SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

ルネサンス永瀬の謎

2006年01月28日 | Weblog
 ルネサンス永瀬はどうして「このblogでは基本的な縛りとして記述する作品の画像は提示しないことにしている(2006-01-20)」のだろうか? ブログというのはもちろんウェブログのことであり、このウェブ(WWW)が画期的であった最大の理由のひとつが、画像データの利用・交換可能性である。百聞は一見にしかず。彼は自分の観た絵を百の言葉で再現しようと試みているが、たった一枚の画像データがあれば事は足りるのである。もし「画像を提示しない」というその「縛り」が、言葉(美術批評)の復権を期待するものだとしても、そうした限定は実際には反動的であるばかりか倒錯的ですらある。おそらく彼にとって「生きた記憶」としての作品体験(アウラ)を語る権利を持つのは、真理に奉仕する言葉だけである。だがしかし、彼は自分が観た絵を思い出す為にも「死んだ記録」としての画像データに頼らざるを得ない。死んだ記録=エクリチュールは毒にも薬にもなるパルマコンである。そうしながら彼は、その毒性から生きた作品体験を守るために、画像データの蔓延するインターネットの内部に、現実から切り離されたメタリアルなシンボル空間をあえて作りだそうとしているかのようである。そこで彼の「縛り」は、.たとえばナイト・シャマランの映画『ヴィレッジ』の、あの長老たちの「掟」と同じように倒錯している。

アナ・パトリシア・パラシオス

2006年01月26日 | Weblog
 このいささか破廉恥な絵は、アナ・パトリシア・パラシオス(1961年コロンビア生まれパリ在住)という画家の作品です。パトリシア本人の写真を見ると、なかなか素敵な女性ですね。インテリジェントな大人の女って感じがしますが、それは作品の内容も同様です。パトリシアの描く具象画は、単なるチャイルドフッドなイラストとは異なり、かなり知的に洗練されています。このパンツ丸出しで「私は誰?」と顔を覆っている女の子の絵は、これまで「双子の姉妹」という自身の経験から差異と反復の関係を問い続けてきたパトリシアにとって、他者との新たな関係を開きます(たぶん)。「私」のアイデンティティは「誰」の反復によってその差異がどのように見出され、また隠されるのか。大胆な構図と繊細な描線、そして慎重な彩色によって描かれるその孤独な出来事を、けっして見逃してはなりません。別に見逃しても実際なんら問題ないけど(爆)。

サイモン・ノーフォーク

2006年01月21日 | Weblog
 ナイジェリア出身の写真家サイモン・ノーフォーク(1963~)は、英国オックスフォード及びブリストル大学で社会哲学を専攻した後、左翼系の出版社でフォト・ジャーナリストとしての実務経験を積んでいる。90年代半ば頃までに彼の関心はジャーナリズムからファインアートに移動し始め、マルクス主義以降の時代の本質を、戦争と風景との関係から問い質そうとする。彼が世界中のカタストロフの現場で撮影した写真には深い絶望感が漂っているが、同時にそこには人々を惹きつけ困惑させる奇妙な美質が存在している。それはもはや象徴的理性を失い、これから崩壊していこうとする世界に残された最後の希望なのかもしれない。『For Most Of It I Have No Words』―1998年に刊行された彼の最初の写真集のタイトルである。

