研修会が終わり、また青森駅まで戻って来ました。
ここから『はまなす』までどう時間を使うか、大いに悩みましたが、青森から船で脇野沢港に行き、バスで大湊駅まで移動して野辺地経由で青森へ戻るルートを選びました。津軽海峡を満喫しながら、乗ったことのない大湊線、青い森鉄道を楽しむ最良のプランと意気込み、駅でお弁当2個とハイボールのロング缶3本を張り込んで青森港へ向かいました。
港に続く道から青森駅を臨みます。停車しているのは485系。今では派手な色の「つがる」ですが、これが昔は「はつかり」であったり「白鳥」であったりしたのだと思いを巡らします。続いて右手に「八甲田丸」を眺めます。歌にもありますように、また、書籍や小説でも、青函連絡船を表現したものは冬であったり夜であることが多い気がします。何か悲しみを背負って乗り込む連絡船、夢破れて失望のうちに越える海峡。脳裏にそういったものが焼き付いているわけですから、今日のように晴天に恵まれて穏やかな気候に見る八甲田丸は、私にとっては少々拍子抜けです。勝手な思い込みなのですが。
駅に隣接しているとはいえ改札からはまあまあ離れたところに乗り場があります。青函連絡船とまではもちろんいきませんが、わずかでもそんな雰囲気が味わえると期待します。ところが、乗り場に近付いてもそれらしき船は見当たりませんし、人も全く歩いていません。不安になりながらも乗り場まで来ますと、小さな紙に『強風の為、本日運休』と書かれていました、、、嗚呼、、
がーっくり来て呆然と駅まで引き返します。どうしたものかなと駅の掲示板を見てみますと『三厩』の文字が見えました。そういえば津軽線の終点まで行ったこともありません。時刻表を見ますと折り返しがちょうど最終で戻れるようなので、このプランに落ち着くことにしました。
列車は発車間近で、さっさと撮影を済ませて乗り込みます。キハ40系列の2両編成で、車掌も乗務していました。半分以上の座席が埋まる乗車率で発車。再び蟹田方面を目指します。
最後の活躍をする「白鳥」「スーパー白鳥」とのすれ違いや追い抜きを体験することが出来、乗っているだけではなく走っている姿も目に焼き付けることが出来ましたので、津軽線往復を選択したのもまあ良かったかなと思いました。
各駅で少しずつ乗客を下ろし、蟹田からはガラガラになりました。弁当を広げ、ボックス席に足を放り出し、ハイボールを流し込みます。今朝のグランクラスも贅沢な空間でしたが、ディーゼルカーにのんびり揺られるこの時間もまた、最高の時間が流れます。
右手には数日後に新幹線が走る海峡線。津軽今別周辺のコンクリート郡をローカル気動車から眺めるのも一興です。数日後には轟音を立てて「はやぶさ」が高速で通過していくわけです。こちらは単線をグラグラと揺れながら2両編成のディーゼルカーが走るだけです。近くで見ると要塞のような津軽今別駅周辺。もちろん、周りの景色ともマッチするものではありません。
平行在来線にならない津軽線。津軽二股付近ではかなり閑散とした車内で、1日5本というダイヤを考えると、あと何年、こうして列車が走っているのかも心配になります。新幹線が開通して数年先の鉄道地図を案じながら、キハ40に揺られる旅は続きます。
エンジンの振動に酔いながら、津軽海峡の荒波を垣間見ながら、至福の時間は過ぎ行き、終点三厩に着きました。
1日平均20名しか利用しない三厩駅。駅前には何もありません。
歌に歌われる北のはずれ、竜飛岬はここからまだまだありますが、昼間には竜飛岬まで行くバスもあるようで、そのような観光需要も少しはあるんでしょうか。私が乗ってきた列車の接続は地元の巡回バスでしたが、列車から降りてきたおばあさん一人だけの乗車で、現実を知らしめされました。
