SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

馬鹿に芸術はできない

2005年09月30日 | Weblog
 最近、芸術が馬鹿になった。というか「馬鹿だから芸術やるしかない」みたいな連中が増えてきた。そういう連中にはそもそも「無知の知」が無いから、自分が何を知らないかを知らない。だからあるいは自分が馬鹿であることに気が付いていないのかもしれない。なにしろアートとイラストの区別さえ付いていないのだから、もうどうしようもない。マルセル・デュシャンもセザンヌも知らない。ただ楽しければ、面白ければアートだと思い込んでいる。ちょっとでも理論的に批判してしまえば、連中はすぐ泣く。顔をくしゃくしゃにしながら、わんわん泣く。心のこもった「気持ち」や「愛」や「笑顔」がなにしろ大事だというので、そこでは批評行為は殺人行為と同じだ。何か言えばすぐ「アートが死んじゃうよ」となる。もはや批評家は強姦魔であり精神異常者だ。
 でも本当は違う。白痴に芸術はできない。現代に生きるアーティストに必要なのは、レベル以上のインテリジェンスなのだ。そのためには、なによりまず自分が何を知らないか知らなくてはいけない。知らないことが何なのか分かれば、あとはそれを知るために勉強するだけだ。本を読んだり人に教わったりすればいいだけだ。そうしないと、いきおい「魂」や「命」の話しかできなくなる。学ぶことを忘れた傲慢なアーティストは、みんな「芸術は生命現象だ」とか「宇宙の真理だ」とか分けの分からないことを言い出すのだ。それこそ頭がどうにかしている。気が狂っている。
 だから学校を出てからも勉強し続けなくてはならない。むしろアーティストだからこそ、つねに何かを学び続けなくてはならないのだ。そんなのはあたりまえのことだ。言うまでもない。

慶應義塾湘南藤沢キャンパス
http://gc.sfc.keio.ac.jp/
とりあえず福田和也による「現代思想」の講義は修めておきたい。そしてあなたがもし女性なら「ジェンダーと近代」の講義も役に立つだろう。でたらめに思想用語を振りかざしても芸術的には無意味である。

東京大学大学院学際情報学府
http://iiionline.iii.u-tokyo.ac.jp/
水越伸による「メディア表現論」、あるいは石田英敬の「情報記号論」などがお勧めだ。パソコンを使えればメディア・アーティストになれるわけではない。

ニューヨーク派アートの70年

2005年09月27日 | Weblog
 現在『Yahoo!トラベル』では、雑誌『エスクァイア』と提携したニューヨークツアーの特集が組まれている。E.B.ホワイトのエッセイから始まるその上質なプロモーション・フラッシュ『Here is True New York』でまず紹介されるのは、抽象表現主義から現在に至る「ニューヨーク派アート」の70年の歴史である。
 その「ニューヨーク派」のフラッシュを眺めていると、なんだか自分が極東の日本猿であることを忘れ、その歴史にコミットする権利が無条件にあるかのように思えてくる。もはや「こたつ派(会田誠)」であることも「リトル・ボーイ(村上隆)」であることも忘れ、文脈無視で、翻訳無しで、何の問題も無く「ニューヨーク派」を普通に気取ることが許されるような、そんな錯覚が生じてくる。
 むろん自分が「ニューヨーク派」だなんて有り得ないことだ。だがたまにはマイルス・デイヴィスの曲でも聴きながら、そんなロマンチックな気分を楽しむのも悪くない。日本猿にも夢を見る権利くらいはあるのだ。

http://newyork.yahoo.co.jp/

伝わらないメッセージ

2005年09月24日 | Weblog
 かつてアート系コミュニケーション・サイト『創楽』のマスターでもあった現代美術作家の増山士郎氏が、今月10月号の『美術手帖』誌に掲載された自分の個展『パーキィパーティ』展(ベルリン)に関する報告記事(P142)に対して憤慨している。
 増山氏によれば、そのインスタレーション作品のコンセプトは、あくまでも「オープニングパーティが社交場と化している美術業界の慣習を風刺する」ことであり、けっして「現代人の孤独を取り上げている」わけではないとしている。そして、そのような誤解はある程度仕方ないとはいえ作家本人にとっては辛いことだ、と自分のブログに記している。
 増山氏のインスタレーションの特徴は、自分の仕掛けたパロデックな「罠」に嵌った人々を、その現場の「外」から覗き込んでいやらしく笑ってみせるところにある。しかしこれまでの作品にしてもそうなのだが、増山氏はいつも「外」で笑っている自分自身が、そのまた「外の外」で笑われているということに気が付いていない。そのような意味で、中村達也氏の「だから罠をしかけているつもりの増山氏が、美術というフィールドの中で、罠にかけたつもりが、かかっている状態なのでは…」というブログでの指摘はまったく正しいと思われる。
 増山氏はただちに「デカルト劇場」(ダニエル・デネット)から出なくてはならないのだ。現在陥っている不毛で単純なメタ・ゲームから逃れるには、まず「メッセージは正しく伝わるかどうか分からない」ということを認めたうえで、社会空間におけるコミュニケーションあるいはネットワークの性質についてより深く考察してみることが必要だろう。でなければ増山氏自身がここで否定している「現代人の孤独」をそのまま自らパロディとして体現してしまうだけだ。

