ICC HIVEにて公開されているシンポジウム「ネットワーク社会の文化と創造」の映像記録を視聴してもなお、あの永瀬恭一氏は現在のハイパー・インダストリアル社会における最大の人間的課題が何であるのか、いまだに解らずにいるらしい。ここで重大な課題として出される「再帰性」の問題がおそらく構造的あるいは論理的な問題である以上、それは意思や啓蒙の力で解決されるような問題ではない。この問題は、人間が人間である以上、まさに人間が人間であろうとするが故のその論理的な帰結として避けがたく現われてきているものである。永瀬氏がこの問題の困難さに無自覚なまま「参考になる」などとカルチャー教室の生徒よろしく気楽に「お勉強」して済まそうとするのであれば、もうこの人は制作も評論も止めるべきである。再帰性の回路が広がったネットワーク世界においては、明解(覚醒)であろうとすればするほど不明解(夢遊)が増大していく。永瀬氏が「むしろ明解であるべきだと思う」と藤幡氏の意見を安易に反駁するとき、この逆説について考えているのだろうか。人間が人間であろうとすればするほど、その人間をいつか止めなければならない時がくる。アートが絶対的に人間の側のものである以上、このわけのわからない逆説をなんとかせねばならない。アートとは計算不可能なものの経験であり、それを実行するのはとても難しい。我々はそう言った。今夜一晩そのことについて本気で考えてみるべきである。
クオリア原理主義の茂木健一郎とラカン原理主義の斎藤環の直接対決はもう避けられないと思う。茂木は2005/02/02のクオリア日記にて、文芸評論家としての斎藤を「その深層心理において実はポピュリズムに依拠している」と厳しく批判している。そして精神分析に対する脳科学の優位を、そこで何気に仄めかしてもいる。ネット神経症の斎藤がこれを知らないわけがない。それまでも昨今の脳科学ブームを批判していた斎藤が、その首謀者である茂木を名指しで批判したのは『美術手帖』誌の脳科学特集号においてである。聞き違いでもなければ誤植でもない。そこで斎藤は茂木についてはっきりと「後退している」と述べている。ついに表面化したクオリア原理主義とラカン原理主義の対立。どの雑誌でもいいから、このふたりの対談デスマッチを企画すべきである。「すべては脳からはじまる」のか、それとも「すべてはラカンのおかげ」なのか。すべてを賭けた決戦の日は近い。
日本車の性能が欧州車のレベルに追いついたのはおそらく1991年、トヨタチームがモンテカルロラリーを制覇したその年であろう。だがこの記念すべき勝利は、たなぼたの勝利であった。ひとりの無名の走り屋が、この伝統と格式のある大きなイベントで、予想外の番狂わせを演じてみせたのである。フォードチームにスポットで抜擢された地元の走り屋フランソワ・デルクールが、トヨタの期待するカルロス・サインツや名門ランチアのスタードライバー達をおさえ、ラリー最終日までトップを独走していたのである。最終SSの夜のチュリニ峠には、このフランスの新しい英雄を歓迎しようとする人々が多く集まり、いつもより盛り上がっていた。だがそのゴール前あと僅かのヒルダウンで、デルクールの車はまさかのサスペンション・トラブルをおこしてしまう。まともに走らなくなった車をなんとかゴールさせたときには、順位は三位にまで後退していた。この映像では、ゴール後に泣き伏せてしまうデルクールを人々がなだめ、その健闘を称えている。いいシーンだ。
芸術はクオリアを決して愛さない。高橋悠治とモギケンのこの対話を聴いていて、あらためてそう確信した。この最初から最後までまるで話のかみ合わない対話において、モギケンはこの音楽家にずっと遊ばれているだけだ。だがそれも仕方あるまい。高橋悠治が指摘するように、クオリアなど所詮は「神秘主義かオカルト」にすぎない。そんなものを現代芸術の女神達が愛するわけがない。いや、芸術の女神達のみならず、それはもはや科学の神様達にも愛されてはいない。クオリアの解明はノーベル賞100回分の価値があるという主張も、それが「疑似科学」である以上、もはや正当な科学のとは何の関係も無いという意味において、要するにありえないという意味において、至極当然であろう。科学に見放され、芸術に見放され、そして最後に流れ着いた先の「アハ体験!」こそがクオリア原理主義のすべてである。クオリア神秘主義、体は大人でも脳みそは子供のままの人達に大人気だ。
アニメオタクのあたしかがコンプレッソ・プラスティコの作品について何か言っているが、相変わらず何も解っていないようだ。松蔭浩之と平野治朗がそこで表現していたものとは、端的に言って「計算可能な量域での死」である。ティム・オブライエンの小説のタイトル『僕が戦場で死んだら』(If I Die in a Combat Zone)を変更して言えば、それは「僕が模造世界で死んだら」(If I Die in a Simulacre Zone)である。80年代後半には、すでに計算可能なものの量的な拡大が、計算不可能なものの経験としての「死」を圧倒し始めていたのだ。すべてが一分の隙も無く計算シミュレートされ、いっさいの〈出来事〉が起こらなくなった模造世界の中で、彼らはアイロニカルに「死んだふり」をしてみせていた。だが現在、もはやそんな抵抗をしてみせる必要などなくなった。その理由は......ていうか、正月早々からそんな愉快とはいえない話をさせるわけ? かんべんしてよ。