せっかくですから津軽海峡から竜飛岬を望んで郷愁にひてりたいと思い、一路海を目指します。駅と海との間にある土建屋さんは北海道新幹線の恩恵を受けているようで、敷地に資材が満載されていました。先程のバスに見る現実とのコントラストが妙です。一連の工事が終わると、どうなってしまうのでしょうか。
歩いて15分ほどで海沿いに着きました。竜飛岬方面を見て、霞んで見える陸地を北の大地かと想像します。すぐ近くにはトンネルの中を津軽海峡線が走り、数日後には新幹線が走りますが、そんなことを微塵も感じさせない一帯でした。
来た道を駅まで引き返し、最終の蟹田行きに変わった乗ってきた車両に乗車します。4名の乗車で、みな『はまなす』までの時間潰しか、旅行者ばかりでした。
またまたお弁当とハイボールを広げ、のんびりとディーゼルカーの移動を楽しみます。退屈するだろうなと思っていましたが、至福の時間はあっという間に過ぎ去って、本日4度目となる蟹田駅に到着しました。
蟹田からは特急『スーパー白鳥』で青森に向かいます。特急停車駅の蟹田も、あと数本が発着すれば、ローカル列車だけしか来ない駅に変わります。地元の人が何十人か詰めかけ、最後の時を名残惜し気に過ごしていました。
青森駅集合時間までにはまだ時間がありましたので、このまま新青森まで行きました。
新青森駅に到着しますと、ホームの端は物凄い数の人で溢れていました。ちょうど、最終の函館行きスーパー白鳥が発車するときで、セレモニーの真っ最中だったのです。
テレビ局のカメラと照明、たくさんの人が見守るなか、駅長が高らかと右手をあげ、別れを告げる長いタイフォンが鳴り響き、ゆっくりとスーパー白鳥は最期の海峡越えを目指して羽ばたいていきました。思わず私が拍手すると、全員が拍手を始め、テールライトが見えなくなるまでみんなで拍手をし続けました。横断幕を持った女性社員が泣き崩れます。まわりの人も、私も、貰い泣きしてしまいました。
当初、新青森から普通列車で弘前までいって、青森行きの『つがる』に乗ろうと思っていましたが、このセレモニーを見たのでそれは断念し、一駅ですが新青森駅から特急『つがる』に乗車します。ひょっとすると485系に乗れるのではないかと、淡い期待を抱いていますと、これが大正解!見事に485系が来てくれました。乗車時間は僅かですが、お昼の『白鳥』が自分にとって最後の485系だと思っていただけに、なんだかロスタイムでシュートを決めたようなお得感でした。全身をシートに擦り付け、また五感で485系を満喫しました。
青森駅はそれは沢山の人で溢れかえっていました。記念のポストカードが配布されるとかで、駅の前には凄い行列が出来ています。私は同行者の先輩と合流し、駅前の寿司屋で腹ごしらえをすることにしました。握りからアテや何やら食べましたが、まあリーズナブルで美味しいお寿司でした。カウンターに座りましたが、右も左も『はまなす』の乗客で、お互いチケットを取るまでのエピソードや今日への意気込みを語り、青森の地酒と旨い肴が相まって大いに盛り上がりました。
盛り上がり過ぎて、駅に着いたときは既に『はまなす』は入線済みでした。フル増結の堂々たる客車編成を、重連のEF79が牽引するオール国鉄編成。カマの前から撮影するのは一苦労でしたが、ロープに沿って順序よく捌いてくれたため、何とか撮影できました。地元の方、残念ながら切符を手に入れられなかった方、報道陣が入り乱れて、青森駅は大変なお祭り騒ぎになっています。セレモニーも行われていましたが、人が多すぎてチラッと見られる程度でした。
お祭りの時間はあっという間に過ぎ、いよいよ発車の時刻を迎えます。
雰囲気に飲まれ、興奮覚めやまぬまま14系の座席に着きますが、浮き足だって落ち着きません。ガタンっと車体が揺れ、ゆーっくりと動き出しますと、車内は歓喜の拍手が溢れ、ホームに眼を移しますと無数の人が手を大きく振っています。ああ、これが最終列車なんだ、ああ、もう青森駅から夜行急行は2度と発車しないんだと、強く強く感じました。
