summer diary

日記らしきページ

家トレ続く

2020年05月31日 | Weblog
 東京都やその周辺県、北海道も含めて、全国で緊急事態宣言の解除が出された。 昨日の東京都の渋谷でも大勢の人出があり、新型コロナ感染拡大への自粛要請は全面的に解除した様子だ。
勿論、実際には段階的な解除になっているし、まだ開店を控えている店も多くある。
その中でも、トレーニングジムなどにも自粛要請は解除出来ていない。
私の住む市でも、6月3日から体育館などの使用も、会議室や特定の場所以外はトレーニングルームなどの解除はされないらしい。
まだまだ、当分の間は家トレが続きそうだ。 実際、3月から家トレを継続していて、ジムに通う必要性も曖昧になった気もする。
ダンベルとフラットベンチがあれば、ジムでトレーニングしている効果とはそれほどの差が無いだろうと思うようになった。 ランニングは実際に街中を走れば良いだけで、ジムに行く必要は無いだろう。 私はランニングはそれほどすることはないし、その他の有酸素運動はあまりすることも無い。
私が唯一、ジムに行く目的は、ベンチプレスがメインなので、それ以外は自宅でダンベルとフラットベンチがあれば出来るのである。
後は、各マシーンでのトレーニングだろうか。 やはり、マシーンにはマシーンの良さがあり、フリーウエイトとは違うトレーニングが出来る事は、やはりジム以外にはないと思う。 お金と場所が有れば、自宅に全て取り揃えて、ジムに通うような事をしなくても良いだろうけど、そんな富豪でもない限り、自宅に全てのマシーンやフリーウエイトの器具を揃えることは難しい。
さらに、以前のように自由にトレーニングすることが出来る環境に戻れるだろうか?
入場人数の制限とか、時間、各マシーンなどの使用制限も考えられる。
そうなると、ジムに行くことが難しくなるし、せっかく言っても思うようにトレーニングすることが出来ないなら、意味がない。
将来的にはベンチプレスを自宅に設置することも考える事になりそうだ。

トレーニングメニュー、頻度、毎回のトレーニング記録をExcelで管理する帳票も作成して、今後は毎回のトレーニングボリュームを記入して、週単位、月単位の達成度も記録して、トレーニングを計画通りに出来ているのか、思って居る程度のトレーニングが出来ているかなど、記録することにしている。
これまでは、ジムで身体が疲労するまで我武者羅にトレーニングしていたけど、これからは、数値で管理する方向を取ることで、オーバートレーニングにならないように出来る気もする。 ただ、どうかな? 結局は自分の体調や状態を見て決める事が一番正解だろうと思うけど。

さて、今日も夕方のいつもの時間にトレーニングをするけど、最近はトレーニングもあまり気が向かいのは、やはり、自宅で一人でダンベルを扱っている事は楽しくないのは否めない。
ジムの良さは、こうしたモチベーションを保つことが出来る点では、通う意味があるのだろう。
コロナ禍が早く収束して、以前のような生活が戻ることが一番の望みとも言える。
私のように、ジムに通えないというような愚痴なんて物は、コロナ禍で生活自体が崩壊するような事態になっている人からすると、どうでもいいだろう。
人には人の価値観や生き甲斐、趣味、趣向、求める物が違っている。
生活環境は勿論、各個人の現状は誰一人として同じではない。
同じ空間の中で生きているが、同じ観念の中ではない。 それは、自己以外には誰もその心の中を知る事が出来ないからだ。
逆に言うと、人生は自分の中の現実で、他人は全て、自分と言う世界の中で生きている存在だ。 自分の意識が無いなら、人生は無い。 どんなに、他者がそこに息づいていても、それは他者としてでしかない。
ならば、自身そのものが人生でしかない。  自分から外に抜け出して、客観的に自分を見ることが出来るなら、自分自身もただの他人になる。
人間は言葉を手に入れてからは、感受性は大幅に退化した。 触覚で感じるようなある意味では一次元的な思考能力を無くし、 常に言葉に変換される物に注目するうようになった。
それは、動物的な感受性が欠落することになった人間の悲しさだろう。
こうした人間が自身の価値観から外れている他人に対して、攻撃するような姿勢を見ることがある。
SNSでの誹謗、中傷はその顕著な例で、単純な動機だけで平然と良く知りもしない相手に対して、いろんな感情を投げかける行動になるのである。
それは、そうした人間が犯す衝動的、能動的な自己防衛システムが作動する時だろう。 人生に不満や欺瞞、疑いを持ち、さらに、社会的にも見返りが無いような人生を歩んできた人の特長だと言っても良い。
自分自身に対する人生の不満を社会の問題に置き換える姿勢で、自己を擁護する答えを導きだしたいのだろう。
人生は個人の意識の中での存在で、実像は自身が目にした物の連続性から成り立つ。 しかし、それは実際の現実とは違っている。 自身の全ての価値観に左右される実像だ。 実像は絶対的な真実ではない。 それは、全てが自身の心の中から生まれた映像だ。
だからこそ、他人の誹謗、中傷は自身の招き出した社会その物。 それを変革するのは自身の確率だけだ。 
個人的な精神性の可能性は無限だし、 他人の意思、言動なんて物は取るに足らない戯言に過ぎない。 人生は全て、その人自身の内面で形作られる。
自分の精神的な領域で生きている事を知るべきだろう。