http://shiromasuyama.seesaa.net/

燃え尽きちまったよ...

2005年09月23日 | Weblog
 2007年にロスアンジェルス現代美術館(LA MOCA)にて予定されている村上隆の回顧展は、かつての「スーパーフラット展」の時のような美術館付属のギャラリー(at the Pacific Design Center)ではなく、本館(GRAND AVENUE)での開催となる(はず)である。それは本当の意味で「回顧展」と呼ぶのに相応しい展観となるだろう。その本館で現在回顧されているジャン=ミシェル・バスキアのように、また村上隆もこれからはアート・ヒストリーの中で生き続けることになるのだ。それを「成功」と言わずして何と言うのだろうか。

 なのにどうして今の村上隆は元気が無いのだろうか。彼は最近「もう終わった」とか「やっと消えてゆける」とか、そんなことばかり呟いているようだ。いったいどうしたというのだろうか。しかも「今は作品作る気ない」とまでアナウンスしているのである(『美術手帖』誌7月号)。これはただ事ではない。村上隆の中でいま、何かが終わろうとしているのだ。ゲームは終わり、もうリングには立てない。あたかもそれは『あしたのジョー』の最終回で、真っ白に燃え尽きていこうとする矢吹ジョーの姿を思わせるのだが...。

丸沼芸術の森

2005年09月19日 | Weblog
 日本には美術館などの「作品」を収容するための専門的な施設は沢山あるが、それを制作する「芸術家」を収容するための専門的な施設はほとんど無いといっていい。美術系の大学や専門学校を卒業するということは、同時にアトリエという制作の場所を失うことでもある。しかたなく自宅にアトリエを構えたとしても、いろいろと受ける制約は多いものだ。とりわけ現代アートの場合には、まず大きな制作スペースを確保しなければならず、と同時に作った作品の保管場所も必要になってくる。とりわけ駆け出しのアーティストにとってそれは切実な問題だろう。

 埼玉県朝霞市にある「丸沼芸術の森」は、当地で倉庫業を営む須崎勝茂氏による非営利の「アトリエ村」である。アンドリュー・ワイエスのコレクターとしても知られる須崎氏は、ここで1994年からアーティスト・イン・レジデンスを開始し、これまでにも多くの若いアーティストを支援してきている。むろん村上隆の世界的な成功も、この須崎氏による無償のアーティスト支援無しには有り得なかっただろう。いまでもここでレジデンスを続ける村上隆にとって、この場所は、というよりこの場所を作った人間の精神こそは、特別なものなのではないだろうか。

 そこには何か芸術をめぐる男と男の友情があるように思える。おそらく須崎氏には何か本物の「アート魂」があるのだ。学校では決して教えてはくれない、青二才には解らない、芸術や人間に対する熱いハートがあるのだろう。

楠見清のカブトムシ解釈

2005年09月18日 | Weblog
 今月10月号の『美術手帖』誌では、すでに美術ジャーナリズムの世界から消失して久しい楠見清前編集長(ペンネームDr.GD)が、飴屋法水の「白い箱」について、破れかぶれの解釈を試みている。
 清によれば、そこで飴屋法水はカブトムシになっているのだという。そして「自分で自分を飼育することによって、その行為や奇妙な愛情の向かうベクトルを円環状に閉じようとしているに違いない」のだと言うのであるが......。
 はたしてカブトムシは「自分で自分を飼育」できるのだろうか。そもそもカブトムシに自然環境(飼育箱の外)と人工環境(飼育箱の中)の区別が付いているわけがない。すでにこの時点で清の「カブトムシ解釈」は完全に破綻しているわけだが、さらには「その環を狭めていけば、やがて存在そのものまで消失してしまいそうだ」と記しているのである。言うまでもなく「自分の尾を食べる蛇(=ウロボロスの蛇)」は永劫回帰や無限ループを意味するのであり、けっして「黒い小さな点に収束して消えて」はいかないのである。
 ここで飴屋法水は、亡霊的なコミュニケーションの場における生と死の関係を問うているのであり、それは清の考えるような一つの「消失点」を前提としないのだ。ましてやどう考えても「美しき消失点」など顕にしてくるはずもない。
 カブトムシの面白さは解ったが、与えられた課題にはもう少し慎重に応じてみるべきだろう。

