SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

池田孔介氏の作品について

2006年08月08日 | Weblog
 率直に言って、私は、ニューヨークで公開された池田孔介氏の作品について、批難以上の感想をもつことができません。仮にそれがどんなにハイ・コンテクストな作品であったとしても、しかし「画布の代わりに鏡を恣意的に使っている」という事実において、もう全ての絵画的な理想がご破算になっていると思います。現代の絵画がたんなる室内装飾物と違うのは、それが「アイデア」に基づいていないからです。画家は素材を「考えて選ぶ」ことをしてはなりません。画家はつねにすでに「思考の手前に在るもの」を使って絵を描かねばならないのです。しかし池田氏の作品では、ある明白な目的のために鏡という支持体が選ばれている。その「~のために」という形而上学的な措置が問題なのです。しかしセザンヌを観ていて、そんなことも解らなかったのでしょうか。まったく残念です。