オンマは辛いよ

~グチはゴミ箱へ、思い出は宝箱へ~

今日は家族の日っ!

2013年03月24日 00時26分18秒 | アッパ君の話
3月 23日。

この日は、PTAの某氏送別会も

SenkoちゃんはじめとするN小学校のおかんらの飲み会も

みーーーんなお断りしました


今まで飲み会は皆勤に近い状態やった私がです



大好きな飲み会をお断りしなければいけない事情…それは…




アッパ君の生誕祭



実はうちのアッパ君、火曜日にまたけいれんは出ていないものの発作のような症状が起きて、体調を崩しています



発作が起きる前、「お好み焼きが食べたい」と言っていたので、今日はお好み焼きパーリーにしようと。

プレゼントを買うという娘りんこと一緒に、食材の買い出しに出かけました



帰って来ると、家の前には、ビニール袋に入った植木鉢が

     水仙です。

これを見たとたん、私はすぐにSenkoちゃんが来たと思いました。

水仙の鉢の話は、Senkoちゃんにしかしたことがなかったからです。




いつかお話ししたアッパ君の先輩

「玄関に水仙の鉢植えを置いておけ」と、知り合いの占い師さんに言われたとかで、ずっと探してるんやけど…

と、何気なく言っただけやったのに、おみっちゃんが花屋で水仙を見つけて鉢に植え替えてくれたのだそうです


その他にも

        

アッパ君宛のお手紙でオンマの方が号泣してしまいました


ほんま、家族よりも家族らしい、情のあるSenkoちゃん一家にただただ感謝の一言でございました


ん?待てよ?…ひょっとして…娘りんこが買ってきたプレゼントって…

     見事にカブっちゃったね




さてさて、いよいよパーリーを始めようという段になって、まさかのアッパ君体調悪化

   ほっといて続行!な冷たい子ども達(笑)


子ども達の腹が満たされた頃、アッパ君回復。

     何とかありつけたZ


     

シメはケーキ屋さんに無理やり書いてもらったハングルのプレート付きバースデーケーキ




発作が起こる度に「死にたい」「殺してくれ」と言うアッパ君ですが、

家族に祝ってもらって「生きててよかった」と思える誕生日になったのなら嬉しいなぁ。


…と、ふと、子ども達の歌うハピバースデーを聴きながら物思いにふけったオンマなのでありました




普段は飲み会のお誘いは随時受付ちう!(笑)「ポチッと!」お願いします
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コミュニティのチカラ

2012年11月17日 13時29分42秒 | アッパ君の話
ごぶさたしてます




前回の記事をUPしてから3日後の10月30日。

朝の散歩から帰ってきたアッパ君の様子が変でした。

何か変…と思った次の瞬間、今まで見たこともないような大きなけいれんが

私は急きょ会社を休み、アッパ君を連れて病院へ行きました。

幸い、その日はアッパ君の手術をしてくれた先生がいらっしゃり、アッパ君を一目見た瞬間、その場で入院することになりました。


私も、アッパ君も、「なんでやろ。何で起こったんやろ」と、けいれんが起こった原因を考えてばかりいました。

そんな私を救ってくれたのは、その名も「脳動静脈奇形」という、アッパ君と同じ病気に苦しむ患者さんや、そのご家族が集まるコミュニティでした。

10万人に1人という珍しい病気にも関わらず、このコミュニティのおかげでいろんな症例を知ることができました。

わらをもすがる思いで投げかけた質問に、皆さんは親身になって答えてくれ、励ましていただきました。



結果、けいれんが起こるメカニズムについては、まだはっきり分からないこと、薬が合うまでは根気よくけいれんの発作と向き合わなければならないことを知りました。

とは言ってもやっぱり何度も崩れてしまい、病院の帰り道は大抵泣いてましたし、こんな顔では子ども達の待っている家には帰れないと、Senkoちゃんちに寄り道して帰ったこともありました。




職場では品物間違いが出て取引先が視察に来たり、

息子は2年生がトライやるでいない間の主将代理を務めたり、

急にやる気スイッチが入ったのか名谷支部の方にも行きたいと言いだして空手の送り迎えが増えたり、

娘りんこは音楽会があったり


と毎日ひっちゃかめっちゃかの生活でしたが、入院準備と保険金請求の手続きだけは妙にこ慣れてしまった自分がいたりしました(笑)





