オンマは辛いよ

~グチはゴミ箱へ、思い出は宝箱へ~

ひと安心。

2008年01月31日 23時30分17秒 | 娘の話
 保育所では、年長児の親対象の個人懇談が始まっており、私も昨日行って来た。

 ここの保育所は、4月から民営化されることが決まり、移管の準備として、民間の保育士さんたちも一緒に働いている。

 何だか異様な光景にも感じられるが、慣れ親しんだ先生が急にごっそり入れ替わるとなると、子ども達も不安が大きいだろうということでやっているようだ。

 保育所は、3月の中旬に修了式があるのだが、幼稚園のように、春休みはなく、ギリギリの3月30日まで預かってくれる。
 なので、わんわん泣いて、お別れのあいさつをした翌日に、今までどおり保育所へ通うのである

 懇談の話に戻るが、私は、相変わらず娘の友達関係のことで少し不安だった。
 友達が少なく、いつも同じ友達と遊んでいること。
 家からは離れた保育所なので、同じ小学校に入学する友達がいないこと。
 引っ込み思案で、人見知りが激しいこと。
 近所に友達がいないこと。

 先生は、
 「確かに、Yちゃん(娘)は、たくさんのお友達と一緒に仲良く遊ぶっていうのが、上手ではないかも知れません。
 でも、できないからってダメなことではないし、できるから良いという訳ではありません。」

 と言って、
 この時期の友達関係は、天気図のようにころころ変わるのだということ、
 確かに、毎日同じお友達だけど、その合間にちらほら他の友達とも遊び始めていること、
 いっぱい友達がいたって、中身は違う、「引き連れて、自分の思い通りにさせようとしている」子だっていること、
 娘は、よく泣いていたが、泣かせたことは私が知っている限り1度もない、優しくていい子なので、きっと小学校へ行っても心配ないと言って下さった。

 何だか、少し、安心した
 
 この間の娘とAちゃんのことで、先生は私に人一倍言葉を選んで話しているように感じた。

 娘は、小学生になるのを、本当に楽しみにしている。
 空き箱に、新しい鉛筆、消しゴムなどを少しずつ溜めて、「これ、1年生になったら使うヤツ入れてんねん」と、何ともかわいらしいことを言っている

 こんな希望で胸をふくらませている娘に、絶対私の不安を悟られてはいけない、と思う。

 あと2ヶ月したら、「私、何あんなに悩んでたんやろ」って、言えてたらいいなぁ
 

お茶の間に一家釘付け!!

2008年01月27日 22時15分14秒 | 番外編
 お正月に弟が貸してくれたDVD「おおきく振りかぶって」

 このアニメを知ったきっかけは、子ども達が見ていたアニマックスだったのだが、私もアッパ君も最初から見たくなり、弟に頼んだのだ。

 やっと、今日家族そろって見れることになった。

 もう、これがおもしろいんだな絶対、オススメよん♪

 野球のアニメと言えば、「キャプテン」だった私。(と、歳がバレる…)

 最近では、毎週土曜日の夕方に「MAJOR(メジャー)」を見ているが、この「おおふり」とは、全くタイプが違う。

 「メジャー」は、典型的な少年スポーツ漫画、というカンジで、まぁ、夢中で見てはいるが、「ありえへんやろ。」を連発する。

 それに比べ、「おおふり」は、「ありがち」な漫画だ。
 ここで言う「ありがち」とは、「ベタ」という意味ではなく、「実際にありそうな」という意味で、登場人物がとても身近に感じられる、いい意味で人間臭い作品だ。
 まぁ、「青春やなぁ。」「カワイイのぉ」と思う時点で、自分の年齢と向き合わざるをえないのだが

 それに、私はこのアニメを通して、野球において、キャッチャーは、頭が良くないと務まらないということと、ピッチャーが投げるのには、精神面が大きく左右されるという事を学んだ。
 
 DVDは全25話で、今日中に全部見てしまいたかったのだが、ここでやはり、主婦という役割を担った私は、瞬時に現実に引き戻された。

 腹が減れば勝手に食べ物が出てき、時間になれば風呂がわくと思っているアッパ君。
 あんたの隣で一緒に見てたのに、できる訳ないやろっちゅーねん!

