核心 THE SCARPETTA FACTOR |
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読 了 日 | 2011/07/06 |
著 者 | Patricia Cornwell パトリシア・コーンウェル |
訳 者 | 池田真紀子 |
出 版 社 | 講談社 |
形 態 | 文庫 |
ページ数 | 422/399 |
発 行 日 | 2010/12/15 |
ISBN | 978-4-06-276837-5 978-4-06-276838-2 |
よいよ「検屍官」シリーズも、第17弾となったことに、少なからず感慨を覚える。
僕がこのシリーズを1997年に読み始めたことがきっかけとなって、60歳の還暦から若い頃のように、再びミステリーを読み始めたことは、もう何度も書いてきた。
この読書記録を始める2年ほど前だから、14年にもなるのか。最初の「検屍官」が講談社から発売されたのは、それより前の1996年だから、シリーズは15年もかけて書き続けられているというわけだ。僕はこのシリーズを読むたびに、著者であるパトリシア・コーンウェル女史の、飽くなき試みに脅威すら感じてきた。
何作目かで、作中にスキューバダイビングの話が出てきたが、彼女は作品のために実際にスキューバダイビングを体験したらしい、ということをどこかで読んで、驚いたものだ。だがそんなことで驚いてはいられなかった。
その後、ケイ・スカーペッタの姪・ルーシー・ファリネリがヘリコプターを操縦するシーンのために(そのためばかりではないと思うが)ヘリの操縦免許を取って、なおかつヘリコプターまで導入したというから、ビックリだ。
「私は、そんなことはあり得ない、と言われるようなことは書きません」というのがコーンウェル女史の言葉だが、まさかヘリまで買い入れるとはまったく驚きだ。
このシリーズが8作か9作目の時だったか、他のシリーズが発表されたので、検屍官シリーズも終わりかと思ったことがあって、さびしい思いをしたことがあった。だが、間もなく10作、11作と続くに及んで、安心したのだが、その頃から少しずつストーリーの雰囲気が変化を見せて、以前ほど入り込めなくなったような感じがしてきた。
僕の読書の傾向とかも関係していたのかもしれない。これほど夢中にさせる小説は他にはない、そんな思いが長い間続いたから、僕が小説のストーリー展開の変化についていけなかったのだろう。
前作の「スカーペッタ」が2009年12月の発行で、その前から2年が過ぎており、僕は立て続けで読んでいたわけではないが、続編はいつになるのか気にはなっていた。そんなことから「スカーペッタ」の後もまた2年後になるのかと思っていたら、昨年(2010年)12月に本書が刊行され、なんとなく安心する。
2―3作前から僕にとって好ましい雰囲気が再び出始めた感じがして、のめりこむような感じで、読むことが出来るようになった。本作では、ハイテク機器や、その操作といったことに、ページを割きすぎている、といったきらいはあるものの、あっさりとした終盤と大団円から心地よい読後感を得られる。
のところ、以前読みっぱなしで、記事を書いてない本の再読をしながら、改めて記事を書くという実に馬鹿げたことをしており、この上下巻を読む間にも4-5冊読み直した。
もう古い本は大半が処分済みだから、そっちこっちの図書館で探しては借りてきて読むという、二重三重の手間をかけている。新しい読書がその分遅れるが、それも仕方がないことだ。最近はそうした愚にもつかないことをしないためにも、読後すぐに何とか書くようにしているが、何を書こうかと迷うことは少なくない、
さてと、ほんの少し内容についても書いておこう。
今回は、トニー・ダリエンという俳優の殺人事件から始まる。それと並行するように、経営コンサルタントで美人投資家のハンナ・スターが行方不明となる事件が発生する。 スカーペッタはニューヨーク検屍局の仕事の傍ら、カーリー・クリスピンという女性タレントが司会する、CNNテレビ番組に出演して法医学について語ることになった。だが、妙に司会者との間の会話がかみ合わず、スカーペッタはいらだちを強める。そんな状況の中でスカーペッタは大事なデータを満載したスマートフォンを紛失してしまう。しかも、スカーペッタはあろうことか使い勝手の悪さから、パスワードを解除していたのだ。
考えられるのはカーリー・クリスピンが持ち去ったらしいということだった。
このシリーズでは、何作か通して凶悪犯を追跡するという設定がなされるが、今回も2―3作前にベントン・ウェズリーたちが追っていたフランスの怪物・シャンドン一家の生き残り、ジャン・バプティストの影が漂う。
締めくくりから見れば、この大河ドラマはまだまだ続きそうだ。
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