しばらく鳴り止まない拍手もようやく収まったものの、何やら挨拶まわりに勤しむ者、録音をする者、車内をビデオに記録する者と様々な人種がウロウロうごめいて、夜汽車の雰囲気に浸る余裕はありません。私たちもそんな雰囲気に戸惑いながらも、ようやく腰が簡易リクライニングシートに落ち着いてきて、酒とツマミを開けて最後の夜光客車急行を楽しむ体制になりました。ブレーキの度にガクンガクンと前方につまづくような乗り心地は客車列車ならではの走行シーンです。こんな、ほんの数年前まで当たり前の日常も、もうこれでお仕舞いです。デッキに行くと広がるジョイント音と心地よい寒さ。何も変わらないトイレと洗面所。しかし、変わらずに今日まで存在し続けてきたことが奇跡なわけで、それが何かに守られて生き永らえているのが現実。そんな大きなマトリクスを全身で噛み締めて、日本最後の客車夜行急行を満喫します。
座席に戻り、青森の地酒を嗜みながら、列車は青函トンネルに入りました。先程までのお祭り騒ぎも何処へやら、この頃になりますと車内に静寂が生まれ、皆が思い思いに過ごし始めます。私が始めて青函トンネルを渡ったのは、中学1年生の冬の急行はまなすでした。大垣夜行で東京までいき、上野からひたすら北上して、朝から乗り続けてきたボックスシートに疲れきった体を包み込んでくれたのが急行はまなすの簡易リクライニングシートでした。その快適さに感動し、終着札幌の寒さに早く大阪へ帰りたいと思った記憶が鮮やかに蘇ります。あれから25年、四半世紀が過ぎて今、同じ客車に揺られていることを、13歳の私は想像すらするはずもありません。しかし、現実に今、その時がゆっくりと流れています。しかも最終日。こんな幸せは例えようがありません。
体も心もまどろんで来た頃、列車は緩やかにブレーキを強め、函館駅に到着しました。
先程までの静寂はどこえやら、函館駅に着いた瞬間に上を下への大騒ぎになり、乗客全員がホームに降りて撮影大会が始まりました。DD51が連結されるシーンはもはや殺伐的で、私は長い停車時間をのんびりと煙草を嗜んだりしながら過ごしました。皆が『はまなす』に夢中になっている中、ふと視線を外しますと、最後の仕事を終えた特急『スーパー白鳥』の編成が行ったり来たりしています。ひょっとしたら本州にいた編成が「はまなす」の後ろをついてきたのかもしれません。この先、789系はどうなるのでしょうか。新幹線はたくさんの名車の第2の人生を変えさせるのだなと痛感しました。
さすがに長い停車時間。はしゃぎすぎた面々は段々と車内に戻り、さっきまで戦場のような賑やかさだった釜の前も、いつしか人もまばらになっていました。私もその時を見計らったようにシャッターを切り、思い出を記録に残します。こんな夜中にも関わらず、地元の方々やテレビ局が来て、道南から旅立つはまなすの勇姿を見送っていました。定刻に函館を発車。様々な思いが脳裏を駆け巡りながらも、朝イチの『はやぶさ』からの疲れもあったのか、私もウトウトし始めました。
客車客車に揺られるのはどれだけ心地いいか。ふと目覚めると、薄日が差し込み、車窓には北海道の雄大な景色が朝日に浮かび上がっていました。いよいよ終着駅札幌へのラストスパートに入ります。この時間になると多くの人が目覚めてきて、また様々に記録作業に勤しみます。新しい1日の始まりを迎える車内。本来なら、今日はこんなところに観光に行こう、今日はバリバリ仕事を頑張ろうと思う時間帯ですが、今日だけは違います。もうこの雰囲気、この空気は味わうことが出来ないのです。昨日はふざけて盛り上がっていた方々も、その事実に気づいています。乗り鉄、音鉄、記録鉄、食べ鉄、葬式鉄。いろんな人びとが集まっていますが、時を共にする『はまなす』の乗客はみな、ここに来ての思いは、おそらく1つ。あと10分でも、5分でも長く『はまなす』に乗り続けたい。それだけでしょう。
