隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1219.赤い病院の惨劇

2012年01月17日 | メディカル
赤い病院の惨劇
読 了 日 2011/12/11
著  者 川田弥一郎
出 版 社 祥伝社
形  態 文庫
ページ数 453
発 行 :日 1998/06/20
ISBN 4-396-32631-9

 

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のところ、読書の記事が落ち着いて書けるような心境になく、気持ちがざわついていて精神的に不安定な日々が続いている。
所属する社会福祉法人の事故により、知的障害者の入所施設である豊岡光生園の、日常業務にも支障をきたしており、何とか手助けをしようと思っていることも、僕の落ち着かない要因の一つだ。
事故そのものの収束が出来ないことはむろんのことだが、間もなく年度末を迎える時期に、改築改造という一大プロジェクトが控えていたり、施設長の来期への予算組みや、事業計画の組み立てなど、課題は文字通り山積の状態だ。
そうした状態が理解できるだけに、アドバイスのみならず具体的な処理を片づけることも必要なのである。切羽詰まった状態でいろいろ言っても始まらないのだが、こんな時にこそ必要とされる本部という組織が機能しないことにもいら立ちを覚える。

 

 

行方不明者の捜索についても、何もできない僕が口出しするのはいかがかとも思ったが、「貧すれば鈍す」のことわざが当てはまるかどうか?客観的な観察をもとに、大所高所から的確な指示を出すことを、誰もがしないことに、ついつい僕は口をはさむことになる。(これが僕の悪い癖で、自分で仕事を作ってしまうのは間抜けだ、という刑事コロンボのあるエピソードの中のセリフを思い起こす)
即ちリーダー不在の状態では、物事はうまく運ばないのである。何事もなければ、それほど必要ともされないリーダーだが、一朝ことが起きたときに力を発揮するリーダーは、組織にとって不可欠の存在だ。
それにしても、本部の機能を期待できないとなると、山積する課題のどれかは後回しにする必要が出てくるのだが、さて、そうしたことをだれが判断するか?

先日NHK総合テレビで、「リーダー」をテーマとする各界の有識者や、企業のトップ、海外からの留学生や、ジャーナリストその他、かなりの数の人たちの争論会が催された。なにか僕の胸の内を探られたような気がして、引き付けられるように視聴した。 「いずこも同じ秋の夕暮」ではないが、閉塞感の漂う今の日本にとって必要とされるリーダーとは?
こうした番組は僕一人が見て、何かを言っても何も始まらないだろう。若い世代が一歩前に踏み出すことが必要で、それをサポートする仕組みが必要なのは言うまでもないことだ。
愚痴ばっかりになってしまったので、この続きはまたの機会にしよう。

 

 

書を読んで記録をつけようと、著者のリンクをたどって見たら、最後に読んだ「戦慄の脳宇宙」が2006年の12月だったから、もう丸5年になることに驚いた。今でも僕はメディカルミステリーは極力読むように心がけているのだが、その第一線で執筆する著者の作品は意外と少なく、乱歩賞受賞作の「白く長い廊下」のシリーズが2作しかないことにいささかがっかりしているところだ。
デビュー作は恒例により、ドラマ化されており、これも例によって僕はドラマの方を先に見てしまったのだが、
原作に劣らずドラマも主演の村上弘明氏や財前直見氏の好演で、見ごたえのあるドラマになっていた。
本書の主人公は医師ではなく、準看学校で学ぶ1年生だ。この物語が書かれた平成6年ごろはまだ看護婦と呼ばれていた時代で、準看学校も正式には准看護婦学校という(看護婦の歌う竹内まりやの“不思議なピーチパイ”などという描写が時代を感じさせる)。僕はなんとなく看護婦は准看護婦から経験を積んで順次正看護婦になるのかと思っていたが、どうやら仕組みが違うようだ。

周辺の看護婦寮を狙って忍び込む痴漢が横行しているという中で、病院の敷地内で看護婦の一人が殺害されるという事件が発生する。見習い看護婦たちの日常や、彼女たちの催すイベントなどを描写しながら進むストーリーはそれとは感じさせないまま終盤に入ってから、本格推理の様相を見せ始める。
冗長と思わせていた中盤までの中に、これでもかというほどの伏線が張られていたことをそこで思い起こさせる。

 

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