SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

インランド・エンパイア9

2009年03月30日 | Weblog


>機関車(ロコモティヴ)がここでどこにいるのか、名詞のなかなのか、副詞のなかなのかは分からないが、最近『側道』で locommotion(生物の運動、移動、輸送旅行)という言葉を、旅の経験に私がつねに結びつける情動、さらには外傷を示すために使ったことを思い出す。(ジャック・デリダ+サファー・ファティ著『言葉を撮る』150ページより抜粋)

それだけ分かれば十分だ。何を読むべきかは知っている。

ゼロアカ道場4

2009年03月26日 | Weblog


 五回関門の審査の結果、男性3人が通過し、女性3人は落選した。女性参加者のうち口の悪い人は東浩紀のことをまた「ガチホモ」とか言って蔑むのだろうが、そういうことではない。批評の世界なんて昔から男ばっかりで、だから惚れてるんだよな。五回関門の男性挑戦者はもちろん、あれだけヤキぶっこまれた藤田にしたって、劣化コピーの天野年朗にしたって、それでも東さんのこと惚れてるんだよな。東さんだって浅田や柄谷のことマブいと思っていただろうし、そこなんだよな、女に理解できないところは。

ゼロアカ道場3

2009年03月24日 | Weblog


 ゼロアカの公開審査会で道場生たちに何より求められたのは「散乱を通して集中する」ということだった。2ちゃんねるやニコ動で何を言われようと、それが「現在の批評が置かれたポジション(東浩紀)」なのであり、たとえ藤田が乱入してこようと、気にせず議論に集中せねばならない。そして審査員の心を一発で、ひとつの言葉で射抜かねばならなかったのである。上の『地獄の黙示録』のドラン橋のシーンでは、ひとりの兵士が暗がりのなか敵兵を一発で仕留めている。すでに指揮官は居らず、マシンガンで何を撃っているのかも分からず、混乱の極みにある状態で、この兵士は「集中」したのである。「照明弾使うか?」「いらねぇ......近くにいる、すぐ目の前にいるぜ......」 ここでは何か神秘的なまでの集中力が、混乱を通して発揮されている。この集中力こそ、東浩紀の指揮がなくなった後のゼロアカ道場生たちに最も必要とされるものだろう。

インランド・エンパイア8

2009年03月23日 | Weblog


>ドゥルーズの『ニーチェと哲学』[国文社]によれば、マラルメは骰子を擲げることによって偶然を肯定したが、ニーチェはさらに進んで偶然の必然をも肯定した――多だけではなく多の一を、生成だけではなく生成の存在(すなわち回帰)を肯定するように。ドゥルーズはそのような高次の存在の一義性を強調する。(浅田彰「マラルメから始まる」より抜粋)

 というわけでマラルメを通して『インランド・エンパイア』について考えていたら普通に出てきたのがニーチェの「永劫回帰」なのだった。たしかに映画の後半に登場する娼婦たちはニーチェ的な強度を生きる存在であるかのように見える。ニーチェ的な強度とは、難しく言えばピエール・クロソウスキーいわくの「人格の同一性の下にざわめく言語以前の無数の欲動」のことであり、簡単に言えば宮台真司いわくの「まったり革命」のことである。なるほど、いかにも「まったり」としたエンディングじゃないか。

ゼロアカ道場2

2009年03月21日 | Weblog
>大学に入ってすぐくらいの頃、日本画の業界があまりにもくだらないことに憤って、平山郁夫氏に「先生、芸術って何なんですか」と子供じみた質問をしたことがありました。その時の僕は「こんなにくだらないところへ来るために俺は2年間も浪人したのか」と思うといたたまれなくて切実な叫びをあげてしまった訳です。平山郁夫先生は「君も若いからね!」と言いましたが、僕は「それは教育ではない」と思った訳です。今この話をするのは、そういう批判をしようと思うからではなく、日本の小中学校も高校も、教育の現場全てが同じような体制だと思ったからです。そうであったがゆえに、それを反面教師に東京芸大に在籍した11年間の特に後半は「美術」とか「芸術」とはどういうことかと一生懸命勉強して、博士号を取得するところまで意地でやりました。(村上隆 講演 PO+KU ARTレボリューションより抜粋)

 このエピソードを思い返すたびに胸が熱くなってくる。私は、この村上隆の「先生、芸術って何なんですか」というセリフを、あの岡本太郎の有名な「芸術は爆発だ」に匹敵するかそれ以上の名セリフだと思っている。このとき村上隆が心にどれだけ深い傷を負ったか、想像するだけで目から不思議な水が出てくるのだ。

「この芸術の無い国で、芸術を自明のものとして語ってしまう、そんな君たちにとって芸術とは何なのか?」という村上隆の「大いなる疑問」は、本来ならば逆にゼロアカ道場生たちが村上隆へと問いかけねばならないはずなのである。たぶん村上隆にとっては、彼ら生徒(道場生)が先生(審査員)に「芸術って何なんですか」とアツく問い詰めてこないことこそが「ショッキング」なのだろう。言うまでもなく批評とは、自明のものが実は自明ではないと疑うことから始まるのである。ましてやこの芸術不明の国で、批評家が芸術を自明のものとして自然に語ってしまうなんて、それだけで失格だろう。2ちゃんねるやニコ動MADが芸術か否かなんて、あまりにも、あまりにも中二すぎるのではないだろうか。