 誰か、私を3日ほど、自宅軟禁してくれへんかなー

 

出陣です!

2008年01月26日 14時13分25秒 | オンマの話
 息子の看病をしていた先週に比べると、何とのどかな休日だろう

 買い物に出ようと上着を着る手が、ふと止まった。

 あかん、絶対、化粧せな…


 すっぴんで家を出るのに抵抗が出てきたのは、いつ頃からだったろう。
 
 最初は、「せめて、眉毛だけでも…」

 次は、「口紅位塗っとかないと…」

 そして、「ファンデーションは、塗っとかないと…」

 と、段階を経て、今や、外へ出るのは、フルメイクです

 しかし、先週は、息子のためになりふり構わず、すっぴんのまま、財布だけ握り締めて出たのだった
 
 なぁ~に、すぐ帰ってくるのだ。ちょっとそこまで、買い物に行くだけだから…

 走りながら、自分に言い聞かせた。

 しかし、スーパーの目の前で、私は固まってしまった

 「けろろさん!こんにちは!」

 息子の同級生のお母さんだった
 お話、長いんだよな、この人
 しかも、彼女は、バッチシメイクしてる…

 私は、手で必死に顔を隠しながら、愛想笑いでその場をやりすごしたが、まさに顔から火が出る思いだった

 会社が戦場、男が働く戦士ならば、母親にとってもまた、スーパーは戦場なのだ。
 私は出陣するのに、丸腰で出たようなもの。

 大げさだと思うかも知れないが、ビミョーな女心なのだ

 準備完了、いざ、スーパーへ「出陣」した私だったが、こんな日に限って、誰にも会わなかったりするんだよね
 

嫌になっちゃうなぁ。

2008年01月23日 18時55分44秒 | アッパ君の話
 昨夜からのが、朝になっても降り続いていた。

 外で仕事をするアッパ君は、雨が降ると、休みになることが多い。

 私の職場は、従業員さんからの「延期」の決定次第で、管理人さんに電話をしたり、日程を組み直したり、にわかに仕事が増える。

 とは言え、どの物件が屋外で、どの物件が屋内なのかまでは、私の知るところではない為、朝から雨が降ると、予測不能な不安で、ますます気分が重くなるのである

 そんな私を尻目に、簡単な電話連絡を済ませ、休みが確定したアッパ君が、2度寝をしにベッドにもぐりこんだ

 くっそぉ~

 通常、アッパ君は、朝一番早く家を出るのだが、のっそり起きてきて子ども達と一緒に朝ごはんを食べたりされた日には、慌ただしい朝のリズムがますます狂う。

 結局、私は、いつもより15分も遅れて家を出た。

 会社に着くと、幸いにも、全てのチームが通常どおり出かけていた

 通常どおり業務をこなし、会社を出て、アッパ君に電話をかけた。
 
 そりゃぁ、家でじっとしてるなんて思ってなかったけど、やっぱりパチンコ屋の大音響

 「今かかってんねん。」
 知らんがな

 もう、晩ご飯アッパの分作ってやらないからねっ
 「働かざるもの食うべからず」なんだから
 

 

10年の恋も醒める…

2008年01月21日 23時17分23秒 | アッパ君の話
 私とアッパ君は、結婚して、6月で満10周年を迎える

 月日のたつのは、本当に早い

 この1週間、私は子どもにつきっきりだったが、実はこの間、アッパ君は出張に出ていた。
 場所は、また浜松

 帰ってきた翌朝、疲れているだろうから、ゆっくり寝かせてあげようと思い、一人下へ降りた。

 数時間後、洗濯物を干す為、寝室のドアを開けた瞬間…

 ウッッと声が出そうになった。

 く…くさい

 何と表現すれば良いのだろう…。
 学生時代、体育のあと、男子が着替えた教室に入った時?
 いや、違う。
 満員電車でくっついていたおっさんの息?
 う~ん…近い、かも。

 と、言うことは、もしや…

 華麗なる、いや、加齢なる臭い

 アッパ君の胸に顔を埋めて寝るのが、好きだった。
 アッパ君の匂いが、大好きだった。

 でも、この部屋の臭いは、申し訳ないが、耐えられない

 カーテンと窓を急いで開け、枕カバーを剥ぎ取った。
 怖いもの見たさ、ではなく、臭いもの嗅ぎたさ、とでも言おうか。
 ふと、その枕カバーを鼻先に持っていくと、失神しそうになった