そして、やっぱりアッパ君は、今まで飲んでいたデパケンという薬を思いきってやめ、イーケプラとテグレトールという薬に替えて様子を見ることになりました。




手術の後遺症の高次脳機能障害は、右手の麻痺と失語症があります。

失語症と言ってもピンキリですが、うちのアッパ君の場合は

     ST(言語療法士)が他科医師に向けて書いてくれた紙です。






こんなアッパ君ですが、元気です。

週明けには退院して、自宅から通院でリハビリすることが決まりました。




私を励ましてくれた全てのみなさん、いつも、いつも感謝しています。らびゅ「ポチッと!」お願いします
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ご報告(長文御免)

2012年09月24日 23時17分47秒 | アッパ君の話
皆様、本当にたくさんの励まし、ありがとうございました。

本日、アッパ君無事退院いたしました。





県立リハビリテーション中央病院から退院したのが7月25日。

家族・友人・周囲の人々の反対を押し切って

8月1日より職場復帰※運転だけはかろうじて止めておりました


元気な人でも熱中症で倒れていたこの夏、アッパ君の体は相当参っていたのだと思われます。





9月 11日(火)

いつものように夕方帰宅したアッパ君。

いつものように風呂に入り、夕食を食べようとした矢先のこと。

「なんかおかしい」

見ると、左目の下辺りがピクピクとけいれんしていました

「大丈夫?病院行こうか?」

「大丈夫。ちょっと寝たら治るから」

「じゃぁ、ちょっとだけ食べて薬飲んで寝る?」

実際にはいつもの半分も食べれなかったのですが、薬はちゃんと飲んで寝室へ上がりました。

その後、しばらくして2階からドンッと大きな音がしました。どうやらアッパ君がベッドから落ちたようでした。

「どうしよう!アッパが何か変やねん!」

慌てた私は、自然と1番にSenkoちゃんに電話してしまっていました。

「ほれ見てみぃ!すぐ病院連れていき!」

「大丈夫やから」

アッパ君が階段をフラフラと下りてきましたが、ろれつが回ってません!

病院へ電話すると、「すぐ来て下さい」とのこと。

「行こう」「待って」

洗面所で突っ立つアッパ君。

「どないしたん?」「どないするんやったっけ」

歯磨きと歯ブラシを逆に持っています。

「真剣?」「…」目の焦点が合ってません!

病院へ向かう車の中でも、うわごとのようにブツブツ何か言ってはいますが、何を言っているのか聞きとることはできませんでした。


病院へ行くと、CTを撮ったあと、けいれんを止める点滴を打ちました。

「けいれんが起きる原因はアルコールの摂りすぎ・風邪のひき始めか治りかけ、そして睡眠不足が考えられます」

「間違いなく睡眠不足しか考えられませんね…」


点滴が終わり、なかなか目の覚めないアッパ君を車椅子で玄関まで運び、なんとか家まで連れて帰ってきました。

心配してくれていたSenkoちゃんに報告しようと電話したとたん、またもやドンッと音が。


見に行くと、布団にはもどした形跡があり、アッパ君はトイレで倒れていました。

必死で起こして立たせました。アッパ君はもどしながらも

「殺して…殺して…」とつぶやいてます。

シーツを替えて寝かせましたが、しばらくすると起きあがって何か私に言おうとしてます…が…

言葉が出ません!目も焦点が合いません!

再び病院へ電話しましたが

「けいれんが出ていないならば朝まで様子を見て下さい」

; ̄ロ ̄)!!

今思い返しても、この瞬間が一番怖かったです…

寒がっているように見えたので、何気なくおでこを触ると…熱い!!