南千歳駅も大変な人の数で、カメラの方列がこちらを向いていました。沿線にもたくさんの人が見受けられるようになってきました。大勢の人たちの視線を浴びて、大勢の人たちの思いをのせて、最期の定期客車夜光急行列車『はまなす』は、国鉄型車両をガタガタと揺らし、ゆっくりと終着駅札幌に到着いたしました。
札幌駅でも大撮影大会です。私は同行者と別れ、ホームに戻って回送列車となった『はまなす』を見届けます。DD51の長いホイッスルが札幌駅全体に響き渡り、国鉄型で統一された美しい編成が、別れを惜しむようにゆっくりと回送されていきました。お疲れ様、はまなす。よくぞここまで走り続けてくれました。
この日は18時から大阪で会議と会食でした。どこかまで移動して飛行機で帰ろうと思いましたが、なかなかいい時間帯に飛行機がありません。たまにはゆっくりするのもいいかと、函館まで移動して少し観光し、函館から飛行機で帰ることにしました。
朝食を済ませ、特急『北斗』4号に乗車します。またもや国鉄型車両。もちろん、狙ってのことです。
グリーン車1両を含む5両編成で、普通車は満席。結局、函館までほぼ満席の盛況ぶりでした。パワフルなエンジン音を楽しみながら、、と思っていましたが、長旅の疲れがどーっと出てしまい、結局ほとんど寝てしまいました。半日前の深夜に熱気に包まれていた函館駅に、再び到着です。
ひとしきり人波がはけた函館駅のホームから留置線を見ると、昨日大活躍していた「スーパー白鳥」の編成がずらり、そして、DD51もたくさん停まっていました。
日付を超えて次々と、二度と通ることがない青函トンネルを超えてきたことが想像できます。まだ登場して14年の789系、今後の動向が気になります。
今日から数日は新幹線も在来線も、津軽海峡を渡る列車のない函館駅。それでも観光客はたくさんいるなと思いました。空港までのバスの時間を確認し、駅前をブラブラ歩きます。昼食を食べてもまだ時間が30分ほどあったので、連絡船博物館に行きました。微妙な時間なのでサーっと流す程度でしたが、1度来てみたかったので楽しめました。中学生の頃、TMS誌に連絡船のあるモジュールレイアウトが掲載され、それを食い入るように見つめては、自分もこんなレイアウトを作りたいと色んな雑誌を集めていたのを思い出しました。桟橋や可動式跨線橋など、連絡船のある風景には魅力的なシーンがたくさんあります。もちろん、連絡船をそのままスケールダウンしたら大変な長さになりますので、どうデフォルメするかもセンスが問われます。1度は挑戦してみたいテーマです。船内のレールにアンカプラーレールを組み込んで、二軸貨車を控車越しにDE10が押し込んだりしたらどんなに楽しいでしょう。そんなことを考えながら船内を一周しました。
駆け足で駅前まで戻り函館空港にバスで向かいます。初めての空港でしたのでブラブラしようと思いましたが、何やら殺伐とした雰囲気に包まれています。何やら、全日空がシステムトラブルで欠航しているらしく、係員と乗客の間で押し問答が繰り広げられています。空港を見学する間もなくその騒ぎの中を掻い潜り、手続きを済ませてとっととJALの搭乗口に向かいました。札幌で別れた先輩はANA派で、新千歳から伊丹に飛ぶとのことで心配して連絡しましたが、その便までは大丈夫だったようです。私の搭乗する伊丹便もキャンセル待ちの大行列が出来ていました。
何だか慌ただしく出発し、北の大地を後にします。
こうして、『はやぶさ』のグランクラスから始まり『スーパー白鳥』、『白鳥』、津軽線、そして『はまなす』『北斗』と乗り継いだ大満喫の旅が終わりました。2日間でこれだけの濃い思い出を残せた充実した旅は、暫く余韻が残りそうです。
さようなら485系『白鳥』、さようなら14系『はまなす』。美しい思い出は、永遠に。