http://www.simonnorfolk.com/

メアリー・ブーン

2006年01月19日 | Weblog
 1978年のある日、レオ・キャステリは、ソーホーの同じビルでギャラリーを運営しているメアリー・ブーンが、自分に内緒で何か企んでいることに気が付いた。当時のコンセプチュアリズムの停滞感にウンザリしていたレオ・キャステリは、この若い女性のギャラリストの元気のよさが気になって仕方がない。訊けばどうやら凄いアーティストを発見したらしい。「そういえば最近、メアリー・ブーン・ギャラリーに出入りしている妙な風体の男をよく見かける。しかしあの男はどこかで見かけたことがある。そうそう、レストラン『ロカール』で皿を洗っていた男じゃなかったかな。でも厨房の皿洗いがギャラリーに何の用だ? いったいメアリーは何を考えているのだろう......」 1979年、その皿洗いの男ジュリアン・シュナーベルは、メアリー・ブーン・ギャラリーで最初の個展を開く。おそるおそる覗いたレオ・キャステリは、そのありえないネオ・エクスプレッショニズムの絵画に驚愕し、次の年にはメアリー・ブーンと共同で、そのシュナーベルやデビッド・サーレの個展を手掛けるに至る。このメアリー・ブーンにより発見されたアメリカン・ポストモダニズム絵画の最初の衝撃は、当時台頭しつつあったドイツ新表現主義の絵画と合流することで、その破壊力を増して世界中に拡散させていくことになる。このとき、メアリー・ブーンは30歳前にして既にニューヨーク・アート界の「女王」と呼ばれていた。だがこの「女王」は、美術の歴史以後をプロデュースした最初のギャラリストでもある。1980年、ついに虚構の時代が始まったのだ。

http://www.maryboonegallery.com/

レオ・キャステリ

2006年01月17日 | Weblog
 パリのユダヤ人画商であったレオ・キャステリは、1943年にナチスから逃れるためアメリカに亡命する。移住先のニューヨークで彼は、同じくヨーロッパから亡命した抽象表現主義の画家達(ニューヨーク・スクール)の活動にシドニー・ジャニスらと共に関わり、美術の中心地をパリからニューヨークに移すことに手を貸している。しかしニューヨークで発見したアメリカの若い画家達に新しい可能性を見出していた彼は、1957年に年に自分の画廊をオープンし、そこから抽象表現主義以降の新しい現代絵画の歴史をスタートさせることになる。それから30年間、レオ・キャステリは、ニューヨーク・モダンアート界のボスであり続けた。この写真で、顎に手をあてている真ん中の人物がレオ・キャステリである。1999年に91歳で亡くなっている。

http://www.castelligallery.com/

ゼロ年代の写真論

2006年01月15日 | Weblog
 東京写真美術館開館10周年を迎えた2005年度(2006年)の新進作家展は、「私性(プライベイト)」を全体テーマとして、現代の写真表現をこれまでより多様な観点から検証します。本展は、「現代写真」や「現代美術」またハイカルチャーやサブカルチャーといった複数の文化領域に分化・棲み分けされた状況である現在のシーンを連続したものと捉え、ゼロ年代(西暦2000年以降)をひとつの展覧会として提示することを目指します。日本および海外で、2000年以降に頭角をあらわしてきた若手・中堅作家のうち、7カ国から15作家/グループを取り上げ、写真映像の新たな可能性や価値観を問いかける展覧会とするものです。 >>詳細はこちら

トレヴァー・ブラウン

2006年01月15日 | Weblog
 これはもう皆さんよくご存知のトレヴァー・ブラウンですね。メディカル&ベイビー・アートの巨匠です。ジャパニーズ・ロリータ趣味が高じて、今ではちゃっかり日本に住み着いているようです。さすがに母国イギリスでは怒られちゃうんでしょうね。この人の仕事は、90年代後半以降の日本のサブカル・アートシーンに大きな禍根を残しました。会田誠や村上隆のかつての作品にも、その影響は認められます。いまも熱狂的なファンがたくさんいるアーティストです。

http://www.pileup.com/babyart/

盲目の写真家

2006年01月14日 | Weblog
 港千尋氏の紹介により日本でもよく知られるようになったユジェン・バフチャルは、全盲の写真家である。であるがゆえ、その作品は、バフチャルが本当に期待したイメージなのかどうかは誰にも分からない。モデルやアシスタント、そして友人達による撮影時のコラボレーション・プロセスは、そこでバフチャルとのイメージの共有が成功していると「信じる」ことで続けられる。そしてその作業は、のちにバフチャルの作品を鑑賞する人々の間でも継続する。そのイメージが正しいのか間違っているのか分からない。ただ信じるしかないのだ。>>バフチャルのウェブサイト

東京藝術大学卒業・修了作品展

2006年01月14日 | Weblog
 平成18年2月22日(水)~2月26日(日)、東京芸術大学大学美術館、東京都美術館ほかで第54回東京芸術大学卒業・修了作品展を開催します。また、美術学部先端芸術表現科および大学院美術研究科先端芸術表現専攻は、平成18年1月28日(土)~2月5日(日)、旧関東財務局(横浜市)を会場に開催します。>>詳細はこちら

