何年か前まで、私は自他共に認める筆マメだった
今までの人生の中で、数多くの友人にめぐり合い、その度に正月出す年賀状の数は増えていった。
年末は、10月ごろから写真選びに余念がなく、100枚近く注文して、全部送っていた。
私は、結婚前まで、小学校の教師をしていた。
とは言っても、民族学校で、おまけに山の分校のような、小さく、生徒数の少ない、現在は廃校になっている学校だ。
2年過ごした大学時代に知り合った全国から集まった友達。
それぞれ卒業し、教師になって自分のクラスの子ども達の年賀状を送ってきたし、私も送った。
それは、結婚し、子どもを産んでも続いた。続くハズだった。
教師を辞め、結婚し、出産する子が1人、2人増えていく。
中には、不妊治療で苦しんでいる友達もいる。
年賀状しか付き合いがない子もいる。
結婚した相手によって、自分と同じように民族教育を受けさせている子もいれば、わたしのように、通名で暮らしている子もいる。
そんな友達に、ただ単なる「ウチの子自慢」の年賀状を送ることや、送られることに疑問を感じるようになった。
そりゃ、最初の何年かは「大きくなったなぁ」「あの子に似てるなぁ」と、楽しんで見れるだろう。
でも、それが何年も続くと、「もうえぇで」とひいてしまっている自分がいる。
そして、いくら悪気がなくても、年賀状の内容によっては、気分を害してしまう物もある、ということに気づいた。
いつしか、筆マメだった私が、年賀状イコール来たものにだけ返事をするものと化してしまった
まぁ、100枚出していた頃も、今も、私に来る枚数自体は変わりないので、今までが嬉しがってバラまいていただけのような気がするが
ただ、やっぱり、元旦過ぎて慌てて準備を始めるので、今年こそは、年末、どんなに忙しかろうと、年賀状の準備は怠らないようにしようと思う
今までの人生の中で、数多くの友人にめぐり合い、その度に正月出す年賀状の数は増えていった。
年末は、10月ごろから写真選びに余念がなく、100枚近く注文して、全部送っていた。
私は、結婚前まで、小学校の教師をしていた。
とは言っても、民族学校で、おまけに山の分校のような、小さく、生徒数の少ない、現在は廃校になっている学校だ。
2年過ごした大学時代に知り合った全国から集まった友達。
それぞれ卒業し、教師になって自分のクラスの子ども達の年賀状を送ってきたし、私も送った。
それは、結婚し、子どもを産んでも続いた。続くハズだった。
教師を辞め、結婚し、出産する子が1人、2人増えていく。
中には、不妊治療で苦しんでいる友達もいる。
年賀状しか付き合いがない子もいる。
結婚した相手によって、自分と同じように民族教育を受けさせている子もいれば、わたしのように、通名で暮らしている子もいる。
そんな友達に、ただ単なる「ウチの子自慢」の年賀状を送ることや、送られることに疑問を感じるようになった。
そりゃ、最初の何年かは「大きくなったなぁ」「あの子に似てるなぁ」と、楽しんで見れるだろう。
でも、それが何年も続くと、「もうえぇで」とひいてしまっている自分がいる。
そして、いくら悪気がなくても、年賀状の内容によっては、気分を害してしまう物もある、ということに気づいた。
いつしか、筆マメだった私が、年賀状イコール来たものにだけ返事をするものと化してしまった
まぁ、100枚出していた頃も、今も、私に来る枚数自体は変わりないので、今までが嬉しがってバラまいていただけのような気がするが
ただ、やっぱり、元旦過ぎて慌てて準備を始めるので、今年こそは、年末、どんなに忙しかろうと、年賀状の準備は怠らないようにしようと思う