ここから『はまなす』までどう時間を使うか、大いに悩みましたが、青森から船で脇野沢港に行き、バスで大湊駅まで移動して野辺地経由で青森へ戻るルートを選びました。津軽海峡を満喫しながら、乗ったことのない大湊線、青い森鉄道を楽しむ最良のプランと意気込み、駅でお弁当2個とハイボールのロング缶3本を張り込んで青森港へ向かいました。
港に続く道から青森駅を臨みます。停車しているのは485系。今では派手な色の「つがる」ですが、これが昔は「はつかり」であったり「白鳥」であったりしたのだと思いを巡らします。続いて右手に「八甲田丸」を眺めます。歌にもありますように、また、書籍や小説でも、青函連絡船を表現したものは冬であったり夜であることが多い気がします。何か悲しみを背負って乗り込む連絡船、夢破れて失望のうちに越える海峡。脳裏にそういったものが焼き付いているわけですから、今日のように晴天に恵まれて穏やかな気候に見る八甲田丸は、私にとっては少々拍子抜けです。勝手な思い込みなのですが。
駅に隣接しているとはいえ改札からはまあまあ離れたところに乗り場があります。青函連絡船とまではもちろんいきませんが、わずかでもそんな雰囲気が味わえると期待します。ところが、乗り場に近付いてもそれらしき船は見当たりませんし、人も全く歩いていません。不安になりながらも乗り場まで来ますと、小さな紙に『強風の為、本日運休』と書かれていました、、、嗚呼、、
がーっくり来て呆然と駅まで引き返します。どうしたものかなと駅の掲示板を見てみますと『三厩』の文字が見えました。そういえば津軽線の終点まで行ったこともありません。時刻表を見ますと折り返しがちょうど最終で戻れるようなので、このプランに落ち着くことにしました。
列車は発車間近で、さっさと撮影を済ませて乗り込みます。キハ40系列の2両編成で、車掌も乗務していました。半分以上の座席が埋まる乗車率で発車。再び蟹田方面を目指します。
最後の活躍をする「白鳥」「スーパー白鳥」とのすれ違いや追い抜きを体験することが出来、乗っているだけではなく走っている姿も目に焼き付けることが出来ましたので、津軽線往復を選択したのもまあ良かったかなと思いました。
各駅で少しずつ乗客を下ろし、蟹田からはガラガラになりました。弁当を広げ、ボックス席に足を放り出し、ハイボールを流し込みます。今朝のグランクラスも贅沢な空間でしたが、ディーゼルカーにのんびり揺られるこの時間もまた、最高の時間が流れます。
右手には数日後に新幹線が走る海峡線。津軽今別周辺のコンクリート郡をローカル気動車から眺めるのも一興です。数日後には轟音を立てて「はやぶさ」が高速で通過していくわけです。こちらは単線をグラグラと揺れながら2両編成のディーゼルカーが走るだけです。近くで見ると要塞のような津軽今別駅周辺。もちろん、周りの景色ともマッチするものではありません。
平行在来線にならない津軽線。津軽二股付近ではかなり閑散とした車内で、1日5本というダイヤを考えると、あと何年、こうして列車が走っているのかも心配になります。新幹線が開通して数年先の鉄道地図を案じながら、キハ40に揺られる旅は続きます。
エンジンの振動に酔いながら、津軽海峡の荒波を垣間見ながら、至福の時間は過ぎ行き、終点三厩に着きました。
1日平均20名しか利用しない三厩駅。駅前には何もありません。
歌に歌われる北のはずれ、竜飛岬はここからまだまだありますが、昼間には竜飛岬まで行くバスもあるようで、そのような観光需要も少しはあるんでしょうか。私が乗ってきた列車の接続は地元の巡回バスでしたが、列車から降りてきたおばあさん一人だけの乗車で、現実を知らしめされました。
