SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

インランド・エンパイア15

2009年06月14日 | Weblog
 ジル・ドゥルーズから電話。「あ、昨日はどうも。おかげで理解が進みましたよ」と言うと、ジルはこう言った。「そうか、いまカフカに代わるから」。私はあわてて電話を切った。さすがにカフカは怖いだろ......。しかしジルの指摘する「移動装置の上に亡霊機械を置いてみてはどうか」という以下の「カフカの示唆」は、ヴェンタースの映画のみならず、リンチの『インランド・エンパイア』にとっても重要ではないのか。

>カフカは、テクノロジーの二つの系列を、それも二つながらそろって近代的な系列を区別していた。すなわち、一方は、移動―コミュニケーションの諸手段であり、それらは、空間と時間のなかへのわたしたちの挿入と、そこでのわたしたちの獲得物を保証するものである(船、自動車、列車、飛行機......)。他方は、表現―コミュニケーションの諸手段であり、それらは、わたしたちの進路に亡霊たちを呼び起こし、わたしたちを、座標外の非協調的ないくつもの情動へと偏らせるものである(手紙、電話、ラジオ、すべての想像しうる「パーロフォン)と映画装置......)。それは、カフカの理論ではなく、彼の日常の経験であった。(ジル・ドゥルーズ著『シネマ1』第6章「感情イメージ―顔とクロースアップ」178ページより)

>カフカは〔二つのセリーの〕様々な混合をつくってみてはどうかと、すなわち移動装置の上に亡霊機械を置いてみてはどうかと示唆していた。これはその時代にはとても新しいことであった――列車内の電話、船上のポスト、飛行機内の映画。それはまた映画の歴史の全体ではないだろうか――レールの上のカメラ、自転車の上のカメラ、航空機のカメラ等々。(同179ページより)

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