リズ・ニール

2006年01月14日 | Weblog
 おいおいリズ、なんて絵を描いているんだい。やりすぎだぜ、いくらなんでも。モダニズムのオヤジ達が腰を抜かしちまう。「女に生まれたことは偶然だけど、アーティストになったことは必然なのよ」と語るこのパンク姉ちゃんにとって、アートとは第三のセクシャル・アイデンティティなのである。......といえばカッコイイけど、どうだろねぇ、この展覧会の有様。そのうち本当に怒られるぜ。

アシッド・ドロップス&シュガー・キャンディ

2006年01月12日 | Weblog
 う~ん、このドロップもいいけど、あのキャンディも欲しいなぁ―ロンドンのふたつの画廊、トランジション・ギャラリーとフォスター・アートにて開催された『アシッド・ドロップス&シュガー・キャンディ』展は、なかなか素敵な企画展だったみたいだ。エミリー・ジョー・サージェントのフラット・ペインティング、サラ・ドイルのロンドン・ガールズ・ブラボー、エマ・タルボのコンバイン・イラストレーション、そしてクレア・ペスタリエのキモかわいい絵も、みんな最高にチャーミングじゃないか。もちろん、モダンアートな大人たちは分かってくれないだろう。でも、そんなこと知ったこっちゃない。オールドスクールなモダンアートなんかファック・オフさ。アシッド・ドロップスとシュガー・キャンディのテイストは、あんな老いぼれた連中には分かりゃしないさ。そうだろ、ポーリー。

デビッド・ホーキンス

2006年01月12日 | Weblog
 いま皆さんがご覧になっているこの絵は、つい最近発見されたマティスの未発表作品......なわけありません。この絵はイギリスのデビッド・ホーキンスという画家が2001年に描いた作品です。おそらく、マティスやホックニーみたいな絵なら「俺にも簡単に描けそうだ」というただそれだけの理由で、とにかく描いてみたら「こんなふうになったよ」という感じの絵です。セックス以外に何もすることがなく、ただぶらぶらと生きていた怠け者のデビッドは、ある日パートナーのジェーンに「アタシをモデルに絵でも描いてみたらどう?」と言われ、とくに断る理由も無いので、やってみたわけです。暇なんでジェーンの尻を描いてみたわけです。それだけの絵です。

ヨープ・オーバートーム

2006年01月09日 | Weblog
 このかなり知覚劣化の進んだ絵は、ヨープ・オーバートーム(オランダ1981~)というペインターの作品です。手前のグラウンドから通りをはさんだ後ろに、学校舎らしき建物が見えます。真ん中の白い台形の太線は、鉄棒なのかサッカーのゴールマウスなのか、よく分かりません。この謎の白線は手前の水溜りらしき水面にも写り込んでいます。この絵は、全体的に色数は少なく塗りも平板なので、およそ質感というものがありません。また横断歩道のストライプにより、かろうじて遠近感が保たれているように見えますが、しかしその両サイドのラインは、植え込みのグリーンによって巧みに隠されてます。しかも絵の中心部には、色面の境にくぼんだ影が確認できます。一見フツーのヘタな絵に見えるのですが、よく見るとヘンにウマい絵です。

http://www.joepovertoom.nl/

ジョジォ・ワイズンスキー

2006年01月08日 | Weblog
 マトリックスのネオがどうしたって? いえ、これはジョジォ・ワイズンスキーという画家の描いたスーパーリアリズムの絵画作品です。それにしてもあんまりではないでしょうか。この画家は、ふだんからこうした自分の好きな映画のシーンやロックミュージシャンの写真等を、そのまんま、見たまんま描いているようです。こうなるともうスーパーリアリズムではなく、スーパーフラット・リアリズムとでも呼ぶべきです。何故それをリアルに描かねばならないのか、その理由が分かりません。ここでは何かの人間的な限界が突破され、すべてが「後の祭り」となっている。何もかもが手遅れになった後の祭り......。「スーパーフラット2」の核心もそこにあるのです。

http://www.artshole.co.uk/joziowyszynski.htm