SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

人間文化の最後の闘い

2006年05月01日 | Weblog
>こうなってしまった、こうでしかあり得ないという既遂性と、こうでもあり得たし、ああでもあり得た、という未遂性とが交錯する場において、そのようなオーラが立ち現れることになるのかもしれない。逆に言うと現代美術のつまらなさって、一方で「私にはこれしかできません」というように未遂性なしの貧しさがあからさまに出ている場合で、他方「とりあえずこういうものを作ってみました」というように決定的な既遂性がそもそもない場合かという、そのどちらかがほとんどであるという事に因るのではないか。(池田孔介 April 26 (Wed))

 交換不可能な可能性(既遂性)と交換可能な可能性(未遂性)の関係から今日の現代美術の「つまらなさ(オーラの不在)」を説明しようと試みている池田孔介氏だが、どうやら彼には今日のアーティストたちが「国際展」で何をしているのか、まったく解っていないらしい。「未遂性なしの貧しさ」や「既遂性がそもそもない」という資本主義に去勢された無様な現代美術はあくまでも「アートフェア」に溢れているのであり、対して「国際展」に参加してくるアーティスト達は、むしろ反資本主義の立場を限りなく強めている。いま、「国際展」で行われているのは、壮絶な闘いの果てに殉教していった思想家や文学者達の遺志を受け継いだ、人間文化の最後の闘いである。私(NT-X)もこれからこの闘いに参加するつもりだ。(続く)

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