熱は翌日も下がりませんでした。

病院からは電話はありましたが、相変わらず

「けいれんが出ていないならば熱が下がるまで様子を見て下さい」

「先生、言葉は…戻るんですか?」

「こればかりは個人差によりますね」



翌日も、熱は下がっては上がりを繰り返しました。

病院から電話があり、

「何なら10月に予定していた検査入院を早めましょうか?」と言われたので、二つ返事でお願いしました。

「何で俺がこんな目に…」夜になるとベッドでシクシク泣くアッパ君。

入院の日までがひどく長く感じました。




9月 19日(水)入院。

9月 20日(木)MRI。

9月 21日(金)血管造影。


全て異常なし。



結論から言うと、術後に新たな何かがあって発作が起きた訳ではなく、手術の影響で起こった発作だったということ。

なので、薬を増やして様子を見ようということになりました。

今まで飲んでいたデパケン200に加え、イーケプラという薬を飲むことになりました。


     バイ○グラに似てる←不謹慎 

この薬を飲むことによって、けいれん発作が起きる頻度はかなり減るそうです。

入院してから日を追って、だんだんアッパ君の言葉も戻ってきました。



たくさんの人に迷惑をかけたとしょぼくれているアッパ君。

今度こそはしっかり十分な休養をとってほしいと思います




入院の準備も、保険金請求の書類手続きも、すっかりこ慣れました(笑)明日からは稼ぎ頭で張り切って働きます(笑)「ポチッと!」お願いします
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ありがとうございました。

2012年07月25日 22時57分53秒 | アッパ君の話
本日、県立リハビリテーション中央病院に入院していたアッパ君が、無事に退院して参りました。

右手の麻痺や失語などの高次脳機能障害は、まだ完治には至っておりませんが、日常生活に支障はない程度には回復し、自立した生活が送れているからです。

この期間、本当に何度も何度もくじけそうになりながらも何とかここまでやって来られたのは、皆様の励ましがとても大きいです。

本当にありがとうございました






手術の跡も大分目立たなくなってきました




アッパ君が飲んでいるが薬なので、の運転はまだまだ先になります。

なので、職場復帰はまだまだ先のお話です。




これからまだまだ大変ですが、気長にやっていこうと思います。

ゆっくりゆっくり、焦らないように、これからも見守っていて下さいね。「ポチッと!」お願いします。
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覚書

2012年05月13日 22時12分38秒 | アッパ君の話
4月 15日(日)術後2日目

昨日は微熱だったのに、また38度台に上がっていた。
悲観的で、クラいことばかり言っていた。
名前は出るのに、名字が出ない。
数字が言えなくて、指で表していた。
ICUを明日出られると聞いて、嬉しそうだった。



4月 16日(月)術後3日目

ICUから自分の病室へ戻った。
だんだんしゃべれなくなっているような感じを受けた。
トイレに言ってもズボンが下せず、お尻を拭くこともできない。
泣きながら「ごめん」と謝ってばかりいた。
明日も来てほしそうなそぶりを見せる。甘えるようにはなっているけど
「子ども、子ども、帰り」という様子は、いつものアッパ君だった。



4月 17日(火)術後4日目

前日とはまたうってかわって元気そうだった。
昨日はまだ熱があったそうだ。
ごはんもよく食べた。
「明日からリカビリ」
「リハビリ」
「うん。リハビリ始まる」と言った。



4月 18日(水)術後5日目

格段と言葉が増えた!
リハビリでやったことを教えてくれた。
ICUでは時計を読めなかったのに、
「10時から45分間リハビリやった」と、数字も言えるようになっていた。
おみっちゃんからもらったくるみの実を握らせてみると、まだポロポロ落としてうまく握れなかった。
子どもから電話がかかってきたとき「代わって」と言った。
受話器を持った瞬間泣きだし、「ごめんな。ごめんな」と言っていた。
ごはんはほぼ完食!


4月 19日(木)術後6日目

アッパ君が手術室に入った日から1週間が過ぎた。
職場に病院からTEL。CTを撮ったら、血管奇形があった個所に白い影が写っているとのことで
急きょカテーテルの血管撮影をするとのことだった。
撮影結果は出血でも血管奇形の取り残しでも何でもなかったそうだ。
では、何だったのか…明日検査続行。
アッパ君は元気。



4月 20日(金)術後7日目

仕事を休んだので、午前見舞い。
あったものがなくなったので、脳の血流がよくなりすぎている個所があるらしい。
あまりよくなりすぎても血管が破れる恐れがあるので、調整しないといけないのだそうだ。
10時半からリハビリ。夕方CT。
今まで電源を切っていた携帯で「今日はもう来んでいいから子どもらとおったって」と電話してきた。



