SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

ほしのこえ

2010年10月01日 | Weblog
RT @Akirax(浅田彰):歴史的な文脈に話を戻せば、古来、ある限度を超える苦痛はそういう心的機制(解離)でやりすごすとったことがなされてきたかもしれないけれど、19世紀になると、良かれ悪しかれ人格というものは統一性をもったものだということになり、麻酔も発達してくると逆に苦痛というのは絶えがたいものだということになり、そこへまた鉄道事故や近代戦などでかつてない巨大な力が身体にとどまらず心身ともに大きなトラウマを被るのだというので、トラウマが前景化するということなんでしょうね。(斉藤環著『解離のポップ・スキル』173ページ)

 深海誠のデビュー作『ほしのこえ』は、電車の中で携帯電話を操作する少女のシーンから始まるが、おそらくこのオープニングで暗示されているのは、鉄道事故による少女の死である。実際、直後に「ねえ、私はどこにいるの。あ、そうか、私はもうあの世界にはいないんだ」という少女のセリフがあり、続く線路や踏切のシーンが、その絶えがたい経験の外傷化を示している。踏切を通過する列車をよく見ると国連宇宙軍の軍用貨物車であり、そこで何が運ばれているかはすぐに察しが付くだろう(たとえばスピルバーグの『未知との遭遇』や、オウム真理教事件の場合は、有毒の神経ガスだった)。鉄道の発明は脱線事故の発明であり、その事故の人為性が、外傷(トラウマ)をより強化するという。だが、この作品世界の全体を覆う「逆光」は、外界からの光ではなく、脳の神経レベルから発光している「内在光」と思われ、それは人が臨死体験時にも見るといわれている光である。この内なる光の麻酔・幻覚的な効果が、あたかも自然が本来的に持っている治癒力を発揮するかのようにして、心的外傷の経験をやさしく包み込んでいる。

RT @ChihiroMinato(港千尋):サックスはこれを視覚野の神経細胞による「自己組織化」として理解できるかもしれないと考えており、たとえば雪の結晶や流体の渦巻きのように、自然界のなかで起きることが人間の脳においても起きる可能性を排除していない。つまり自然がそのうちにもっている自己組織化という、普遍的な現象が、第二の自然である人間の脳においても起きることを、自分自身のこととして経験するのが、編頭痛などに際して見える幻覚ではないかと言うのである。(港千尋著『書物の変』135ページ)

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