今週末の藝大セッションに向けて批評的集中力を高めていたところ、トンデモないニュースが入ってきた。あの楠見清が事件を起こし、2ちゃんねるなどで祭られているという。以前書いた「楠見清(笑)」という記事がそこで容疑の参考資料として取り上げられており、それが急なアクセス増加の原因となっていたのだ。あの男がいずれ自滅するであろうことは予想していたが、しかしまさかここまで落ちぶれるとは。同じアート系の人間として恥ずかしいというより、悔しいくらいだ。もうアート界から追放決定だな。楠見はこれで終了。
ここで気分を変えて浅田彰先生の、心が洗われるようなお言葉を頂戴してから寝ることにしよう。ボーイズ・ビー・アンビシャスの時代から、ビー・アンビギュラスの時代へ。「ドブス写真集」の楠見には何の関係もない言葉である。
ここで気分を変えて浅田彰先生の、心が洗われるようなお言葉を頂戴してから寝ることにしよう。ボーイズ・ビー・アンビシャスの時代から、ビー・アンビギュラスの時代へ。「ドブス写真集」の楠見には何の関係もない言葉である。
人から嫌われることをするのは芸術家の役割の1つだ。
それは人の顔色見ながら生きることで失った自分らしさをリマインドさせる。 <<<
「悪名」を逆手にとって、(以上に引用の)お得意の「芸術論」をぶち上げる可能性もあると思う。
質問ですが、
HN(ペンネーム)が、Dr.BT Dr.GD docta の人は博士ではないのですか?
以下はネットで見た情報:
>>> 楠見さんは、楠見清という本名でよく知られているというよりは、色々な変名を使って90年代に活躍されていて、
「美術手帖」という現代美術の雑誌の編集長を務めておられました。
今はフリーランスのアート・ストラテジストということで、
あらゆるアーティストに理論という名の武器を提供するという活動をされています。
ドクターBT(美術手帖)、時にはドクターGD(芸術道場)など色々な変名を使って、美術批評に活力を与えている仕事をされています。
> ツイッターの名前は docta 博士コンプでもこじらせてるらしい
(上のコメントは数行が壊れて消えたので削除してください。)
【嫌われることをする人を僕は信頼している。嫌われたくないと思うがために人はどれだけのものを失っていることか。
人から嫌われることをするのは芸術家の役割の1つだ。
それは人の顔色見ながら生きることで失った自分らしさをリマインドさせる。】
今回の「悪名」を逆手にとって、以上のようなお得意の「芸術論」を強力に主張される可能性もあると思う。
質問なんですが、「Dr.GD Dr.BT docta」 さんは、やっぱり博士なんですか?
以下はネットで見た情報:
__________
楠見さんは、楠見清という本名でよく知られているというよりは、色々な変名を使って90年代に活躍されていて、「美術手帖」という現代美術の雑誌の編集長を務めておられました。
今はフリーランスのアート・ストラテジストということで、あらゆるアーティストに理論という名の武器を提供するという活動をされています。
ドクターBT(美術手帖)、時にはドクターGD(芸術道場)など色々な変名を使って、美術批評に活力を与えている仕事をされています。
> ツイッターの名前は docta ・・・博士コンプでもこじらせてるらしい
博士号も修士号も持たないただの田舎者が芸術家ヅラして論評してただけです。
そりゃ化けの皮も剥がれますよね。