>写真がもし、森羅万象を愛していたもっと早い世紀に発見されていたら、他のあらゆる画像形式を、特に絵画を、完全に駆逐してさえいたかもしれない。(『不鮮明の歴史』P38)
『不鮮明の歴史』に掲載されているゲルハルト・リヒターの作品図版を観ただけで、もうそれだけでこのテキストの論議を警戒していた人もいるだろう。そして第二章最後のこの挑発的な文句を受けてはっきりと何かを確信し、「おれ嫌だよ、そういう話はもうたくさんだよ」と、これ以上の読書を止めようとする人もいるだろう。だがご心配なく。このテキストの論題は「絵画の死」ではない。19世紀ロマン派以降の絵画史と並行していたであろう「不鮮明の歴史」を、すぐのちの「絵画的写真」の展開から読み解くことで、まずは「近代芸術が歩んだ抽象化に対する見方が変更を迫られることになるだろう」(P8)、という問題提起をしてみせているのである。我々が普通に学んだ絵画の歴史とは異なるもうひとつの歴史がある。絵画を生かしたその歴史は、同時に絵画を殺そうともしていた......。この読書会はまだ始まったばかりです。若気の至りのなせる妄想だといわず、どうぞ最後までお付き合いください。
『不鮮明の歴史』に掲載されているゲルハルト・リヒターの作品図版を観ただけで、もうそれだけでこのテキストの論議を警戒していた人もいるだろう。そして第二章最後のこの挑発的な文句を受けてはっきりと何かを確信し、「おれ嫌だよ、そういう話はもうたくさんだよ」と、これ以上の読書を止めようとする人もいるだろう。だがご心配なく。このテキストの論題は「絵画の死」ではない。19世紀ロマン派以降の絵画史と並行していたであろう「不鮮明の歴史」を、すぐのちの「絵画的写真」の展開から読み解くことで、まずは「近代芸術が歩んだ抽象化に対する見方が変更を迫られることになるだろう」(P8)、という問題提起をしてみせているのである。我々が普通に学んだ絵画の歴史とは異なるもうひとつの歴史がある。絵画を生かしたその歴史は、同時に絵画を殺そうともしていた......。この読書会はまだ始まったばかりです。若気の至りのなせる妄想だといわず、どうぞ最後までお付き合いください。