4月 21日(土)術後8日目

義父が義母の入院をアッパ君に言ってしまっていた。
言葉はほとんど問題なし。クイズを出してくれと言ってきたので「30+20」と言うと「50」と大正解。
食欲もあって、夕食をほぼ残さず食べた。




+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++


ここまでは記録の覚書
そして…



5月 12日(土)術後1カ月

アッパ君2度目の外泊にて、私の実家の母、そして「第3の母」おみっちゃんに母の日のお花を渡しに行きました。
今まで頑なに面会に来るのを拒んでいたアッパ君に、一番気遣ってくれていた二人の母だったので(笑)

そして本日13日(日)、アッパ君の実家でお姑様に母の日のお花を渡しました。

両家の墓にも行って、見守ってくれていたご先祖様にご報告とお礼。






こうして、順調に回復をとげているアッパ君ですが、いよいよ明日から転院することになりました。

保険会社に提出する診断書には

「右手巧緻運動障害と軽度の失算などの高次脳機能障害の為県立リハビリ病院に転院」と書かれています。

難しい言葉でよく分からないけど、今回の手術によって、現在右手に軽い麻痺が出ていて、主に箸や鉛筆を持つのに苦労してます。

また、言葉は大分出るようになってはきているけど、まだたどたどしい部分があったり、特に数字・簡単な計算ができないです。

「ほんでも、オレもともと計算できひんかったからなぁ。どこまで治ってんのか分からんわ」

「; ̄ロ ̄)!!ま…まぁ、『元通り』以上の状態になったらええんやんか!」

でも、頑張り屋さんのアッパ君の事だから、きっと大丈夫やと思います。

病院はちょっと遠くなってしまいますが、アッパ君は根性で毎週末外泊すると息巻いております。

え~、飲みに出られへんやん(そこ?!)




↓当初、毎日書き続けようと決意した「覚書」、1週間しか続かんかった…「ポチッと!」お願いします
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家族以上の家族

2012年04月19日 00時04分54秒 | アッパ君の話
アッパ君の術後の経過は、ゆっくりだけど順調に回復してきている、とのこと。

でも、手術前に先生に聞いていた「一時的な軽い麻痺」が予想以上だったことに、私たち家族はもちろん、アッパ君本人がなかなか受け入れられないでいるのが現状。

今週月曜に無事ICUから自分の病室に戻ってこられたアッパ君。

今日からは、言葉と右手のリハビリも始まりました。




アッパ君の病気が発覚したときから、陰から日向から私達一家を支えてくれているおみっちゃん・Senkoちゃん母子からプレゼントをいただきました。

     封筒には愛のこもったメッセージ

中には…

     くるみの実です

「これをずっとにぎにぎしとくんやで」

言われたとおり、アッパ君の右手に握らせてみました。

     「にぎ」、が精いっぱい、「にぎにぎ」しようとすると、ぽろぽろとこぼれていきます。

「あかんなぁ」

「あかんことない。始まったばかりやで。これずっと持っときよ」

頑張れ、アッパ君!みんなが応援してくれてるよ





この期間、誰よりもアッパ君を、そして私達家族を心配してくれているSenkoちゃんとおみっちゃんは、誰よりも家族の一員です「ポチッと!」お願いします
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長い長~い1週間のお話。②(長文御免!)