 「どないしたん?」
 不思議そうにアッパ君が尋ねる。
 デリケートな問題だ。うまく言えるだろうか。
 しかし、頭と口が直結している私には、とうてい無理な問題だった。
 「臭い」
 「え?何の臭い?」
 「何か、おっさん臭い」
 しまった、と思った時は、遅かった…
 アッパ君の眉間に、皺が寄り、不機嫌な表情になった

 「お前だって、おばはん臭いわっ!」
 吐き捨てるように言って、部屋を出て行ってしまった。
 
 40を迎えるおっさんが、何とも大人気ない…
 
 下へ行くと、アッパ君、シャワー浴びてた。
 やっぱり、気にしてる…?
 ごめんね、悪気はなかったのよ
  
 
 

 
 

ご心配おかけしました

2008年01月19日 14時44分37秒 | 息子の話
 朝から、息子を連れて病院に行って来た。
 再レントゲンの結果、肺の影はきれいになくなっており、「月曜日から登校可能」との診断を頂いた。
 ただし、マスク着用と、1週間の体育中止が条件とのこと。
 その為、空手の練習もお休み。
 明日は、海岸で寒稽古だったのだが、とんでもない
 咳はまだ続いているので、抗生剤があと1週間分出た。
 感染力はこの時点でもうないので、登校許可が下りたのだが、診断書をもらうのだけは、忘れなかった。

 この期間、何度もくじけそうになり、今度こそは「辞めさせて下さい。」と、何度も喉の奥まで出かかった。

 「かわいそう」と言われるのには、慣れていた。
 子どもを保育所に入れると決めた時。
 事務所が移転して、お迎えの時間が延長保育ギリギリになった時。
 入学早々学童保育に入れた時も。
 
 その度に、保育士さんの心強いお言葉のおかげで、ここまで頑張ってこれた。

 しかし、今回は、本当に辛かった。
 私は、一体、何をやっているのだろう。
 子どもを犠牲にしてまで、ここにいる価値が、どこにあるのだ。
 病気になったときこそ、母親の出番なのに…

 自分で自分を責め続け、何度も自分に問いかけた1週間。

 ヒドい咳で寝付けない息子の横で背中をさすり続けた夜。
 寝た後も心配で、何度も息子の寝室を覗いた夜。
 昼間出来ない分を補うように、ずっと側にいた。

 今回は、日ごろ母親をサボっていた私に、罰があたったのだと思う。
 正月から娘の結膜炎、打った目薬の副作用で顔中に発疹、そして、今回のマイコプラズマ…。
 仕事へ行きながら、子どものケアをしながら、私、頑張ったよね

 でも、本当に実感したのは、
 「子ども達のおかげで、仕事に行ける」のだ、という事。
 (いや、行きたくないんだけどね

 「あ!けろろさん?よかったぁ、おって。」
 と、電話の向こうで言う従業員さん。
 家でも、そして職場でも、私はいなくてはならない存在なんだと実感できた。

 そして、もちろん、ここでコメントを下さるお友達の存在は、言うまでもなく大きい。
 皆様、どうもありがとうございました。


 

モンスターはどっち?

2008年01月16日 17時35分32秒 | オンマの話
 息子の熱は36.7℃。
 咳は相変わらず

 今週いっぱいは様子を見よう。
 学校へ連絡しようと、を取った。

 教頭が出た。
 担任に繋いでほしいと言うと、離れているので、自分が伺う、との事。

 私は、今までの経過と、医者の診断、そして、担任と話したいので、朝は忙しいだろうから、昼過ぎに顔だけ見せに伺う、と言った。

 「子どもは連れて来んといて下さい。」
 「え?別に教室行くんじゃなくて…」
 「どこでも、学校内は他の子どもがいるので来ないで下さい。」
 「えっと、それじゃぁ、今まで皆勤やったんですけど、この病気…」
 「別に皆勤やからって、特に賞がある訳じゃなし、それにねぇ、そうやって顔出したからって、出席にはなりませんよ」
 「…担任に電話くださるよう、お伝えください。」