せっかくですから津軽海峡から竜飛岬を望んで郷愁にひてりたいと思い、一路海を目指します。駅と海との間にある土建屋さんは北海道新幹線の恩恵を受けているようで、敷地に資材が満載されていました。先程のバスに見る現実とのコントラストが妙です。一連の工事が終わると、どうなってしまうのでしょうか。
歩いて15分ほどで海沿いに着きました。竜飛岬方面を見て、霞んで見える陸地を北の大地かと想像します。すぐ近くにはトンネルの中を津軽海峡線が走り、数日後には新幹線が走りますが、そんなことを微塵も感じさせない一帯でした。
来た道を駅まで引き返し、最終の蟹田行きに変わった乗ってきた車両に乗車します。4名の乗車で、みな『はまなす』までの時間潰しか、旅行者ばかりでした。
またまたお弁当とハイボールを広げ、のんびりとディーゼルカーの移動を楽しみます。退屈するだろうなと思っていましたが、至福の時間はあっという間に過ぎ去って、本日4度目となる蟹田駅に到着しました。
蟹田からは特急『スーパー白鳥』で青森に向かいます。特急停車駅の蟹田も、あと数本が発着すれば、ローカル列車だけしか来ない駅に変わります。地元の人が何十人か詰めかけ、最後の時を名残惜し気に過ごしていました。
青森駅集合時間までにはまだ時間がありましたので、このまま新青森まで行きました。
新青森駅に到着しますと、ホームの端は物凄い数の人で溢れていました。ちょうど、最終の函館行きスーパー白鳥が発車するときで、セレモニーの真っ最中だったのです。
テレビ局のカメラと照明、たくさんの人が見守るなか、駅長が高らかと右手をあげ、別れを告げる長いタイフォンが鳴り響き、ゆっくりとスーパー白鳥は最期の海峡越えを目指して羽ばたいていきました。思わず私が拍手すると、全員が拍手を始め、テールライトが見えなくなるまでみんなで拍手をし続けました。横断幕を持った女性社員が泣き崩れます。まわりの人も、私も、貰い泣きしてしまいました。
当初、新青森から普通列車で弘前までいって、青森行きの『つがる』に乗ろうと思っていましたが、このセレモニーを見たのでそれは断念し、一駅ですが新青森駅から特急『つがる』に乗車します。ひょっとすると485系に乗れるのではないかと、淡い期待を抱いていますと、これが大正解!見事に485系が来てくれました。乗車時間は僅かですが、お昼の『白鳥』が自分にとって最後の485系だと思っていただけに、なんだかロスタイムでシュートを決めたようなお得感でした。全身をシートに擦り付け、また五感で485系を満喫しました。
青森駅はそれは沢山の人で溢れかえっていました。記念のポストカードが配布されるとかで、駅の前には凄い行列が出来ています。私は同行者の先輩と合流し、駅前の寿司屋で腹ごしらえをすることにしました。握りからアテや何やら食べましたが、まあリーズナブルで美味しいお寿司でした。カウンターに座りましたが、右も左も『はまなす』の乗客で、お互いチケットを取るまでのエピソードや今日への意気込みを語り、青森の地酒と旨い肴が相まって大いに盛り上がりました。
盛り上がり過ぎて、駅に着いたときは既に『はまなす』は入線済みでした。フル増結の堂々たる客車編成を、重連のEF79が牽引するオール国鉄編成。カマの前から撮影するのは一苦労でしたが、ロープに沿って順序よく捌いてくれたため、何とか撮影できました。地元の方、残念ながら切符を手に入れられなかった方、報道陣が入り乱れて、青森駅は大変なお祭り騒ぎになっています。セレモニーも行われていましたが、人が多すぎてチラッと見られる程度でした。
お祭りの時間はあっという間に過ぎ、いよいよ発車の時刻を迎えます。
雰囲気に飲まれ、興奮覚めやまぬまま14系の座席に着きますが、浮き足だって落ち着きません。ガタンっと車体が揺れ、ゆーっくりと動き出しますと、車内は歓喜の拍手が溢れ、ホームに眼を移しますと無数の人が手を大きく振っています。ああ、これが最終列車なんだ、ああ、もう青森駅から夜行急行は2度と発車しないんだと、強く強く感じました。