2012年04月15日 01時26分36秒 | アッパ君の話
さて、入学式の2日後は、いよいよアッパ君の開頭手術の日でした。

長丁場になることは分かっていたので、タクシーで帰れるよう、朝は地下鉄に乗って病院へ乗り込みました。



病室に着くと、義父母はすでに来ており、準備万端整ったアッパ君が座っていました。

8時20分、看護師が呼びに来ました。

「うちら、ここで待っとくわ」と義母が言ったので、看護師についてアッパ君と私は並んで歩いていきました。

9階の病室からエレベーターに乗り3階で降りると

「ご家族の方はここまでです」と言われました。

「頑張って」

「おう、行ってくるわ

右手を上げて手術室の中へ入って行ったアッパ君、ドアが閉まった瞬間、こらえきれず涙があふれ出しました。

泣きながら病室に戻り、しばらく泣いていた私だったのですが、やがて義父母が一旦家に戻ると、そこからは時間との闘いになりました。

ひまつぶしに持ってきた本を読んだり、テレビを見ながらも目はちっとも字や画面を追わず、また泣いて、泣き疲れて眠り、そしてまた本を開き…




そんなとき、本部役員を一緒にやっているS子が息子のR君を連れて病室に入ってきました

偶然R君の診察で同じ病院にきていたのでした。

差し入れでお菓子と雑誌を持ってきてくれたS子はお昼まで一緒にいてくれ、大分気がまぎれました。

午後からはまた↑のような過ごし方をし(但し、お昼寝の時間の率が若干高い)夕方には義父母が晩ごはんを買ってきてくれました。

何時に終わるか分からないので義父母は家で待機すると言って帰り、再び一人に。

入れ替わりに義弟夫婦が少し覗いて帰り、その次はSenkoちゃん、おみっちゃん母子が差し入れを持ってやってきてくれました

いつも会社で見るのよりはるかに豪華な手作りお弁当

長い時間一緒にいてくれ、一瞬でも不安を忘れ、笑っていられました。

そこからはまたまた長い長~い孤独との闘い。

手足がハンパなくむくんできました。

準夜勤から夜勤へと看護師が入れ替わり、その度に挨拶には来るのですが、手術の経過の報告は一向に入ってきませんでした。




アッパ君が手術室に入ってから17時間たった午前2時、看護師さんから報告が入りました!

「今、悪い部分はみんな取り出してあとは縫合するんで、1時間位したら終わります」

よし、あともうちょっとや!アッパ君、頑張れ!




午前3時過ぎ、手術が終わったとの連絡があり、私は看護師について集中治療室へ入りました。

いつも淡々としゃべる教授肌の先生が、手術服のまま私を待っていました。

「実質は14時間程だったんですが、実にスムーズに手術は済んで、ナイダスもきれいに取りだすことができました。今はまだ麻酔がきれかかっているのでぼーっとしていますが、麻痺も残らないと思いますし言葉も徐々に戻って来ると思います」

「ありがとうございます!!!」

実際、そのときのアッパ君は、「お名前言えますかー?」「ここがどこか分かりますかー?」という医師や看護師の言葉に答えることはなかったし、「手握ってみて」と言われるがままに握ってはいたけれど、右が極端に弱かったりしたのですが、面会を待っているカーテン越しに、はっきり