 皆勤賞なんてないこと位、こっちだって知っている。
 息子が、2年生になった時、自分で目標を立てたのだ。
 「あのな、○○さんは1日も休まんと学校来てん。熱があっても、出席だけとりに来てん。ボクも、今年は、絶対休まへんねん。」

 確かに、教頭が言っているのは、正しい。
 しかし、物には言い方というものがあるだろう

  「医師の診断で行ってはいけないという事であれば、診断書を提出していただければ出席停止扱いになりますので、安心してゆっくり休ませてあげて下さい。」

 後から担任のフォローの電話がなければ、私は所はばからず泣いていたかも知れない。

 教頭はこの3月で移動になるらしく、問題が起きないよう、少々過敏になっていると聞いたことがある。
 また、あるPTAの役員の奥様と、の噂も聞いたことがある。

 昨今、学校の教師達を悩ませる「モンスターペアレント」の話をよく聞くが、今日の私も、果たして、学校にとっては、モンスターペアレントだったのだろうか?
 でも、常に「子どもを人質にとられている」と思っている私にとって、今日の教頭の態度は、ある意味「モンスターティーチャー」なんじゃないか、と思ってしまったのである
 

 

 
 
 

マイコプラズマ

2008年01月15日 22時17分42秒 | 息子の話
と言われた

 土曜日から3日間、37℃台を行ったりきたりしていた息子の熱は、今朝も37.2℃皆勤賞がかかっている本人の強い希望により、学校へ行かせた。
 私は、「どうせ、すぐ呼び出しがかかるだろう」と思っていたが、ちゃんと下校時刻に帰ってきた。

 連絡帳を見ると、「熱はありませんでした」
 よっしゃ

 ところが、この尋常ではない

 念のため、と思って病院へ行った。
 まず、高熱ではないが、なかなか下がらない熱、そして、風邪にしては全く出ない鼻水
 
 とりあえず、とやったインフルエンザの検査は陰性、続けてレントゲン。
 ビミョ~に右の肺にもやのようなものが…。

 「マイコプラズマの可能性が高いね。ビミョーやけど。」
 「何ですか、それ?」
 
マイコプラズマ

 

 「まる1日平熱になったら、次の日から学校OKです。今週後半になっても熱が下がらなければ、もう1回レントゲン撮ります」

 

 

 

 

仮面義母

2008年01月14日 23時29分57秒 | オンマの話
 アッパ君は、2歳下の弟との2人兄弟だ。
 アッパ君のオモニ、すなわち、私の姑にあたる人は、この弟を溺愛している

 私がアッパ君と結婚すると決まった時、知り合いから
 「よかったね。あの家は、次男の嫁の方が姑問題で苦労すると思うよ」
と言われた。
 その時は、意味が分からなかったが、嫁に来て、そのとおりだと思った。

 姑は、少し変わった人だ。
 私たち夫婦に向かって、
 「なぁ、あんたら、息子と娘、どっちがかわいい?」
と聞いてきた。
 私たちが驚いて、そんなん、どっちもに決まってるやんか!」というと、
 「ふぅん、えらいなぁ。」と言うのだ。
 実際、姑は、孫の扱いも娘と息子では少々差があり、息子はアッパ君の実家では王子様のような扱いである。
 酒をよく飲む姑は、酔うと、「ウチは、N(次男)とY(息子)だけおったら生きていける」と豪語するのである。

 まぁ、決してかわいがっていないのではないので弊害はないし、べったり寄り付くより楽だからと、大して気にもとめていなかったのだが、事実、結婚7年目の義妹は、予言どおり、姑で苦労しているそうだ。

 先日も、義妹と会ったときに聞いたのだが、私の前では決して見せない、姑の様子に、ただただ驚きを隠せなかった。

 まず、用事があると、長男であるウチには、家に電話してくるが、次男である義弟には家ではなく、携帯にかけるという。
 たまたま義弟が風呂に入っていたので、義妹が出ると
 「何であんたが出るんと、ムッとしたように言ったのだという。

 義弟夫妻にアッシーをしてもらった帰り道、「お腹すいたんとちゃう?」と聞かれたので、「え?そうですね~」と答えると、すかさず「あんたに聞いてへんねん」と、鋭いツッコミが入る。