絵画は勝利したか

2005年09月17日 | Weblog
 90年代という「絵画が失われた10年」を間に挟んで、かつての80年代の新表現主義(ニュー・ペインティング)の時代と、現在の「絵画の勝利」(サーチ・ギャラリー)の時代とでは、その絵画表現の方法にいかなる違いがあるのだろうか。

 サーチ・ギャラリーによる90年代の清算は、周知のように看板アーティストのデミアン・ハーストを追放するなどして大胆に行われた(ちなみに美術界の第一線から締め出される前に自ら終わっておこうと考える村上隆の日本男児的な潔さにくらべ、「もう誰でもいいから俺を買ってくれ」と言わんばかりに自分を安売りしだしたデミアンのその姿はなんとも惨めであると言うほかない)。

 サーチ・ギャラリーのこの決断は、「絵画が失われた10年」の責任が自分達の「面白主義的」で「尻軽」なコレクションの方針にもあったことを認めたうえでの悔悛でもある。なにしろ今年丸一年かけて展開されている『The Triumph of Painting』展の絵画プロジェクトに賭けるサーチの意気込みは尋常ではなく、もう冗談抜きで「本気」なのである。本気で「失われた10年」自体を追放し、80年代と現在を絵画表現の領域において邂逅させようというのである。

 ふたつの時代の絵画表現の構造的な違いは、80年代の新表現主義(ニュー・ペインティング)が基本的に「メタ絵画」であったのに対し、現在の絵画はいわば「メタリアル絵画」とでもいうべきものに変質しているところにあるように思える。

(この話は次回に続くので、いい子にしているように)

メタロマン主義

2005年09月15日 | Weblog
 もしこの展覧会がドイツではなく、「世界の未来かもしれない」日本で開催されていたら、これほどの反響はなかっただろう。
 今年の5月12日から8月28日までフランクフルトのシルン美術館にて開催されていた『イデアル・ワールド』展のコンセプトは、それをキュレイトしたマックス・ホライン(この美術館の館長でもある)の解説によれば、ずばり「メタロマン主義」である。 そこでは本来ならば「現実」に対する抵抗として組織されるはずのロマン主義的なイマジネーションが、もはや非現実化する現実を捉えきれないまま、逆にもうひとつの「メタ現実」をその内部に生み出すための手段になっている。
 主導する画家のひとりケイ・ドナチーのこの絵は、「さあ、一緒に行きましょう」と私達に囁きかけるが、行くあては無さそうだ。おそらく彼らは前方に見える光に照らし出された場所にただ座り込むだけなのだろう。もはや現実社会には戻れず、しかしユートピアを夢見る想像力も無くなった彼らは、その「現実」と「理想」の間にある森(メディア空間)から抜け出すことができないのだ。彼らはそのビデオグラフィックメモリーの中に閉じ込められた世界で何を物語るつもりなののだろうか。

物語は二度死ぬ

2005年09月13日 | Weblog
 新世紀を迎えた頃の(というより9・11以降の)美術界に現れ始めたその奇妙にアレゴリカルな絵画表現の特徴は、その絵の背後に暗示される大きな世界がすでに物語的な統制を失っているにもかかわらず、ひたすらドラマチックな記憶の想起を試みているところにある。例えばこのダニエル・リヒターの絵を前にして、視線はその出来事を物語として解釈できずに、いつまでも絵の表面に留まり続けてしまう。それは何かの物語の一場面ではなく、絵それ自体が物語として現実化してゆく光景なのだろうか。絵の描写と物語の生起が同時におこなわれるとき、原因と結果を規定する因果律の原理法則は果たせるのだろうか。やはり原因が発生する以前に結果が示されることで、物語りは二度目の死を迎えるのだろう。

知覚の扉

2005年09月11日 | Weblog
 ネアンデルタール人は約3万年前に滅亡したとされるが、その原因についてはいまだよくわかっていない。
 彼らネアンデルタール人は、その化石調査により、現生人類ホモ・サピエンスとくらべて前頭葉言語野よりも後頭葉視覚野のほうが発達していたことが知られている。
 もしその滅亡が、言語的な領域と知覚的な領域のどちらを拡大させるべきかという世界の創造主による壮大な実験の結果であったとしたら、現生人類ホモ・サピエンスはその与えられたバーバル(言語的)な能力によりこれまで生き延びることができたといえるだろう。
 ならばネアンデルタール人はノンバーバル(非言語的)であったがために滅亡したのだろうか。あるいは彼らはたんに「間に合わなかった」だけなのではないのだろうか。知覚的な領域の開発が遅れただけなのではないだろうか。
 現代文明は総じて非言語化し始めている。このままネアンデルタール人のように間に合わずに絶滅するか、それとも知覚の扉(=アート)を開いて進化するのか。おそらく人類は今その岐路に立たされている。