「気持ち悪い」

というアッパ君の肉声が聞こえた瞬間の喜びを何て表現したらいいのか、分かりません。




「奥さん、どうぞ。入ってきて声かけてあげてください」

私は、おそるおそるよびかけました。

「アッパ…アッパ…よぉ頑張ったなぁ」

アッパ君の目がかすかに開き、私を見ましたが、すぐに目は閉じ、また寝てしまったようでした。

「あの、家族に連絡したいので、今日は一旦帰ります」




家族に一通り連絡を済ませ、家に帰って子ども達の為に泊まりに来てくれていた母に報告しておんおん泣き、そうしてる間にすぐに朝になり。

子どもを送り出し、Senkoちゃん始め友達に連絡し、風呂に入って泥のように眠り。

電話の音で目覚めました。私より一足先に病院へ行っていた義母からでした。

「あんたのことえらい探してるわ」

「; ̄ロ ̄)!!すぐ行きます!」

あぁ、もっと早く行ったったらよかった。

目が覚めたとき、おったったらよかった。

集中治療室に着いたら、思ったより落ち着いたアッパ君がいて「ごめんね」と言いました。

「よかったなぁ。頑張ったなぁ」

「なんでや」

「何でやって…生きれたからやんか!」

手術直後で顔はむくみ、熱も出ていましたが、思ったより言葉は出ていました。

ただ、言いたい言葉が頭には浮かんでいるんだけど、それが口に出て来ず、もどかしそうでした。

結局、最後まで私の名前を呼んでくれることもありませんでした。




1日明け、今日はまたまたみちがえたように顔のむくみも取れ、熱も微熱に下がっていました。

「おーい、どない?」

「腰痛い」

言葉も昨日よりずっとはっきりしゃべってます

「なぁ、あたし誰か分かる?」

「…わからん」

「もうええねん」

「わからん」

「…マジ?」

「……けろろ」


「ねー。今日になってこんなシャレならん冗談言うてくれるようになったんですよぉ」

側で聞いていた看護師さんが笑いながら言いました。

相変わらず言葉が出ないもどかしさや、右手の指先の感覚がなかったりするんですけど、あんな壮絶な手術(淡々としゃべる教授先生いわく「頭パカッと開けて頭蓋骨ずらしてねぇ」ヒエェェェェをしてまだたったの2日しかたってないのに!!




「焦らずに、ゆっくりゆっくり」今年のけろろ一家のキーワードにしていこうと思います




長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

暗いお話しで恐縮ですが、一応我が家の歴史において外せない出来事なので、あえてドキュメントタッチで書かせていただきました




病室に差し入れを持って励ましに来てくれたS子、Senkoちゃん、おみっちゃんはもちろんのこと

不安にかられてたまらずつぶやいたボイス、Twitter、Facebookに応援や励ましのコメントを入れて下さったお友達の皆様。

私はあの日ほど皆様に支えられて生きていることを実感したことはありません。

本当にありがとうございました
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あんたもあたしも頑張った。

2012年04月05日 02時55分12秒 | アッパ君の話
4月2日に入院したアッパ君は、本日カテーテルによる塞栓(血管内治療)を行いました。

簡単に言えば、アッパ君の脳の血管の一部は、鳥の巣のようにぐじゃっとなっている状態で

     ※参考画像(アッパ君の物ではございません。でもこんなカンジ)

いらん血管を取っ払っていくんだけれども、手術では取りにくい、奥の方の血管にカテーテルで薬を流し込んで塞いでしまったんでございます。

今日の出来次第で、12日の本ちゃんの開頭手術の出来が決まる、と言われてにわかに緊張したうちら

朝の9時、あれだけ嫌がっていた管を体中に通され、それでも元気に歩いて治療室へ入ったアッパ君。

私はアッパ君の病室でひたすら待機。

なのですが。

今日はもう一つ、重大な用事が入っておりました

12:00~15:00、中学校にて物品購入

治療終了予定が15:00頃

しゃーない。先行くか。

「すいません、1時間ほど抜けてもよろしいでしょうか」

私は、ナースステーションで看護師に声をかけました。

「いいですよ。携帯番号だけ書いておいてもらえますか?」

なんや。よかった

「院内にはおられるんですよね?」

「?いえ」

次の瞬間、看護師さんの顔色が変わりました

「えっ?遠いんですか?」

「いえ、遠くはないですけど」

「近くもない」という言葉は呑み込みました(笑)

「この携帯にかければ繋がるんですよね」

「はい」

「危ない状態のときに」

「えっっ?!」

「あ!すいません!大丈夫なんですけど!もし何かあったときにここにかければ、ここに来られるご家族全員に連絡は回していただけるんですよね」

「はい。でも……なるべく早く戻ります!」

今更ながら、アッパ君はそれだけ大変な状態にいるのだということを感じ、怖くなりました。

決して分かってなかったことはないんですが、ピンとこなかった、というか…

それでも、息子の物品購入もこれを逃すともうありません。

私は、大急ぎで車をとばし、家を素通りして中学校へ行き、あらかじめ頼んでおいた体操服に加え、体育館シューズと通学カバンを購入し、

ついでに家によって子どもらにエサを与え、

ジャスト1時間で戻ることができました

アッパ君は、部分麻酔だったので意識もしっかりしていましたが、とても疲れたようで、今日は1日ICUに入っています。




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笑う入院

2011年12月07日 00時06分58秒 | アッパ君の話
「笑う」と題しましたが、まぁ笑えません。

でも、うちにとって普段は存在感のないアッパ君ですが、この一大事、記録には留めておきたいので、あえて書かせていただこうと思います。




「アッパ、病気やねんやんかぁ」

「ふうん。おやすみ、アッパ

; ̄ロ ̄)!!