 その他にも、細かいことまで数え上げたらキリがない、とため息まじりに義妹が言った。
 「お義姉さんは、多分オモニのこと、半分も分かってへんと思うわ」と言われた。
 実際、私と話す時には、見たことがないので、何回聞いても信じられない話だ。

 まさに、義妹に張り合っているとしか思えない行動の数々…

 しかし、この義妹、これしきのことでくじけるタマではない。
 実は、彼女は、私の1歳年上で、高校の時からの先輩なのだ。
 高校時代は同じ部活に所属し、進学した大学、学部も同じ。
 義弟と付き合っている、と聞いたときは驚いたが、嫁入りの日に「今日からは、おねえさんと呼ばせてもらうわね」と言ってくれた、実にサバサバした人である。
 
 彼女なら、立派に姑とわたりあって行けるだろう。
 っていうより、長男の嫁として、この傍観者的な見解もどうかとは思うのだが…

下世話な話。

2008年01月13日 20時11分55秒 | 番外編
 「金の切れ目は縁の切れ目」と言うが、それは、全く本当だな、と思った話。

 娘の保育所の4人組の話は、以前書いたことがあったが、この4人組の関係には、少しずつひずみが出来始めていた。

 Oさんと私の間での娘をめぐる騒動(H19.11.13「個人懇談」参照)、Hさんがパートに出ることが決まったり、Aさんの家に義父と義母が転がり込んできたりと、各家庭の事情が重なって、まぁ、正直「のんきにランチどころではない」という状況になった為だ。
 中でもOさんはご主人が胃ガンの手術をし、退院したはいいが、以前のように働くことが出来ず、家に篭っていることが増えた。

 ここで、しゃしゃり出たのが、Aさん夫婦(社長さんをやっている)だ。
 Oさん夫婦を呼び出し、生活ができないのなら、Oさんをうちの社員扱いにして、「給与」という形で「援助」すると申し出たのだ

 最初は渋ったOさん夫婦だったが、旦那は韓国人、Oさん自身も父は他界、母は年金暮らし、1人いる姉も透析に通い、身内からの援助は期待できず、ろくすっぽ保険にも入っていなかったらしく、「背に腹は変えられない」と、Aさんの申し入れを受け入れたそうだ。

 そして、この間1回目の「給与」が振り込まれたらしい。

 それ以来、Oさんは、保育所の送り迎えの時間を微妙にずらし始めた。
 偶然出会っても、いそいそと避けるように行ってしまう。

 Oさん夫婦は、パチンコが大好きで、出会ったきっかけもパチンコ屋だったそうだ。
 うちのアッパ君も、よく夫妻を見かけるらしい。
 保育参観の日も、事の成り行きを知らなかった私が、
 「昨日パチンコ屋おったやろ?」
と言ってしまった為に、悲劇が起きたのだ。
 
 数日後、Aさんは、「そんなん、行ける状態じゃないのに」と、それまでの事情を私にぶちまけた。
 そして、Aさんの旦那は、「うちは、あの家にお金をやってるんだから、アッシーなり何なりOさんを使えばいいんだよ」と、人間とは思えない暴言を吐いたのだ。

 私は、この件に関しては完全に部外者だ。
 Oさんの家庭の事情を聞いても、何もできることはないし、援助を申し出たAさんは、「さすが金持ちやなぁ」と思った。
 しかし、するのなら黙ってすればいいことであり、見返りを求めたり、「してやった」と自慢げに言うこの夫妻の神経を疑う
 Oさんが何か買ったり、七五三の写真を撮ったりするごとに「よくそんなお金あったよねぇ」って、Oさんにとってみれば、針のムシロ、それまで友達関係だったのが一転し、生活保護を受けている人と民生委員のような関係になってしまったのだ。

 OさんもOさんだ。
 どうして安易にお金を借りる方向でしか考えられなかったのか。
 どうして、先に「自分が働きに出る」ことを考えなかったのか。
 旦那は、寝たきりにもなってないし、介護を必要としている訳でもない。

 今の4人組は、4月から小学校はバラバラだ。
 私は、正直、Aさんみたいな人とは、離れられてホッとしている。
 これから離れるに離れられないOさんは、同情もするが、自業自得、という思いもする。