もうすぐ梅雨入りかな

2020年05月31日 | Weblog
 今日から天気は下り坂で、しばらくは雲が広がり、雨模様の天候が続きそうだ。
梅雨時が一年で一番過ごしにくい季節だ。 気温が高く、湿度が高い状態は汗が乾かないし、体温調整が出来にくく、熱中症になりやすい。 
さらに、洗濯物が乾かないし、車もいつも汚れている状態になるし、エアコンが無いと家に居られないような状態になる。
しかし、梅雨が無いと水不足の心配もあるし、この時期に雨がないとやはり心配にもなる。 
最近は豪雨などもあるけど、必要な場所には意外と雨が降らない事も多いのである。
今日はいつも通りにウイスキー、ビール、天然水を買うために出かける事にしているけど、雨の日に車を走らせるのはちょっと憂鬱である。 雨で視界が悪いとか、雨に濡れるとか以上に、車が汚れる事が嫌なのである。

さて、話は変わるけど、 先日も少し書いたけど、プロレスラーの木村花さんが「テラハウス」の番組内で共同生活している男性に対する姿勢に対して、SNSでの誹謗、中傷などを受けて、自ら死を選択してしまったことに、TVは勿論、国会でも取り上げられるほどに、SNS上での誹謗、中傷などをした人物の特定を容易にする法制度なども議論するようになった。
SNSでの誹謗、中傷に関して、精神的なダメージを受けるのはほとんどが若い世代だろう。 ネット依存症とも言える若い人達は、現実世界とネットとの線引きが出来ない精神的な幼児さを持っている。 幼児さと言うと、異論があるだろうけど、社会的な経験が浅い人や、常にSNSなどのネットと繋がっている状態の精神性は、こうした誰も知らないような人間からの誹謗、中傷でもダメージを受けてしまうのだ。
さらに、リアリティー番組であっても、番組である以上は制作側の都合、設定、視聴率を得るためにそもそも、番組自体が完全なリアルであることは不可能なのである。
出演者も同じように、その設定などを考えれば、リアルではないことは承知の上だろう。 誹謗、中傷は無くならない。 それは、どんなメディアでも同じだろう。 この番組だけではなく、ドラマやバラエティーでも同じだろう。 
人にはそれぞれ違う価値観や観念、思想、育った環境、持っている物、現状の生活レベル、社会的な立場などなど、同じ人は存在しない。 
だから、他人の行動や価値観に対する賛同もあれば、当然だけど、反対意見もある。その反対意見の中には悪態、誹謗、中傷、いわれのない情報、嘘、名誉棄損などの発信をする人間を無くすのは出来ないだろう。 これが人間の浅はかさであり、幼児化なのである。 
特に若い時期にはどうしても自分の事に関しても、他人の行動や言動に対しても直線的な視野になる傾向が強い。私も若い頃にはいろんな人生の悩みや苦悩を抱えていた。 死にたいとさえ思った時期もある。
本などを読んでも何も解決しない精神的な苦悩はある。 人からどのように思われているかなども過敏に反応することもあるだろう。
しかし、それは一過性の人間が熟成する過程であって、そうした精神的な成長期にはどうしても物事に対して、或いは人生に対しての未来や現状を小さな精神的な世界だけで思考することになる。 そうした中で、今は全く知らない他人からの誹謗、中傷をSNS上で当たり前に受ける環境になっている。 でも、もう少し視野を広げることで、ネットとの距離を置くことが出来れば、現実社会に立ち戻り、人々達との直接的な関係を築くことが出来れば、本当の人生を見ることが出来るはずだ。