いやいや、そこで言うたらあかんやろ!



こんな残念な反応の娘りんこの声を背に、アッパ君が1泊2日の検査入院に行ってきました。

足の付け根に針を刺し、造影剤を入れて脳の血管撮影をするのが主な目的です。

入院する前の日から、病院では1日安静なのを気にして、そわそわしていたアッパ君。

前回、ケガで入院したときもそうでしたが、おしっこを採ってもらうのを極端に嫌がってました(笑)

「オンマやってな。な。」

「何でぇ?慣れてる看護師さんにとってもらったらえーやんか!」

「…反応してもたら困るやん」

…ほんま、あふぉでございますです。はい




その上、今回は一部剃毛まで

アッパ君と同年代っぽい看護師さんが、慣れた手つきでジョリジョリ剃ってくれたのですが…

「結構ギャランドゥですね。あはは」

ってこれ、どーなん?!



まぁ、そんなこんなで脳血管撮影は2時間ほどで済みましたが、やはり丸1日安静で、看護師さんには結局1回だけおしっこをとってもらったんです。

「よかったなぁ。どないもなかったやろ?」

看護師さんが出て行ったあと聞いてみると

「見とったやろ?あの看護師つまんでんで

いやぁ、彼のヘコみようはハンパなかったです(爆)

それ以降、私が帰ったあとは、おしっこは自分でとった後、看護師さんには処理だけを頼んだというから驚いたというか呆れたというか…





まぁ、そんなこんなで肝心な結果なんですが



う~ん、これを見ただけでは素人はイマイチよく分かりません

ところが、先生いわく「利き腕」があるように脳にも「利き脳」のようなものがあるらしいのですが、アッパ君の場合それがよく分からないので、後日もう1度MRIを撮りに来て下さい、とのことでした。

そうして2度目のMRI撮影をした結果、アッパ君の「利き脳」は両方だったことが分かりました。

つまり、言語野(言葉をつかさどる神経)が両方にあるということらしく、ますますアッパ君の血管奇形は

「できればあんまりイジリたくないなぁ」という位置にある、ということらしいのです



で、どうやってこの血管を取り除くのか。

ほっとくとどんどんこの血管は膨らんで、破裂したら終わりです。

手術できればいいけど、先ほど言ったようにそうそう簡単にはできる場所ではない。

で、カテーテルで塞栓していってから手術なり放射線治療なりに移るのがベターなんじゃないか。

ただ、手術はできる、ガンマナイフ(放射線治療用装置)もここにはある。

でも、塞栓術ができる医師がここにはいない。

紹介状を書くので、大学病院に行って診てもらうように。




…という説明を今日、聞いてきました。

病院から帰って、息子を道場へ連れて行こうとしたら、バッテリーがあがって動かない

しかたなく、空手は断念し、まだ茫然としているアッパ君を連れてスタンドへ。

バッテリーを交換してもらう間、ぼーっと二人でコーヒーを飲みながら

「あぁ、こりゃこんなアッパ君を置いては行けなかったな。これは『今日は名谷へは行くな』という意味やったのかも知れないな」

と、ふと思いました。




何だか、思うように行かないことばかりで参っちゃうなぁ。「ポチッと!」お願いします。
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人間だもの。

2011年11月23日 03時07分03秒 | アッパ君の話
3年前、アッパ君が仕事中に足を大怪我した頃のことです。

「何か、手がしびれんねんよなー」

「ふぅん。腱鞘炎ちゃうん?病院行っておいでーな」

私はテキトーにあしらいました。





毎日仕事して帰って来る私を、リビングの定位置で寝そべって迎えては、体のあちこちの不調を訴えるアッパ君。

「何ぼポンコツの自動車でも、毎日走っていれば動くけど、一旦放置すると動かなくなる」

今まで毎日休まずに働いていたときは何も言わなかったのに、なまけて療養生活をしているからあちこち痛く感じるんだ。

子どもじゃないんやから、痛ければ自分で病院に行けばいいんだ。私は仕事してるんだから。

長く終わりの見えないと思っていたアッパ君の在宅療養中、心に余裕のなかった当時の私は、こんな風に冷たく思っていたのでした。





足は見事に完治し、職場復帰も無事に果たしたアッパ君でしたが、相変わらず肩・首の凝りと右手のしびれに悩んでいる様子でした。

最近では手のしびれに続き、「めまい」「ろれつが回らなくなる」と言った症状がプラスされ、その発作のようなものが半年に1回起こっていたのが2カ月に1回、1カ月に1回、そして2週間に1回と、その周期がどんどん縮まってきていました。