しばらく鳴り止まない拍手もようやく収まったものの、何やら挨拶まわりに勤しむ者、録音をする者、車内をビデオに記録する者と様々な人種がウロウロうごめいて、夜汽車の雰囲気に浸る余裕はありません。私たちもそんな雰囲気に戸惑いながらも、ようやく腰が簡易リクライニングシートに落ち着いてきて、酒とツマミを開けて最後の夜光客車急行を楽しむ体制になりました。ブレーキの度にガクンガクンと前方につまづくような乗り心地は客車列車ならではの走行シーンです。こんな、ほんの数年前まで当たり前の日常も、もうこれでお仕舞いです。デッキに行くと広がるジョイント音と心地よい寒さ。何も変わらないトイレと洗面所。しかし、変わらずに今日まで存在し続けてきたことが奇跡なわけで、それが何かに守られて生き永らえているのが現実。そんな大きなマトリクスを全身で噛み締めて、日本最後の客車夜行急行を満喫します。
座席に戻り、青森の地酒を嗜みながら、列車は青函トンネルに入りました。先程までのお祭り騒ぎも何処へやら、この頃になりますと車内に静寂が生まれ、皆が思い思いに過ごし始めます。私が始めて青函トンネルを渡ったのは、中学1年生の冬の急行はまなすでした。大垣夜行で東京までいき、上野からひたすら北上して、朝から乗り続けてきたボックスシートに疲れきった体を包み込んでくれたのが急行はまなすの簡易リクライニングシートでした。その快適さに感動し、終着札幌の寒さに早く大阪へ帰りたいと思った記憶が鮮やかに蘇ります。あれから25年、四半世紀が過ぎて今、同じ客車に揺られていることを、13歳の私は想像すらするはずもありません。しかし、現実に今、その時がゆっくりと流れています。しかも最終日。こんな幸せは例えようがありません。
体も心もまどろんで来た頃、列車は緩やかにブレーキを強め、函館駅に到着しました。
先程までの静寂はどこえやら、函館駅に着いた瞬間に上を下への大騒ぎになり、乗客全員がホームに降りて撮影大会が始まりました。DD51が連結されるシーンはもはや殺伐的で、私は長い停車時間をのんびりと煙草を嗜んだりしながら過ごしました。皆が『はまなす』に夢中になっている中、ふと視線を外しますと、最後の仕事を終えた特急『スーパー白鳥』の編成が行ったり来たりしています。ひょっとしたら本州にいた編成が「はまなす」の後ろをついてきたのかもしれません。この先、789系はどうなるのでしょうか。新幹線はたくさんの名車の第2の人生を変えさせるのだなと痛感しました。
さすがに長い停車時間。はしゃぎすぎた面々は段々と車内に戻り、さっきまで戦場のような賑やかさだった釜の前も、いつしか人もまばらになっていました。私もその時を見計らったようにシャッターを切り、思い出を記録に残します。こんな夜中にも関わらず、地元の方々やテレビ局が来て、道南から旅立つはまなすの勇姿を見送っていました。定刻に函館を発車。様々な思いが脳裏を駆け巡りながらも、朝イチの『はやぶさ』からの疲れもあったのか、私もウトウトし始めました。
客車客車に揺られるのはどれだけ心地いいか。ふと目覚めると、薄日が差し込み、車窓には北海道の雄大な景色が朝日に浮かび上がっていました。いよいよ終着駅札幌へのラストスパートに入ります。この時間になると多くの人が目覚めてきて、また様々に記録作業に勤しみます。新しい1日の始まりを迎える車内。本来なら、今日はこんなところに観光に行こう、今日はバリバリ仕事を頑張ろうと思う時間帯ですが、今日だけは違います。もうこの雰囲気、この空気は味わうことが出来ないのです。昨日はふざけて盛り上がっていた方々も、その事実に気づいています。乗り鉄、音鉄、記録鉄、食べ鉄、葬式鉄。いろんな人びとが集まっていますが、時を共にする『はまなす』の乗客はみな、ここに来ての思いは、おそらく1つ。あと10分でも、5分でも長く『はまなす』に乗り続けたい。それだけでしょう。
