「自宅の壁が厚くなるばかりです。色を塗った壁紙によってではなく、棚によって。やがて足の踏み場もなくなるでしょう。紙の上に紙を置くようになるでしょう。困ったことです。環境が屑のような書類になり、自宅が紙の問屋になるのです。ここで問題にしているのは残念なことに、もはやペンで書く紙ではなく(残念なことに私が判読しにくい文字をペンで書くことはほとんどなくなったのですが)、さきほど「二次的な」と呼んだ紙のことです。印刷された紙、技術的な再生可能性をそなえた紙、その他の紙、要するに、原本の〈あとの〉紙です。そうして曲線が反転します。私はこうした紙を消費します。コンピュータや、紙が不要になると言うので「サンパピエ」と呼ばれるマシンを導入する前よりも多くの紙を、自宅にため込んでいるのです。本は別にしてです。紙はこうして私を自宅から追いだすのです。紙が私を狩りだすのです。今度は、どちらか一つです。紙〈かそれとも〉私か、その〈どちらか〉だけ」(ジャック・デリダ著『パピエ・マシン』上巻380ページ「紙かそれとも私か。ご存知のように......」より抜粋)
「自宅の壁が厚くなるばかりです。色を塗った壁紙によってではなく、棚によって。やがて足の踏み場もなくなるでしょう。紙の上に紙を置くようになるでしょう。困ったことです。環境が屑のような書類になり、自宅が紙の問屋になるのです。ここで問題にしているのは残念なことに、もはやペンで書く紙ではなく(残念なことに私が判読しにくい文字をペンで書くことはほとんどなくなったのですが)、さきほど「二次的な」と呼んだ紙のことです。印刷された紙、技術的な再生可能性をそなえた紙、その他の紙、要するに、原本の〈あとの〉紙です。そうして曲線が反転します。私はこうした紙を消費します。コンピュータや、紙が不要になると言うので「サンパピエ」と呼ばれるマシンを導入する前よりも多くの紙を、自宅にため込んでいるのです。本は別にしてです。紙はこうして私を自宅から追いだすのです。紙が私を狩りだすのです。今度は、どちらか一つです。紙〈かそれとも〉私か、その〈どちらか〉だけ」(ジャック・デリダ著『パピエ・マシン』上巻380ページ「紙かそれとも私か。ご存知のように......」より抜粋)