SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

インランド・エンパイア14

2009年06月12日 | Weblog
 部屋でひとりで瞑想していたら、突然ジル・ドゥルーズから電話がかかってた。ジルは「俺の『シネマ1』を読んでみろ」と、ただそれだけ言って電話を切った。愛犬のチャーリー(柴犬オス8歳)がすっかり怯えているが、最近いろいろな人から電話がかかってくるようになったのだ。さっそく『シネマ1』を読んでみた。

「孤立した顔の表現は、それ自体で理解されうるひとつの全体であり、思考によっても、空間と時間に属するものに関しても、その全体に付け加えるべきものは何もない。たったいま群集のただなかに見えていた顔が、その周囲から切り離されて浮き彫りにされるとき、わたしたちは、あたかも突然その顔と向かい合っているかのようになる。あるいはさらに、顔が以前には大きな部屋のなかで見えていたとしても、クロースアップでその顔をじっくり観察するときには、わたしたちはもはやその大きな部屋のことを考えないだろう。というのも、ひとつの顔の表現とこの表現の意味作用には、空間との関連あるいは結びつきはまったく存在しないからである。孤立した顔と向かい合うとき、わたしたちは空間を知覚することはない。空間に関するわたしたちの感覚は消滅している。或る他の秩序に属する次元がわたしたちに開かれるのである」(ベラ・バラージュ『映画の理論』78~79ページよりジル・ドゥルーズ『シネマ1』第6章「感情イメージ―顔とクロースアップ」から孫引き)

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