南千歳駅も大変な人の数で、カメラの方列がこちらを向いていました。沿線にもたくさんの人が見受けられるようになってきました。大勢の人たちの視線を浴びて、大勢の人たちの思いをのせて、最期の定期客車夜光急行列車『はまなす』は、国鉄型車両をガタガタと揺らし、ゆっくりと終着駅札幌に到着いたしました。
札幌駅でも大撮影大会です。私は同行者と別れ、ホームに戻って回送列車となった『はまなす』を見届けます。DD51の長いホイッスルが札幌駅全体に響き渡り、国鉄型で統一された美しい編成が、別れを惜しむようにゆっくりと回送されていきました。お疲れ様、はまなす。よくぞここまで走り続けてくれました。
この日は18時から大阪で会議と会食でした。どこかまで移動して飛行機で帰ろうと思いましたが、なかなかいい時間帯に飛行機がありません。たまにはゆっくりするのもいいかと、函館まで移動して少し観光し、函館から飛行機で帰ることにしました。
朝食を済ませ、特急『北斗』4号に乗車します。またもや国鉄型車両。もちろん、狙ってのことです。
グリーン車1両を含む5両編成で、普通車は満席。結局、函館までほぼ満席の盛況ぶりでした。パワフルなエンジン音を楽しみながら、、と思っていましたが、長旅の疲れがどーっと出てしまい、結局ほとんど寝てしまいました。半日前の深夜に熱気に包まれていた函館駅に、再び到着です。
ひとしきり人波がはけた函館駅のホームから留置線を見ると、昨日大活躍していた「スーパー白鳥」の編成がずらり、そして、DD51もたくさん停まっていました。
日付を超えて次々と、二度と通ることがない青函トンネルを超えてきたことが想像できます。まだ登場して14年の789系、今後の動向が気になります。
今日から数日は新幹線も在来線も、津軽海峡を渡る列車のない函館駅。それでも観光客はたくさんいるなと思いました。空港までのバスの時間を確認し、駅前をブラブラ歩きます。昼食を食べてもまだ時間が30分ほどあったので、連絡船博物館に行きました。微妙な時間なのでサーっと流す程度でしたが、1度来てみたかったので楽しめました。中学生の頃、TMS誌に連絡船のあるモジュールレイアウトが掲載され、それを食い入るように見つめては、自分もこんなレイアウトを作りたいと色んな雑誌を集めていたのを思い出しました。桟橋や可動式跨線橋など、連絡船のある風景には魅力的なシーンがたくさんあります。もちろん、連絡船をそのままスケールダウンしたら大変な長さになりますので、どうデフォルメするかもセンスが問われます。1度は挑戦してみたいテーマです。船内のレールにアンカプラーレールを組み込んで、二軸貨車を控車越しにDE10が押し込んだりしたらどんなに楽しいでしょう。そんなことを考えながら船内を一周しました。
駆け足で駅前まで戻り函館空港にバスで向かいます。初めての空港でしたのでブラブラしようと思いましたが、何やら殺伐とした雰囲気に包まれています。何やら、全日空がシステムトラブルで欠航しているらしく、係員と乗客の間で押し問答が繰り広げられています。空港を見学する間もなくその騒ぎの中を掻い潜り、手続きを済ませてとっととJALの搭乗口に向かいました。札幌で別れた先輩はANA派で、新千歳から伊丹に飛ぶとのことで心配して連絡しましたが、その便までは大丈夫だったようです。私の搭乗する伊丹便もキャンセル待ちの大行列が出来ていました。
何だか慌ただしく出発し、北の大地を後にします。
こうして、『はやぶさ』のグランクラスから始まり『スーパー白鳥』、『白鳥』、津軽線、そして『はまなす』『北斗』と乗り継いだ大満喫の旅が終わりました。2日間でこれだけの濃い思い出を残せた充実した旅は、暫く余韻が残りそうです。
さようなら485系『白鳥』、さようなら14系『はまなす』。美しい思い出は、永遠に。