半農・半Xの生活

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人は人の上に人を創ったのは彼の福澤諭吉だったとは

2017年02月23日 08時18分46秒 | 日記
嫌いな者はいなであろう1万円札であるが、その1万円札の肖像と言えば誰あろう
あの福澤諭吉先生だ。
実は、この先生、実はトンデモのお方であり、現在の嫌中、嫌韓の礎を築いた人間らしい。
そのことは、週刊金曜日3月17日号に詳しいが以下にその一端を掲載する。




-以下週刊金曜日より引用-

日朝関係史における
福澤諭吉の
差別・侵略の妄言録


1876年2月26日
日朝修好条規調印。日本が軍事的圧力で、李氏朝鮮に対し 不平等条約を押しつける。

1881年9月
『時事小言』より
「一旦事あるときには、財産も、生命も、また栄誉もすべてを国に捧げるのが真の日本人
である」「本編立論の主義は専ら武備を盛んにして回権を皇張するという一点にあり」

1882年7月-8月
壬午軍乱発生。日本へ接近する李氏薪鮮政府に兵士が反 乱し、政府有力者を殺害して日本
公使館を襲撃。政府が倒 されたが、清と日本が介入して政府を復活させた。

1882年7月31日
◎「朝鮮の変事」
「我が政府は命令を海陸軍に伝え、軍艦陸兵外征出陣の準備をさせるべきである。十分の軍備
が必要な理由は、朝鮮は自国の属国であると言っている支那か劾寄を加えるおそれがあるからだ。
その場合には我々も黙ってはいられない。北京まで攻め込んで決着を付ける覚悟がなければなら
ない」


1882年 12月7日-12日
◎「東洋の政略はたして如何せん」
「圧制を憎むのは人の性だというが・・・・・・自分白身が圧制を行うことは人間最上の愉快と
いっていいだろう。いつか 一度は、日本の国威を輝かせて印度・支那の士人らを御すること英同人
を見習うだけでなく、その英国人も苦しめて東洋の権柄を我が一手に握ってやろうと、壮年血気の時に、
密かにかに心に約束して、いまだに忘れることができない」

1884年 12月4日
甲申政変。清による内政干渉をきらった開化派=親日派の金玉均らは日本軍と福津信人の支援を受けて
クーデターを 起こすが、失敗。金は日本に亡命。

1884年12月27日
◎「戦争となれば必勝の算あり」
「今回の事変で日本はその被害者であり、支那と朝鮮は加害者である。・・・・・私が目指す当の敵は支那
であるから、まず朝鮮京城の支那兵を皆殺しにし、・・・ 我が兵は支那に侵入し、直ちに北京城を陥れ・・・
(青側が)低頭し謝苦手す るまでの措置を取らなければならない」

1885年3月16日
◎「脱亜論」
「支那挑戦から離れて西洋の文明国と進退を共にし、その支那朝鮮に対するのも、隣国だからといって特別の心
配りをするに及ばない。まさに西欧人が、支那朝鮮に接するのと同じやり方で処分すべきである」

1885年8月13日
◎「朝鮮人民のために其国の滅亡を賀す」
「朝鮮人民は内にあって私有(財産)を守ることができず、命を守ることもできず、終身内外の恥辱の中で死ぬよりも、
むしろ強大文明国の保護を受け、せめて生命と私有(財産)だけでも安全にできれば不幸中の幸いというものだろう。
・・・ゆえに、私は・・・朝鮮国民のためにはその樹の滅亡を賀するものである」

1894年春 朝鮮で甲午農民戦争、起こる。朝鮮政府は乱の鎮圧を清に依頼。日本も「在留邦人の保護」を名目として軍
を派兵。

1894隼7月4日
◎「兵力を用うるの必要」
「朝鮮の上流は腐儒の巣窟、下流は奴隷の群れ・・・・このような国民を導いて文明の門に入れようとするなら、兵を
もって臨むしか、他によい手段はない」

1894年7月25日
日清戦争始まる。日本は朝鮮から清の影響力を排除するた め、農民戦争は収まっていたにもかかわらず王宮を襲撃。
国王に清の軍隊の 「駆逐」を日本に要議する文書を出させたことにした上で、清国軍に先制攻撃を加えて宣戦布告した。

1894年8月28日~29日
◎「日本臣民の覚悟」
「目指す敵は支那国である。我が国中の兄弟姉妹四千万の者は心を同じくして協力し、あらん限りの忠義を尽くし、......
(国民は)老少の区別なく切り死にして、人の種の尽きるまでも戦う覚悟をもって清国を降伏させなければならない」

1894年9月20日
◎「支那将軍の存命万歳を祈る」
「(平壌の戦いの勝利後)なにとぞ今度は北京中の金銀財宝をかき浚って、相手が官であろうが民間であろうが区別なく、
余さず漏らさずかさばらないものであれば、チャンチャンの着替えまで引っぱいで持ち帰ることこそ望ましい」

1901年2月3日
福澤諭吉死去

1910年8月22日
韓国併合

※「 」内は社説の見出し。文章は現代語に改め、差別用語はそのまま掲載した。
※参考文献/安川寿之輔「福沢諭吉と丸山民罫」(高文研)等。(作成/編集部)

-引用終わり-

これを読むと今の日本人の中国、韓国に対する侮蔑的な心情は、この輩が明治期に行った洗脳活動に
よってDNAが形成されたものであることは明白である。
現在、反吐をもよおすほどの言葉を以て、繰り返されるヘイトは、100年前に福澤が喚いていた言葉と全く重なる。