ゼロアカ道場

2009年03月19日 | Weblog
「誤状況論(文学環境論集L 498ページ)」で見せた東浩紀の「批評空間」へのすさまじい粘着ぶりは、しかし実は浅田彰や柄谷行人へのある「信頼」に負っている。それは、彼らだけは決してボケたりしないだろう、いつまでもしっかりとした知識人でいてくれるだろう、という信頼だ。しかし彼らも人間なのだから、そんな信頼はまったく根拠のないものだ。アルツハイマー病の浅田彰や、老人性痴呆症の柄谷行人など想像もつかないが、生身の人間である以上ありうるのである。東浩紀は、そんな恐怖――もはや郵便的不安を超えた途方もない恐怖――にひそかに怯えながら、いままで批評をやってきたのである。しかしゼロアカの道場生たちは、道場主の東浩紀が、たとえばとつぜん深刻な失語症を患ってずっと黙ったままになるなんて想像したことないだろう。そんな別れがやってくるなんて夢にも思ったことないだろう。しかし批評というのは、たぶんそのような「さようなら」を意識することから始まるのではないだろうか。道場主がいなくなるときに、とくに「私は人間だ」と語る東浩紀が消えていくときに、あるいは明日、おそかれはやかれ、もはや存在しなくなるときに.........。

マラルメとニコニコ動画

2009年03月17日 | Weblog


 250年前にブログ書いてたというルソーも凄いが、100年前にニコ動やってたマラルメもハンパないと思う。マラルメの『骰子一擲』って、どう見たってニコ動のコメントだろ。あのコメントの流れにそっくりなんだよ。読者を「ゲスト」って呼んでたらしいし。やっぱ先人たちのやることはすげーや。

インランド・エンパイア7

2009年03月02日 | Weblog
>虚構の仮説によって明かされた認識は、仮説が解釈される以前すでに、否定性のあらゆる力をもって存在していた認識であることが判明する。知に至ることは不可能だという認識は、知に至ろうとする認識の行為に先立つのだ。この構造は円環的なものである。未来を決定する、未来に関する仮説は、未来に先立ち、したがって過去に属する、歴史的で具体的な現実と一致する。無限の退行のなかで、未来は過去へと変えられる。ブランショはその退行を〈反芻(ルサスマン)〉と呼び、マラルメは、嵐が生のあらゆるしるしを破壊したあとの、はてしない無意味な海のざわめき、「なにか下方のざわめき」(『骰子一擲』)と呼ぶ。(ポール・ド・マン「マラルメを読むブランショ」ユリイカのマラルメ特集号より抜粋)

 ただでさえ難解なリンチの映画にマラルメの謎を重ねてどうするのかは知らないが、マラルメを通して『インランド・エンパイア』を観ることで少なからず分かってくることもあるだろう。上のド・マンの文章からは、やはりそういう理由で『インランド・エンパイア』にも「海洋」のイメージが混ざっているのだということが分かる、というか予想される、というか妄想される。ところで『インランド・エンパイア』には最後のほうに突然「子供」が登場するが、マラルメの『骰子一擲』にも謎の「子供の影」が登場しているという。訳者の秋山澄夫氏によれば、病気で亡くした長男アナトールなのかもしれないということだ。

>〈かの岸のデモン〉という箇所は、直訳すれば〈未来の過去のデモン〉であり、デモンという語を反対の形容詞で挟んでいるのである。〈そのあどけない影〉の〈その〉は、〈老いたる者の〉であり、〈あどけない影〉(未来への希望を託された新しい生命である子供の影)は〈デモン〉の分身は同格であろう。中期以後の重要な作品にしばしば〈子供〉が現れるようになるのだが、われわれの恣意よる交換によって、子供を〈つくり〉得るということが、なにか〈創造〉への驚異と希望とを示唆したのではないだろうか。愛児アナトールの無意識的再生がなされていたということも考えられないことではない。〈狂気〉については、カント『判断力批判』のなかに、〈原理に従って夢み理知によって狂う〉という禅語めいた文句がある。(思潮社刊『骰子一擲』の解説より)


マラルメと荒川修作

2009年03月01日 | Weblog
「結果的には二十世紀の芸術家、特に絵かきとしては、マラルメは通らざるを得ない。それを通らないのは、僕は芸術家といわない」(荒川修作)

 なにしろ「マラルメに始まる」っていうくらいだから、マラルメについて知らないでは済まされないのである。マラルメが総特集されたユリイカ増刊号(1986年)に掲載された討議「虚無の闇の中で苦闘したマラルメのあとで(菅野昭正と渋沢考輔と荒川修作との鼎談)」を読むと、荒川がマラルメを通してヘレン・ケラーについて考えているということがわかる。やはりマラルメに始まっていたのだ。

「まずマラルメの後期の詩は決してアブストラクトでもないし、そんなに抽象的なものでもない。僕にはすごく具体的です。僕はマラルメとヘレン・ケラーとよく一緒にするんですよ。ヘレン・ケラーという人は耳も聞こえないし、目も見えなかった。あの条件をマラルメはまず、つくりあげようとしたわけですよ。彼は、感覚に磨きをかけることに最も早くから成功した芸術家だと思う。ヘレン・ケラーと同じ状態に立って光を感知するには、毎日つくり上げなくちゃいけないんです。今日会った光というのは、明日は消えちゃうからね」(荒川修作)