それを聞いてなお何のアクションも起こさなかった私に

「あんた、それ脳梗塞の症状やないの!!すぐ病院行ってMRI撮っておいで!」

とお尻を叩いてくれたのは、やはりいつものおみっちゃん、Senkoちゃん母子でした。





それでも心のどこかでは「大げさな」と思っていた私。

病院に行ってまず撮ったのは、MRIではなく、CTでした。

CTを撮って再び診察室に入ったとき、既に先生のもとに送られてきていたCTの画像のファイルにくっついていたメモが見えました。

「AVMの所見あり」

意味は分からなかったけど、何かとてもイヤ~な予感がしました。

その後、画像を見ながら

脳動静脈奇形

の疑いがある、と言われました。

初めて聞く言葉でしたが、ネットでググると結構出て来ますし、mixiにはコミュニティまでありました。

「通常、動脈(酸素と栄養を運ぶ赤い血を流す血管)は枝分かれをし、細くなった後に毛細血管となります。毛細血管は直接、細胞(脳では神経細胞も含めた脳細胞)に酸素と栄養を渡し二酸化炭素と老廃物を受け取って血液に戻します。この血液を流す毛細血管が集まって静脈となり、心臓へ戻る仕組みになっています。」



「この病気の場合、脳の血管が形成されていく際の異常によって、毛細血管が作られずに、動脈と静脈が直接繋がっている病気です。酸素と栄養の交換に関係が無く、本来細かく広がる事で分散される動脈の圧力が、直接静脈系に加わり、少しずつ大きくなる事もある病気です。」


              
                                                (東海大学病院脳神経外科サイトより引用)


次回、MRIを撮って、もっと詳しく調べようと言われ、その日は帰宅しました。


どうしてもっと早く病院に行かなかったんやろう。

何でもっとちゃんとアッパ君の言葉に耳を傾けてやれんかったんやろう。

いつも何か起こってからやっと、私は自分の鬼嫁ぶりを悔いるのです。

私にとっての唯一の救いは、この病気は先天性のものであり、私との尋常ではない結婚生活(笑)がもたらしたものではないということでした。

アッパ君は決して私と子ども達のスーパーマンでも鉄人でもなく、人間なのです。

そんな当たり前の事に、やっと気付いた妻失格のけろろです。








さて、気を取り直して。

尻を叩いてくれたおみっちゃん、Senkoちゃん母子に報告すると

「お百度参り行こう」と誘ってくれました。

場所は北区にある「やきもち地蔵」



駅から山道を下ったらすぐありました。



     「さぁ、頑張るで」

何と、アッパ君の病気が治りますようにと、おみっちゃん、Senkoちゃんも一緒にお百度を踏んでくれたんです。

最初はこんなんで御利益あるんかいなっちゅー位楽しく笑いながら参っていましたが、次第に言葉少なになり、往復しては手を合わせてくれるおみっちゃん、Senkoちゃんの姿を見ると涙が止まりませんでした。

「今度は願いが叶ったとき、アッパ君と一緒にお礼まいりに来るんやで」

「うん。うん。ありがとう」

やきもち地蔵を後にし、感動の涙もまだ消えぬうちに行き着いたのはやはりこれ(笑)

     だって、私とSenkoちゃんですよ?

     駅までの帰り道は、ある意味お百度よりもこたえました(笑)





そして今日。

CTの段階で「疑い」だった病名は、MRIを撮って正式に「診断」が下されました。

     (イメージ画像)



今週の金曜日、1泊2日の検査入院で脳血管撮影をして、最適な治療法を模索するとのことでした。




頼りない鬼嫁ですが、こんなんでも支えになれるのなら、精一杯頑張ろうと思ってます。

こんなオラに元気を分けてくれ!




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