無理を通して表層として完結することになるだろう。その無理というのが、“ヘコヒョン”である」と結論付けている。ここであたしかは、何気に「クラインの壷」の循環構造の話をしている。つまりあの「現実界」の論理だ。だが、そもそもあたしかは「現実界」が何であるのか分かっていないようだ。普通に考えて、カワイオカムラの「ヘコヒョン」は、ソール・クリプキの『ウィトゲンシュタインのパラドックス』のリアル・ヴァージョンである。「プラスはクワスでは無い」という証明ができないように、「フィクションはヘコヒョンでは無い」という確証は無い。あたしかは「ヘコヒョン」を笑っているが、そのうち笑えなくなる。言葉は意味を持てないということに気付けば......。怖い話である。

講義―20世紀絵画の歴史1

2005年12月11日 | Weblog
 ぶっちゃけ、20世紀絵画の歴史は、「絵画の死」という物語への長き序文として語られる。「絵画の死」はつい最近言われ始めたことではない。すでに19世紀後半ば以降、つまりは写真技術が広まった頃から公然と自覚され始めた。写真は絵を殺す。だがここでパラドキシカルな転回が起こった。写真の発明により、絵画はついに「絵」から離れ、それ以外の何物でもない真の「絵画」として自律する。この絵画の自律が、技術によって可能になったという事実は重要である。というのも、基本的にこの技術/自律の関係は、のち20世紀絵画の歴史そのものを強く規定するからだ。「絵画」という形式は、広い意味での技術的革新のもたらす「絵画の死」によってこそパラドキシカルに回帰可能となる。この「絵」という記述内容と「絵画」という説明形式の分離によるパラドキシカルな自律循環は、そもそも「技術」により可能になった。であるが故、その技術の情報化により「絵画」という自律形式は、20世紀半ば以降から大きく変質することとなる。以下続く。(図はクラインの壷)

オタクデリック@コロンビア大学

2005年12月08日 | Weblog
 いきおいコロンビア大学で「スーパーフラット2」に関するシンポジウムやります。マリリン・アイヴィやアレクサンドラ・モンロー等、ドナルドキーン・センターの関係者を全員集めてやります。もちろん村上隆も出席してもらいます。やっぱ議論しなければ駄目ですよ。ただテクスト書いてショーやるだけじゃ駄目。きっちり話し付けないと、ケリ付けないといけない。みんなの前で言いますよ。もうひとつのスーパーフラットの存在について、開口一番こう言います。
みなさんは「スーパーフラット」が二つあったことをご存知ですか?
 知る筈が無い。知る由が無い。村上隆だって知らないのに、ニューヨークの連中が知っているわけがない。「オタクデリック」というのは、この「もうひとつのスーパーフラット」のことなんですよ。スーパーフラットは最初から二つあったんですよ。決して続編なんかじゃない......。とにかく期待していてください。