SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

ほしのこえ その5

2010年10月06日 | Weblog
RT @RosalindKrauss(ロザリンド・クラウス): しかしリオタールは、反復法則(すなわち、オンの後に必ずオフがくるのを、いわば保証する循環原則)にしたがうようなパルスとは異なり、このパルスには、循環が断ち切られる脅威がつねにつきまとっていると注意をうながしている。〔...〕この断絶は、次の接触に向けての出発ではなく、絶対的な断絶、終わりなき非連続性、つまり死。したがって、快楽と消滅とが交互にビートを刻むこのリズムを、反復強迫へと変換するのは、快感原則のもとで稼動している死の欲動にほかならない。(「見る衝動(インパルス)/見させるパルス」より、『視覚論』(平凡社)100ページ)

「ひとりの死は悲劇だが、集団での死は統計上の数字にすぎない」という言葉を残したアドルフ・アイヒマンは、そのための鉄道移送システムの責任者でもあった。ホロコーストの記憶は、列車の終着点、その「ガタンゴトン」という音の停止した場所に向けて黙される。茂木健一郎を「クオリア」へと目覚めさせたのは、この「ガタンゴトン」が予感させる「統計上の数字」への否認である。

RT @MogiKen(茂木健一郎): ガタンゴトン、ガタンゴトンという列車の走行音を、私はいつもと同じように意識の縁で聞き流していた。私の立っていた場所は、車両と車両の間の、連結器がある場所の上だったから、走行音は普通より大きく聞こえていたかもしれない。何がきっかけだったのか、よくわからない。突然、私の心の中で、「ガタンゴトン」という音の質感が、とても生々しく感じ取られた。そして、その質感が、音の周波数を分析したりといったアプローチでは全く扱えない「何か」であることを一瞬にして悟ったのである。(「クオリアへの目覚め」より)

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