SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

Yang Zhenzhong "I will die" Biennale

2007年11月19日 | Weblog


 今年のベネチアでも評判を取っていた中国の作家ヤン・ジェンジョン(楊振中)の映像作品『私は死にます(I Will Die)』のひとコマに、もしあの「私は死なない」の荒川修作が紛れ込んでいたとしたら、これは普通に洒落にならないだろう。ジェンジョンのこの作品の正式タイトルは“(I Know) I Will Die" (私は自分が死ぬことを知っています)である。もちろん登場する人々が、それを事実として知ってはいても、権利として信じてはいない(つまり真に受けてはいない)ことはあきらかである。「私は死にます」という言葉は一見とても消極的で受動的なものに思えるが、しかし事実に対して強い否定的権利を行使しているという意味において、実はとても積極的で能動的な言葉なのである。ならば反転的に荒川修作の「私は死なない」という言葉は、消極的ではないしても大いに受動的で、そして何よりも「無防備」なものとして考えられる。なにしろ「私は死なない」という言葉は「私は死にます」とは違って、あるいは独りでは言うことのできない言葉であろうからだ。とはいえここで、死を真に受けないジェンジョンのユーモアと、不死を真に受ける荒川修作のシリアスとを比較検討している余裕はない。ジェンジョンの作品が複数のプロジェクターを使用したビデオイメージのインスタレーションであることから、そこに何か以外な共通点が「反転」を通じてあるような気がしてならないのだ。ていうか何か基本的なレベルで理解を間違っている気もするが(爆)。


「保坂和志ブートレグ」について

2007年11月11日 | Weblog
 当ブログでも紹介した「保坂和志ブートレグ(海賊盤)」の存在が界隈では「ちょっとした事件」として問題になっているようである。もちろん講演者本人の許可無くしてこのような行為を行なうことは本来許されないことである。しかし、その講演録音のブートレグ・ファイルは、はたして葉っぱ64こと栗山光司氏や、あるいは中央大学学術連盟文学会のウェブ担当者が言うような「非公式に公開された音源」だったのかどうか。アップロードされた無料ストレージ・サービスの該当ページには、それとわかるファイル内容への説明は一切ない。どう見てもそれは「公開」が目的ではなく、個人間のファイル送受信の中継点に利用されたに過ぎないようである(メールに添付するにもサイズが大きすぎるからだ)。そして、ほとんどの無料ストレージ・サービスではハードディスクの容量確保のため、一定期間アクセスの無いファイルは何もしなくとも自動的に削除されるはずである。
 実際、そのファイルを「保坂和志ブートレグ」として「非公式に公開」してしまったのは、他でもなく葉っぱ64こと栗山光司氏と、あろうことか講演主催者であるはずの中央大学学術連盟文学会のウェブ担当者なのである。どうして「非公式」であるはずのブートレグ・ファイルが講演者本人の掲示板や、そして公式主催のウェブサイトから直接リンクされているのだろうか。これはとんだ茶番だ。呆れてものも言えない。ふたりは直ちにブートレグ・ファイルへのリンクを外し、そして正式に謝罪すべきだろう。保坂先生の心労を思うと胸が痛くなる。

保坂和志×古谷利裕

2007年11月04日 | Weblog
 ようやく身辺が落ち着いてきたのでまたろくでもないことを考えた。以前、私は古谷画伯のことをその文章から「なんだか犬が臭う」と書いたが、実際に今日、中央大学で目にした画伯は、犬に喩える必要もなく現に犬そのものだった。私はその事態にいささか興奮しながら、同時に、あらためて、保坂和志のような本物のオッサンに一度でいいから怒られてみたいと願うのだった。

http://www.mediafire.com/?fmly0dyz92l