限りなきステテコ

2005年09月10日 | Weblog
 玉野大介の絵が好きだ。理由は解らない。その絵を最初に見かけたときはもう嫌で嫌で仕方なかったが、それも今思えば嫌よ嫌よも好きなうちだったのだろう。いまや私のPCのデスクトップにはこれまでのクリスタナ・ローケンの壁紙に替えて、玉野大介の最新作『限りなきステテコ』が貼られている。最高にいい気分だ。みんなもやってみたらいい。

http://www004.upp.so-net.ne.jp/tamadai/

世界の終わりの遊園地から

2005年09月08日 | Weblog
 村上隆の「スーパーフラット」という言葉に対する最初の疑惑は、それがあのディズニーランドとどう違うのか? ということであった。確かにディズニーランドはスーパーフラットな世界をすでに達成させてしまっていた。例えば大澤真幸の『世界の終わりの遊園地』と題されたディズニーランド論を、いまそのままスーパーフラット論として読み替えしてみても、さして問題ない。とりわけこの論文で指摘される「超遠近法的」あるいは「逆遠近法的」なディズニーランドにおける視覚のスペクタクルな演出方法は、村上隆の作品にも具体的に見られ、いきおい「岡崎乾二郎のポップ化」を証拠立てる。ここでスーパーフラット(超平面的)であることとスーパーパースペクティブ(超遠近法的)であることは、おそらく二次元立方体的に等しいのだ。

ヴェルベット・アンダーグラウンド

2005年09月08日 | Weblog
 ロックバンド系のイタい野郎が現代アートの引き金を引こうとする時には、だいたいヴェルベット・アンダーグラウンド&アンディ・ウォーホルのイメージを懐に忍ばせていたりするものだ。なにしろ音痴でギターも下手、おまけに犬からも見放されたルックスとくれば、もう早々に引退しておとなしく余生を過ごしたほうが自分のためにも仲間のためにも良いにきまっている。だがウォーホルのそのサイケなプリントに何かを感じた脱線ロック野郎が、今度はアートの世界に転がり込んで万が一の可能性に無担保で賭けてみるのはよくあることだ。そして再び脱線して二度目の引退を余儀なくされるというわけだ。三度目はもう無い。

闇の奥へ

2005年09月06日 | Weblog
 ジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』を原作とするフランシス・フォード・コッポラ監督の映画『地獄の黙示録(Apocalypse Now)』は、その内容の難解さにおいても、また映像的なスケールの大きさにおいても、スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅(2001:A SPACE ODYSSEY) 』と双璧をなす歴史的な大作であるとされている。

 この1979年に公開された『地獄の黙示録』が後のサブカルチャーに与えた影響は計り知れないが、しかしそれははるか聖書の時代から人々を魅了し続ける黙示録的な終末史観のひとつの経由地点に過ぎないだろう。サブカルチャー化したアポカリプス幻想はこの映画を媒体としてキッチュに増殖し、その影響は日本ではオウム真理教事件にいたるアノーマリーな時代背景とともに、例えばレントゲン藝術研究所で活動したアーティスト達の想像力の源泉となり、そして椹木野衣に『日本・現代・美術』を執筆させる動機-オウム真理教事件-以前の潜在力となっている。

 実際、ミスター・アノーマリー椹木野衣の著した『日本・現代・美術』が、そのイメージとともに『地獄の黙示録』のストーリーとよく似ていることは言うまでもない。メコン川を遡るウィラード大尉のように、椹木野衣は「悪い場所」の起源に向けて日本の戦後の歴史を遡る。それは「闇の奥」への終わらない旅だ。

JAPAN ART TODAY

2005年09月04日 | Weblog
 美術家の中ザワヒデキらにより自主出版されていたフロッピー・アート・マガジン「JAPAN ART TODAY」には、今をときめく日本のアーティスト達のインディーズ時代が生々しく記録されている。とりわけ飴屋法水や岡崎京子のデータは、村上隆の活動初期の記録とともに貴重である。書籍での刊行を待ちたい。

http://www.aloalo.co.jp/products/product-jat.html