自殺の動機はいろいろとあるだろう。 しかし、自ら命を絶つ選択と言う選択肢を人生から捨てる事が出来るかだろう。 どんなに辛い人生でも、最後まで生き抜くと言う精神を持つことが出来るかどうかだ。 
例えば、遭難した場合や絶対絶命の状態になった場合でも、最後まで生に執着する意思があるかどうかだ。 どんな状況になっても、最後は自分をどこまで愛する心があるかどうかだろう。 私も若い頃には自殺を考えるほどに悩んだ時期もある。 しかし、そうできなかったのは、やはり最後は自分を愛し、自分一人でも生き抜く意思があったのだろうと思い返すのである。
誰とも話をしなくても、誰とも繋がっていなくても、社会との接触を断絶しても、自分を最後まで愛することが出来る自分だったのだろう。 だから、全てを断絶しても、自分を消滅させる選択は無い。 
今では世間的な普通の爺になっているけど、人間はそうした時期があるから、人に対する愛や優しさを育むことが出来るのだろうと思う。
誹謗、中傷をする人達も同じように悩み、苦しむ時期だろうし、そうした時期だからこそ、逆に誹謗、中傷を何も考える事もなく投稿したりするのだ。
自分を確立する過程では、常に心が揺れ動いている。 昨日までの考えと、今日の考えが違うことは当たり前だろう。 ましてや、1週間、1か月後、1年先、10年先の事を考えるような余裕もない。 木村花さんも出来れば、10年先ぐらいの自分を想像して欲しかった。 少なくとも、現状から逃避して、1年先を見て欲しかった。 それが出来れば、自殺と言う選択肢を選ぶ必要は無かったはずだ。 








YouTubeダウンロード

2020年05月31日 | Weblog
 YouTube動画のダウンロードは以前はrealplayerで簡単にダウンロードして何度も見ることが出来たし、音楽動画をダウンロードして、MP3に変換して聞くことも出来ていた。 しかし、Windows10にバージョンアップしてからは、このrealplayerが正常に動作しなくなった。 このrealplayerにはrealdownloaderとセットになっていて、ブラウザを開くと自動的に動画をダウンロードするための窓が開き、ダウンロードは簡単に出来ていたのだけど、ネットでいろいろとその動画がダウンロードできないことに対する対処法を試みても、まったく解決しない。 
何度も再インストールを繰り返し、realplayer自体は正常に動作をしているけど、動画のダウンロードだけは解決しないままだ。

で、他にもいろいろとある動画ダウンロードソフトなども検索していろいろ試行錯誤してみたけど、どれも結局は料金が発生して、結局は使えない物ばかりである。
ネットワーク環境なのか、それともウイルスソフトの関係なのか?? 
どうしても、できない状態が続き、まっ、最近ではちょっと諦めるしかないだろうと思って居る。
このrealplayerは以前には有償のplusを購入して、動画をDVDにコピーして車でも見ることが出来るようになっていた。
今もこの機能は正常動作が出来ているけど、YouTubeで新しい動画をダインロード出来ないので、結局は宝の持ち腐れで終わっている。

本来はYouTubeなどの動画は無断でダウンロードするのはある意味では違法かもしれないけど、それは個人で楽しむだけなら何も問題は無い。
これは新しいWidows10のセキュリティーの問題で動画がダウンロードできないようになったのだろうと思うけど、それ以外には何だろう??
以前には無かった、プレイリストのダウンロードボタンが追加されているのは何だろう? しかし、そのボタンも結局はダウンロードに時間が掛かるだけで、ダウンロードは出来ない状態である。
結局はrealplayerはWindows10には対応できないソフトになってしまったのだろう。